作品を知る

菊は、どこまで数えるかで描き方が変わる——沈周・カイユボット・モンドリアンほか九点

名前の中の菊、二点

最後の二点で、菊は字になる。

菊芋の花
クロード・モネ《菊芋の花》1880年。館の記録では、油彩・カンヴァス。画面は99.6×73センチ。番号は1963.10.181。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。クロード・モネ《菊芋の花》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の画面である。

背景は暗い青灰色で、筆の跡が残る。

その前に、花束が広がる。

花は黄色で、花びらが細長い。

中心は褐色の丸い塊である。

数えると、二十を超える。

茎は緑で、上へ向かって伸びる。

葉は幅広く、先が尖る。

下のほうには、器の縁がわずかに見える。

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。

日本語では、この花の名に菊の字が入る。

しかし、菊とは別の植物である。

花の形が似ているために、その字が当てられた。

つまりここでの菊は、翻訳された名の中にある。

花の形も見ておきたい。

花びらが細長く、中心が丸く盛り上がる。

菊の花びらは中心まで密に詰まるが、この花は中心が別のものになっている。

そこが、菊と違うところである。

しかし遠目には、黄色い放射状の花として似て見える。

名を付ける人は、遠目の似姿で判断したのだろう。

そしてその名が、そのまま翻訳されて残っている。

九点のうち、別の植物が菊の名で呼ばれているのは、この一点である。

初代瀬川菊之丞の班女
鳥居清倍(二代)《初代瀬川菊之丞の班女》1733年。館の記録では、手彩色の木版、細判の漆絵。画面は30.7×15センチ。番号は1925.1786。シカゴ美術館蔵。鳥居清倍(二代)《初代瀬川菊之丞の班女》シカゴ美術館蔵

細長い縦の版画である。

30.7×15センチしかない。

人がひとり、立っている。

長い袖の着物を重ね、帯を高く締めている。

髪は結い上げられ、前へ張り出す。

顔は横を向き、目を細めている。

片手を胸の前に上げ、もう一方は袖に隠れる。

着物の模様は、太い曲線でできている。

黒く光る部分がある。

漆を使って刷った箇所である。

背景は塗られておらず、紙の色である。

館の記録では、この人は劇場である役を演じている。

題には、演じた劇場と年月も記されている。

そしてこの役者の名に、菊の字が入っている。

しかし画面のどこにも、花はない。

着物の模様も、菊ではない。

九点のうち、菊が人の名になっているのは、この一点である。

漆絵という技法も見ておきたい。

墨に膠や漆を混ぜて厚く刷ると、その部分だけが黒く光る。

着物の帯や髪の一部が、そうして光っている。

紙の上に、艶のある面と艶のない面ができる。

角度を変えれば、光る場所が動く。

つまりこの版画は、傾けて見ることを想定している。

そして色は、刷ったあとに手で差されている。

一枚ずつ、色の濃さが少しずつ違う。

数えてみると

九点を並べ直す。

菊が咲いた姿で描かれているのは、五点である。

垣の下の黄色い花、詩人の見る白い花、岩のそばの数本、庭の群れ、そして正面の一輪。

図案として組み合わされているのが一点、切り花が一点である。

そして二点では、菊の字が花の名と人の名になっている。

もう一つ数えておく。

九点のうち、花びらが一枚ずつ描き分けられているのは四点である。

沈周の黄菊、陳洪綬の白菊、モンドリアンの一輪、そしてモネの黄色い花。

カイユボットの庭では、花は丸い塊である。

北斎の刷り物でも、花びらは数本の線で足りている。

密に群れるほど、一枚ずつは描かれなくなる。

もう一つ、支持体の大きさも並べておく。

いちばん大きいのは沈周の掛幅で、画のみで288.5センチある。

いちばん小さいのはモンドリアンの油彩で、41.5センチしかない。

七倍の差がある。

同じ花が、七倍の幅を持つ画面に描かれている。

大きい画面では株が群れ、小さい画面では一輪になる。

画面の大きさが、数を決めている。

言えることと、言えないこと

言えるのは、菊が「数の花」だということである。

花びらが多く、株も群れる。

だから描く人は、どこまで数えるかを決めなければならない。

一輪を正面から描けば、花びらは数えられる。

群れを描けば、花そのものが数えられなくなる。

九点は、その両端のあいだに散らばっている。

言えないのは、東西で描き方が分かれるという話である。

一枚ずつ描き分けた四点のうち、二点は西洋の作である。

塊として描いた二点のうち、一点は東アジアの作である。

分かれているのは土地ではなく、株の数である。

そしてもう一つ、目的の違いもある。

図案として描くなら、単純にする。

写生として描くなら、細部を追う。

同じ人が、その両方を使い分けることもある。

九点のうち、下絵として描かれたのは一点だけだった。

その一点だけが、はっきりと単純化されている。

最後に、はじめの一幅へ戻る。

高さ三メートル近い紙に、垣と草と二種類の花が詰め込まれていた。

書き込まれた詩は、杯を手に花に向かうと言っていた。

そして、門を叩く客に誰が応えるだろう、と結んでいた。

大きな画面の中で、人はひとりも描かれていない。

菊を見るはずの人は、次の一点で現れる。

垣の下の花と、それを見る人が、別の掛幅に分かれている。

九点を数え終えて残るのは、その応える者のいない静けさのほうである。

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