美術史・技法

作者の欄が、五行になる——ゴブラン王立製作所の綴織

扇
ベンジャミン・ウェスト画《扇》1775年から1800年。象牙の親骨と中骨、彫り。紙の地に彩色、金箔、真珠母の飾り鋲。館の記録では、縦28.8センチ、横50.4センチとされる。公開されている画像は白黒である。番号は1891.94。シカゴ美術館蔵。ベンジャミン・ウエスト《》シカゴ美術館蔵

扇である。開いた状態で写されている。

下の要から、細い骨が放射状に広がる。

骨は象牙で、透かし彫りが入る。

その上に、紙の地が張られる。

紙には、絵が描かれている。

中央に、人物が数人集まる。

いずれも古代風の衣をまとう。

左右には、木立と空が広がる。

画像は白黒なので、色は分からない。

技法の欄によれば、金箔も使われている。

作者の欄には、画家の名だけが書かれる。

骨を彫った人、紙を張った人の名はない。

描いた人の名だけが残る

いま見た扇では、絵を描いた人の名だけが記録される。

しかし扇は、絵だけでできてはいない。

象牙を挽き、彫り、磨く仕事がある。

紙を継ぎ、折り目を付ける仕事がある。

要の金具を作り、真珠母を嵌める仕事もある。

いずれも別の職人の手による。

それでも作者の欄には、画家の名しかない。

タペストリーでは織り手の工房まで書かれたのに、扇では書かれない。

品の種類によって、記録の細かさが変わる。

理由は書かれていないが、資料の残り方の差だろう。

タペストリー工場には帳簿が残る。

扇の職人には、それがない。

ベッドラグ
ハンナ・ジョンソン《ベッドラグ》1796年。羊毛、平織。輪にした運針で刺した毛羽を切り出す。館の記録では、縦249.4センチ、横246.1センチとされる。番号は1944.27。シカゴ美術館蔵。ハンナ・ジョンソン《ベッドラグ》シカゴ美術館蔵

ほぼ正方形の大きな布である。

一辺が二メートル半近い。

地は暗い褐色で、その上に模様が浮く。

模様は、花と葉と蔓である。

中央に大きな花が四つ、対角に並ぶ。

その周りを、丸い葉の連なりが囲む。

下部には、扇形に広がる葉の束がある。

色は淡い黄土と褐色に限られる。

模様の毛羽が立ち、地との差が出る。

刺した糸の輪を切って、毛羽にしている。

作者の欄には、一人の女性の名がある。

生没年まで記録されている。

九点のうち、一人の名だけで済む二点のうちの一つである。

一人で作ったもの、大勢で作ったもの

九点を並べると、関わった人数の幅が見える。

いちばん多いのは、六人以上の名が並ぶタペストリー。

いちばん少ないのは、一人の名だけのベッドラグ。

その間に、二人、三人と並ぶものがある。

設計した人と、製造した会社。

下絵を描いた人と、その図案のもとになった人。

作者の欄の長さが、そのまま分業の度合いを示す。

大きな織物ほど、名が増える。

家で作られたものは、一人で終わる。

館の記録は、両方を同じ欄に書く。

同じ欄だからこそ、比べられる。

名が並ぶ順序

長い作者の欄にも、順序の規則がある。

まず、図案を考えた人。

次に、その図案の系統。

そして、織った工房や製造した会社。

最後に、場所の名。

考える側から、作る側へ、そして場所へ。

この順序は、九点すべてで守られている。

前の回の記事で、主たる帰属を先に置く原則を見た。

織物では、図案が主とされている。

織り手ではなく、下絵の作者が先に来る。

これは、当時の評価の順序でもあっただろう。

記録の順序が、価値の順序を映していることがある。

長い欄は、読み飛ばされる

正直なところ、六人の名が並ぶ欄は読みにくい。

美術館の札でも、途中で切られていることが多い。

それでも館は、公開する記録には全部を書く。

読み飛ばされてもよい、という判断だろう。

必要な人が読めばよい。

必要な人とは、その工場の歴史を調べる人だ。

あるいは、同じ連作の別の一枚を探す人である。

そういう人にとって、支配人の名は決定的な手がかりになる。

在任期間が分かれば、織られた年を絞れる。

長い欄は、そのために書かれている。

九点の作者の欄は、そこまで見越した書き方をしている。

そして、その書き方は変えられない。

一度六人の名を並べたら、あとから減らすことはできない。

減らせば、どれかの仕事が消える。

記録は、いったん書いたものを守る方向に働く。

守るために、長い欄が長いまま残る。

読み飛ばす自由は読む側にあり、書く側にはない。

その非対称が、記録という仕事の性格をよく表している。

九点の作者の欄は、その非対称の上に成り立っている。

織った人の名が残ったのは、帳簿が残ったからだ。

帳簿を付けた人の名は、どこにも残っていない。

その名がないことを、記録は書かない。

書かれていない空白は、欄の外側にある。

欄の外側まで想像するのが、記録の読み方の先にあることだろう。

九点の長い作者の欄は、その入口である。

入口をくぐれば、名の残らなかった人たちの数が見えてくる。

織り手が数人、染め手が数人、糸を紡ぐ人がさらに数人。

一枚のタペストリーの背後には、数十人がいたはずである。

記録に残るのは、そのうち六人だけだった。

六人でも、絵画の一人よりはずっと多い。

その差を、部門をまたいで比べられるのが、共通の形式の利点である。

一枚の布を、誰の作品と呼ぶか

最後に、素朴な問いへ戻りたい。

九点のうち、いちばん大きなタペストリーは誰の作品か。

下絵を描いた画家か。

織った工房の親方か。

工場を経営した支配人か。

館の記録は、その問いに答えない。

かわりに、関わった全員の名を順に並べる。

答えを決めずに、材料を渡す。

これは、これまでの記事で何度も見た態度である。

作者の欄の修飾語も、年の欄の留保も、同じ考え方だった。

決めきれないことを、決めきれないまま書く。

そして読む側が、必要に応じて答えを選ぶ。

美術館の記録は、そのために形式を整えてきた。

九点の長い欄は、その積み重ねの結果である。

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