鏡が入ると、顔が二つになる——ヴィジェ=ルブラン・ドガ・北斎ほか九点
眼鏡も、鏡の語を持つ

館の記録は、彩色についても書いている。
エッチングとエングレーヴィングで刷り、水彩で色を差す。
つまり、一枚ずつ手で塗られている。
第二十一回でも、手彩色の版画を見た。
働く話で扱った一点である。
刷りは同じでも、色は一枚ごとに違う。
室内の場面である。
中央に、赤い布を掛けた机がある。
その上に、紙が広げられる。
机の向こうに、女性が立つ。
白い衣を着て、髪を高く結う。
その前に、子どもが座る。
子どもは、箱のようなものをのぞいている。
箱には、丸い覗き口がある。
女性の手が、その箱に添えられる。
右奥に、家具と、壁に掛かる絵が見える。
左に、窓らしい明るい面がある。
右下に、弦楽器が立てかけられる。
館の記録の題は、光学の装置を指す。
絵を箱に入れ、レンズを通して見る道具である。
そうすると、奥行きがあるように見える。
日本語では、この種の道具に鏡の語が入る。
眼鏡、覗き眼鏡、遠眼鏡。
つまり、レンズも鏡の仲間として呼ばれてきた。
これは、語の問題である。
映すものと、透かして見るものが、同じ語で呼ばれる。

暗い赤褐色の背景である。
その前に、男の顔がある。
半身より狭い範囲が入る。
黒っぽい上着を着る。
白い襟がのぞく。
髪は短く、額が広い。
長い口髭が、左右に伸びる。
顎にも、短い髭がある。
そして、右目のあたりに、小さな円がある。
縁が光っている。
片眼鏡である。
顔はやや斜めを向き、目はこちらへ来る。
第五回でも、この作者の絵を見た。
髪の話で扱った一点は、金髪の男だった。
同じ人の作である。
この一点も、鏡の語で拾われた。
だが、映る鏡ではない。
透かして見るためのガラスである。
鏡は、丸くて平たいものの名でもある

細長い版画である。
中央に、人物が座る。
大きな白い塊の上に腰かけている。
その塊は、丸く、平たい。
二段に重なっているように見える。
人物は、緑と赤の衣を着る。
袖に、大きな模様がある。
腰に、細長いものを差す。
顔は、口を大きく開ける。
眉が太く、目が見開かれる。
片手を上げ、指を広げる。
足は、塊の縁にかかる。
下のほうに、台の縁が見える。
館の記録の題によれば、この白い塊は正月の供え物である。
丸く平たい形が、古い鏡に似ている。
だから、その名で呼ばれる。
つまり、鏡の語が食べ物の名になっている。
映すものではない。
形が似ているというだけである。
第八回でも、同じことが起きた。
足の話では、足の語が山の裾や器の脚を指していた。
体の部位や道具の名は、形の似たものへ広がる。
鏡は、手本という意味を持つ

細長い縦の画面である。
縦52.1センチ、横23センチ。
上のほうに、遠い岸と木立がある。
その下に、水面が広がる。
波が、細かい線で描かれる。
中ほどに、橋がある。
その上に、人物が二人いる。
一人は、大きな束を担ぐ。
もう一人は、腰をかがめる。
手前に、水草らしいものが群れる。
上に、文字が数行ある。
館の記録によれば、この主題は古い歌に関わるらしい。
そして、その歌の一節が引かれている。
これは館の記述である。
さて、この一点が鏡の語で拾われた理由は、連作の題にある。
その題に、鏡の語が入っている。
第十一回でも、同じ連作の別の一枚を見た。
立つ話で扱った一点である。
この場合の鏡は、手本という意味である。
古い詩歌を映す鏡、という言い方だ。
つまり、模範や規範を指す。
映すものが、見習うべきものへ移っている。

一枚の紙である。
縦17.8センチ、横12.5センチ。
右上から左下へ、文字が斜めに並ぶ。
行ごとに、細い罫が引かれる。
上のほうに、青い帯がある。
そこにも、文字が入る。
紙は褐色に変わり、しみが散る。
縁が傷んでいる。
絵は描かれていない。
文字だけの一葉である。
館の記録によれば、この写本は宮廷で作られた。
そして、館は当時の宮廷の記録を引いている。
多くの人の肖像を集めた大きな画帖が作られたという。
亡くなった者は新しい命を得て、生きている者には不滅が約束される。
そういう記述である。
これは館が引く当時の言葉である。
この本の題にも、鏡の語がある。
聖なるものを映す鏡、という意味だと考えられる。
先の連作と同じ用法である。
書物の題に、鏡の語を使う。