名画の楽しみ方

技法の欄が、一語で終わる——シカゴ美術館の彫刻十点

聖ミカエルと悪魔
スペイン、セビリア《聖ミカエルと悪魔》1475年から1500年。木、かつて彩色され金が施されていた。館の記録では、縦52.4センチ、横22.9センチ、奥行き21.3センチとされる。番号は2004.721。シカゴ美術館蔵。スペイン《聖ミカエルと悪魔》シカゴ美術館蔵

木を彫った立像である。

若い姿の人物が、剣を振り上げる。

背には大きな翼が二枚立つ。

翼の羽は一枚ずつ彫り分けられる。

体には鎧をつけ、胸に丸い飾りがある。

腰から下は、短い衣が広がる。

左手には盾を持つ。

盾の表面には、模様が彫られる。

足もとには、獣の姿をした形が横たわる。

その体は捻れ、口が開く。

木は赤褐色で、彩色は残らない。

木目が、表面に縦の筋となって出る。

台座は不定形で、岩を模している。

愛の恐れ
ジャン・ルイ・ルモワーヌ《愛の恐れ》1742年。テラコッタ。館の記録では、縦36.5センチ、横19.1センチとされる。番号は1959.551。シカゴ美術館蔵。ジャン・ルイ・ルモワーヌ《愛の恐れ》シカゴ美術館蔵

焼いた粘土の小さな像である。

女性が立ち、体を左へひねる。

右腕を胸の前へ回し、身を守る姿勢をとる。

顔は右を向き、下を見る。

髪は結い上げられ、後ろへ垂れる。

衣は薄く、片方の肩が出る。

裾は膝から下で乱れる。

足もとに、翼のある小さな人物がいる。

その人物は、女性の脚に手をかける。

台座は木の幹のような形をとる。

粘土の色は赤褐色で、表面に細かい凹凸がある。

指で押した跡が、そのまま残る部分もある。

削る仕事ではなく、盛る仕事の跡である。

アンドルー・ジャクソン将軍
ウィリアム・ラッシュ《アンドルー・ジャクソン将軍》1819年。テラコッタ。館の記録では、縦50.5センチ、横47.9センチ、奥行き22.2センチとされる。番号は1985.251。シカゴ美術館蔵。ウィリアム・ラッシュ《アンドルー・ジャクソン将軍》シカゴ美術館蔵

胸像である。粘土を焼いて作られている。

男が、顔を左へ向ける。

髪は前へ立ち上がり、額の上で乱れる。

顔は細長く、頬がこける。

眉は寄せられ、目は鋭い。

首には高い襟が巻かれる。

軍服を着ており、肩に房飾りが付く。

胸には釦が二列に並ぶ。

胸の下で水平に切られ、台になる。

色は淡い灰褐色で、白に近い。

表面はなめらかに仕上げられる。

粘土の像でも、ここまで整えられる。

先の一点とは、仕上げ方がまるで違う。

同じ材料でも、仕上げが違う

十点のうち、テラコッタは二点ある。

一方は、指の跡が残るほど粗い。

他方は、大理石のようになめらかである。

同じ材料でも、狙いが違えば表面が変わる。

粗いほうは、下絵のような性格の小像だろう。

なめらかなほうは、完成品として作られている。

館の記録は、その差を書かない。

技法の欄には、どちらもテラコッタとあるだけだ。

差は、画像を見て判断することになる。

前の回の記事でも、同じことを繰り返し書いてきた。

文字にできることと、画像に任せることが分かれている。

種別の欄は、十点とも同じ

十点は、いずれも種別の欄が彫刻である。

材料も、大きさも、作られた場所も違う。

浮彫もあれば、頭部だけの断片もある。

三翼の板もあれば、胸像もある。

それでも、種別としては一つにまとめられる。

立体であること、それだけが共通している。

部門の欄を見ると、四つに分かれる。

ヨーロッパの絵画と彫刻。アメリカの美術。

ギリシア・ローマ・ビザンティンの美術。アフリカの美術。

つまり、地域で分けた部門の中に、彫刻が散らばっている。

種別で串刺しにして見ると、部門を越えて並べられる。

前の回の記事で、番号が分野で分かれないことを書いた。

種別の欄も、同じ役目を果たしている。

材料の一語が、多くを決める

十点を通して見ると、材料が作品の性格を大きく決めている。

石は硬く、細部を彫るのに手間がかかる。

そのぶん、屋外にも耐える。

木は軽く、彫りやすい。

そのかわり、割れやすく、色が剥げる。

粘土は自由に形を作れるが、焼くと縮む。

石膏は型どりに向くが、脆い。

青銅は薄く広く作れる。

象牙は小さく、細かい彫りに向く。

材料を選ぶことは、作れる形を選ぶことでもある。

技法の欄の一語は、その選択の結果だけを書く。

なぜその材料を選んだかは、書かれない。

一語の欄を、どう読むか

技法の欄が一語で終わるのは、そっけなく見える。

しかし、その一語から読めることは多い。

削ったのか、盛ったのか。

屋外に置けるのか、室内向きか。

色が付いていたのか、素地のままか。

十点の欄は、そのすべてを短い語で示している。

さらに、括弧や添え書きで失われたものまで書く。

一語に、これだけの情報が畳まれている。

絵画の技法の欄が二段になるのは、支持体と絵具が別だからだ。

彫刻では、その二つが一つになる。

材料が支持体であり、同時に表面でもある。

だから一語で足りる。

欄の長さの違いには、そういう理由がある。

そして材料の名は、いちばん書き換えられにくい欄でもある。

作者の欄は研究で変わる。年の欄も変わる。

しかし大理石が木になることはない。

材料は、目で見て、触れて確かめられる。

だから一語で書いても揺るがない。

十点の技法の欄が短いのは、確かさの表れでもある。

短いから軽い、ということにはならない。

むしろ、確かなことだけを書いた結果として短い。

確かでないことを書けば、欄は長くなる。

作者の欄や年の欄が長くなるのは、そのためだった。

十点を並べて読むと、その対比がはっきりする。

短い欄と長い欄は、確かさの度合いを映している。

どちらが良いという話ではない。

書けるところまで書く、という原則が同じなだけである。

RELATEDあわせて読みたい

名画の楽しみ方の記事一覧