美術史・技法

台所を台所にしているのは、道具である——ソルフ・ヴュイヤール・師宣ほか九点

台所は、舟にも積める

台所は、家の部屋とはかぎらない。

隅田川の屋形船
蹄斎北馬《隅田川の屋形船》1800年代。館の記録では、掛軸、絹に墨と彩色。全体で153.3×76.2センチ。絵の部分は40×55.3センチ。番号は1985.262。クリーヴランド美術館蔵。蹄斎北馬《隅田川の屋形船》クリーヴランド美術館蔵

川の上に、屋根を張った舟が浮かんでいる。

舟のなかほどには簾を掛けた座敷があり、人が四人ほど身を寄せている。

膝の前には、赤い椀と皿が並ぶ。

とがった側の端では、髪を結った女が屋根の縁に手をかけ、身を乗り出している。

反対の端には、もう一人がいる。

足元に、桶と、青い器と、盛りつけた皿が置かれている。

そこだけが、湯を使い、器を扱う場所である。

館の記録では、舟の一方の端が台所を受け持っているという。

もう一方の端では、遊女が川の景色を眺めているとある。

市松の着物の付き添いが、客に飲み物を出しているとも書かれている。

奥の川面には、小舟が二艘。

顔見知りらしい人々が言葉を交わし、漁の人が小さな島に舟を寄せている。

遠くの舟は水平線を示すために置かれると数えた回の、あの置き方である。

右手には、花をつけた枝と松が張り出す。

館の記録では、大火のあと、吉原は舟で通う土地へ移された。

そのため、川をゆく道中を描いた絵が数多く作られたという。

この舟は、山谷堀の入口の近くにいる。

遊びに行く人は、そこで舟を下りたとある。

さて、この舟の台所には、竈も棚もない。

あるのは桶と器と、それを扱う一人だけである。

床の一角と道具さえあれば、台所は成り立つ。

家から切り離して持ち運べる部屋だということを、この一枚は示している。

九点のなかで、地面の上にない台所は、これ一点である。

火は、どこにあるか

ここまでの八点に、燃えている火は一つもなかった。

最後の一点で、ようやく炎が出てくる。

糸を巻く(ナンタケットの台所の内部)
イーストマン・ジョンソン《糸を巻く(ナンタケットの台所の内部)》1872年。館の記録では、板に油彩。絵は37.5×54.6センチ。番号は1915.682。クリーヴランド美術館蔵。イーストマン・ジョンソン《糸を巻く(ナンタケットの台所の内部)》クリーヴランド美術館蔵

煉瓦の大きな炉に、赤い熾火が見える。

炉の前の男は、しかし料理をしていない。

椅子を傾け、両手を前に差し出している。

その手に掛けた糸の束を、向かいの女が玉に巻き取っている。

緑の上着の娘がもう一人、椅子にもたれて二人を眺める。

館の記録では、糸巻きの手伝いは当時の求婚の印だった。

男を糸で搦め捕る、という笑いを含む図だという。

眺めている娘は、付き添い役と読まれている。

男が帽子を床に置くのは無作法で、それも笑いのうちだとある。

台所が、若い二人の居間を兼ねている。

炉が家じゅうでいちばん暖かいのだから、当然の成り行きである。

火のそばに人が集まり、集まった人のあいだに話が生まれる。

炉棚の上には、錫の容れ物が並んだままである。

料理の道具が、恋の場面の背景に回っている。

左手の卓には、果物を入れた籠らしきものも見える。

台所を勤め先ではなく暮らしの場として描く目は、銀行に勤めながら台所を描いた画家の回で見たエドモンズと同じ系譜である。

ちなみに記録の豆知識の欄には、ジョンソンがメトロポリタン美術館の設立者の一人だったとある。

台所の絵を描いた人が、美術館を作る側にも立っていた。

数えると、こうなった

九点を数える。

その前に、題の欄を見ておく。

九点のうち五点は、題に台所か厨房の語を持つ。

《台所》《厨房の内部》《七草の菜と台所道具》《女郎屋の台所》、それに《ナンタケットの台所の内部》である。

残る四点の題は、料理女、アスパラガス、死んだ鳥、屋形船。

題だけでは、台所の絵と分からない。

面白いのは、題を隠しても、どの絵も台所に見えることだ。

寝室や客間は、寝台や椅子がなければ見分けがつかない。

台所は、鍋が一つ転がっているだけで台所になる。

それほど道具の力が強い部屋なのである。

さて、本体を数える。

人のいる台所が六点、無人の台所が三点。

無人の三点の内訳は、道具と食材が半々の絵が一点、材料が主役の絵が一点、道具が主役の絵が一点である。

炎がはっきり燃えているのは、一点しかない。

ナンタケットの熾火だけである。

では、水はどうか。

水そのものが見える絵は、一点もない。

桶と甕と水差しが、どの絵でも水の代理を務めている。

火は二点、水はゼロ。

台所の三要素のうち、絵に確かに写るのは道具だけである。

磨かれた銅や真鍮が光る絵は、少なくとも三点ある。

暗い台所で、磨いた金物は小さな窓の代わりに光る。

だから画家は、銅の鍋を好んで描いたのだと考えられる。

魚や鳥や貝が、これから料理される姿で写る絵は四点ある。

猫か犬のいる絵は二点である。

食べられる生き物と、それをねらう生き物。

どちらも、台所の絵の名脇役である。

冷蔵庫のない時代、魚は床や皿の上で出番を待った。

その隙を、猫がうかがう。

台所の絵の生き物は、食べ物の鮮度を示す時計でもある。

台所の絵とは、つまり道具の絵である。

火が描きにくいから、ではないだろう。

火を焚いていない時間のほうが、台所には長いのである。

朝と夕のあいだ、竈は冷えて、鍋は棚で待つ。

画家が腰を据えて描けるのは、その待ち時間である。

燃えている一点が、人の集まる絵だったのは偶然ではない。

火は人を集め、人は火を守る。

無人の三点に火がないのは、理にかなっている。

もっとも、これは九点で数えた話にすぎない。

台所の絵の全体で火が少ないかどうかは、ここからは決められない。

言えるのは、道具だけで台所が台所に見える、ということである。

鍋と桶と包丁の形を、わたしたちがよく知っているからだ。

最後に、記録に残らないことを一つ。

ソルフの二人が支度していた献立は、どの欄にも書かれていない。

ルソーのアスパラガスがどう料理されたのかも、分からない。

台所の絵は、道具を克明に残して、肝心の料理を残さない。

匂いも、湯気も、味も、絵と記録の外にある。

美術館の記録は、道具の寸法なら小数点まで書く。

だが、その鍋で最後に何を煮たかは、どの館も書けない。

台所の一番大事なところは、いつも記録の外で湯気を立てている。

考えてみれば、台所ほど姿を変えた部屋もない。

竈は火口を閉じ、井戸は蛇口になり、板敷きは覆われた。

九点に描かれた台所は、どれも、もう同じ形では残っていないはずである。

だが道具は、驚くほど変わっていない。

包丁とまな板と鍋と桶は、いまも台所の主役である。

台所の絵が古びて見えないのは、そのためだろう。

それでも、蟹をねらう猫の目つきだけは、三百年あとのわたしたちにも読める。

うまいものが、たしかにそこにあった、ということである。

次に台所の絵の前に立ったら、まず火を探してみてほしい。

たいていは見つからず、代わりに、よく知った道具の顔が並んでいるはずである。

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