眠る人は、画面の中心にいる——トラヴェルシ・ホズマー・李公麟ほか九点
眠りから、覚める場面
八点目は、鋼版のエッチングである。

大きな紙である。
版は66.5×50センチある。
線は細かく、全体が灰色である。
画面は、建物の形に組まれる。
上は、尖った屋根である。
その周りに、茨が絡む。
葉と棘が、細かく描かれる。
蔓は、画面の縁まで広がる。
中央に、部屋がある。
部屋の中に、二人がいる。
一人は、椅子に腰かける。
体は、後ろへもたれる。
目は閉じているらしい。
もう一人は、前に立つ。
身を屈める。
顔を、近づけている。
館の記録では、これは物語の場面である。
長く眠っていた姫が、目を覚ます。
その瞬間を選んで描いたという。
画面の下には、小さな場面が並ぶ。
人が眠り込んでいる形が見える。
館の記録では、この物語は本から採られた。
昔話を集めた本である。
九点のうち、眠りが終わる場面は、この一点だけである。
画面の作り方も、ほかと違う。
絵が、建物の形に囲まれている。
尖った屋根と、柱と、欄がある。
その中に、場面が嵌め込まれる。
下の段には、別の小さな場面が並ぶ。
一枚の紙に、物語がいくつも入る。
館の記録では、文字を刷り込んだ版もあるという。
絵と物語を、一緒に売る形である。
この頃、昔話への関心が高まっていた。
集めた本が、広く読まれたからである。
館は、その時期の絵だと書いている。
茨の描き方も、細かい。
棘の一本まで、線で示される。
眠るのは、山の名である
九点目は、山水である。

横長の画面である。
全体は26.5×42センチある。
絹は褐色に変わる。
墨は淡い。
画面の左に、大きな岩がある。
岩は、幾重にも重なる。
面は、細い線で刻まれる。
その上に、木が生える。
木は細く、まばらである。
中央に、谷がある。
谷の底に、道が見える。
右のほうは、平らな地である。
低い建物が並ぶ。
屋根は小さく、点のようである。
その先に、水がある。
水は白く残される。
奥は、霞んでいる。
人の姿は、ほとんど見えない。
この画面に、眠っている人はいない。
館の記録では、題にある山の名が眠りの語を含む。
龍が眠る山、という意味である。
眠っているのは、山である。
館の記録では、これは巻物だった。
今は、三枚の画帖に改装されている。
長く続いていた画面が、切り分けられた。
だから、全体の寸法は小さい。
26.5×42センチしかない。
もとの姿は、これより長かったはずである。
山荘の図とは、住まいの図である。
誰がどこに住むかを、風景として描く。
人が小さいのは、そのためだろう。
主題は人ではなく、場所である。
館の記録では、時代の幅も広い。
十二世紀から十三世紀と記される。
作者の名は伝えられているが、年は定まらない。
数えてみると
九点を並べ直す。
眠っている人がいるのは、六点である。
娘、石の若者、椅子の男、横たわる若者、賢人、赤子である。
眠っているのが人でないのは、一点である。
枝の鳥である。
眠りが終わる場面が、一点である。
眠る者がいない絵が、一点である。
山の名だけが眠っている。
もう一つ数える。
眠る人の周りに、起きている人がいるのは三点である。
からかう三人、悪戯をする者、母である。
このうち二点では、眠る人に手が伸びている。
一人で眠っているのは、三点である。
椅子の男、横たわる若者、賢人である。
さらに数える。
九点のうち、本か巻物がそばにあるのは三点である。
眠りは、読むことの隣にある。
姿勢でも数える。
座ったまま眠るのが、三点である。
横たわるのが、三点である。
もたれるのが、一点である。
目が閉じていると分かるのは、六点である。
鳥の一点では、目が羽に隠れている。
場所でも分かれる。
屋内が四点、屋外が四点である。
残る一点は、場所が示されない。
技法でも数える。
油彩が二点、紙の絵が四点である。
大理石が一点、絹の絵が二点である。
色を使わないのは、二点だけである。
墨の一幅と、鋼版の一枚である。
年でも並べる。
十二世紀が一点、十六世紀末が一点である。
十八世紀が二点、十九世紀が三点である。
二十世紀が二点である。
読む場面については、画面のなかの本で扱った。
言えることと、言えないこと
言えるのは、眠る絵に見る人が要るということである。
九点のうち三点で、誰かが眠る人を見ていた。
見ている人は、たいてい静かにしている。
女は口に指を当て、母は赤子を支えていた。
見ていなくても、描いた人は見ている。
眠る人は、見られていることを知らない。
眠りの絵とは、そういう約束の絵である。
言えないのは、眠る絵が休息の絵だという話である。
九点のうち一点では、悪戯が進んでいた。
一点では、顔に指が伸びていた。
一点では、鳥の頭の向きに不安が読まれていた。
一点では、眠りが終わろうとしていた。
眠りは、しばしば何かの手前にある。
子どもの絵については、画面のなかの子どもで扱った。
最後に、はじめの一枚へ戻る。
トラヴェルシの画面では、四人のうち三人が起きていた。
三人は、眠る一人を囲んでいる。
眠る人は、画面の中でいちばん静かである。
そして、いちばん見られている。
九点を数え終えて残るのは、その入れ替わりである。
動かない一人が、画面の中心になる。
動いている三人は、周りに散る。
静止したものが、構図を決めている。
九点のうち六点で、眠る人は画面の中央にいた。
中央に置かれるのは、動かないからである。
動くものは、端へ寄せられる。
眠る人を描くことは、動かないものを描くことである。
静物と、そう遠くない。
ただ一つ違うのは、いつか起きることである。
起きたあとの場面は、九点のどれにもない。
あるのは、その手前だけである。
覚める一点でさえ、まだ目が開いていない。
物語では、その直後に目が開く。
絵は、その直前で止まっている。
九点はどれも、起きる前の時間だけを残していた。
起きてしまえば、眠りの絵ではなくなる。
だから、画面はいつも静かなままである。
静かな一人を、周りが囲む。
その形が、九点に共通していた。
眠る人は、動かないことで場を作っている。
動かないことが、この主題の中身である。
九点は、そのことだけを揃って示していた。
眠りは、絵にとって都合のよい姿勢である。









