鏡が入ると、顔が二つになる——ヴィジェ=ルブラン・ドガ・北斎ほか九点
語が広がるとき、何が残るか
この回の九点は、語の広がりをよく示している。
鏡という語が、六つの意味で使われていた。
映す面。
眼鏡やレンズ。
丸く平たい形。
手本や規範。
書物の題。
そして、家具としての鏡である。
これらに共通するものは何か。
考えてみると、二つある。
一つは、平らで丸い、あるいは四角い面である。
映す鏡も、鏡餅も、この形を持つ。
もう一つは、何かを写し取るという働きだ。
映す鏡はもちろん、手本という意味もそこから来る。
古い言葉では、鑑という字も使われる。
見て、自分を正す、という意味である。
つまり、形と働きの二つの筋で、語が広がっている。
第八回や第十回でも、同じことを見た。
体の部位や道具の名は、形と働きで広がる。
そして、広がった先では、もとの意味が薄れる。
鏡餅を見て、鏡を思う人は少ない。
詩歌の手本を鏡と呼ぶことも、いまは少ない。
語だけが残り、意味が抜ける。
こういう作品を九点並べると、その過程が見える。
館の記録は、そこには触れない。
書かれるのは、題と、素材と、寸法である。
だが、題の中に語の歴史が残っている。
鏡は、絵と似ている
鏡と絵は、よく比べられる。
どちらも、平らな面に像を作るからである。
だが、決定的な違いが二つある。
一つは、鏡の像が動くことだ。
見る位置を変えれば、映るものが変わる。
絵は、動かない。
もう一つは、鏡が今しか映さないことである。
絵は、過去を止めて残す。
冒頭の一点では、その二つが同じ画面に入っている。
映った顔は、鏡の像である。
だが、それは絵として描かれている。
つまり、動かないし、二百年以上前のままだ。
鏡の性質が、絵の性質に置き換えられている。
そして、館の画像を見ると、鏡の面には何も映っていない。
家具の一点でも、意匠の一点でも、白か灰色のままである。
つまり、実物の鏡を写した画像には、像がない。
撮る側が、映り込みを避けているのだろう。
第十九回で、水面の映り込みを扱った。
水の話では、映った像が崩れると書いた。
鏡は、崩さずに映す。
崩れないぶん、絵の中では扱いにくい。
正確に映せば、同じ顔が二つ並ぶ。
九点のうち、それをやっているのは一点だけである。
見るための道具が、三点ある
九点のうち、見るための道具は三点だった。
覗き眼鏡、片眼鏡、そして鏡。
いずれも、ガラスを使う。
そして、いずれも見え方を変える。
鏡は、後ろを見せる。
レンズは、遠くを近づけるか、奥行きを作る。
つまり、目だけでは届かないものを届かせる。
この三点が同じ語で括られるのは、偶然ではないと思う。
映すことと、透かすことは、性質が違う。
だが、どちらも見ることを助ける。
だから、語が重なる。
そして、絵の中に道具が描かれると、面白いことが起きる。
見る人の目が、二重になる。
絵を見る目と、絵の中で道具を使う目である。
覗き眼鏡の一点では、子どもが箱をのぞいている。
その子が何を見ているかは、こちらからは見えない。
片眼鏡の一点では、男がガラスを通してこちらを見る。
つまり、こちらが見られている側になる。
第二回で、見返す目を扱った。
視線の話で書いたとおり、目が合うと見返される。
ガラスが一枚入ると、その感じが変わる。
九点を並べて、数えられたこと
実際の鏡が写るのは三点。
鏡の意匠が一点。
鏡が画面の外にあるのが一点。
眼鏡や光学の道具が二点。
鏡の形をした供え物が一点。
書物や連作の題に鏡の語があるのが二点。
数が合わないのは、重なる一点があるためである。
つまり、九点のうち、映す鏡は三分の一しかない。
第八回でも、似た散らばりが出た。
語で拾うと、意味の広がりがそのまま集まる。
材料も数えた。
布が三点、紙が五点、そして木とガラスが一点。
大きさの幅も広い。
17.8センチの一葉から、186センチの鏡まで。
記録に書かれていないこと
館の記録は、鏡に何が映っているかを書かない。
冒頭の一点でも、映った顔については何も書かれていない。
題に「鏡を見る」とあるだけである。
だが、あの絵の中心は、映った顔のほうにある。
見ている顔は伏せられ、映った顔がこちらを見る。
つまり、見る側が向き合うのは、像のほうである。
第二回で、こちらを見る顔を数えた。
視線の話では、目が合うかどうかが問題だった。
ここでは、目が合うのは実物ではない。
映った像である。
そして、実物のほうは目を伏せている。
これは、鏡の絵にだけ起きることだ。
第四回で、自画像を扱った。
自画像の話では、鏡を見て描くから目が合うと書いた。
その鏡が、画面の中に現れると、話が一段複雑になる。
描いた人は、鏡を見て描く。
そして、描かれた人も、鏡を見ている。
館の記録は、そこには何も書かない。
書かれているのは、題と、技法と、寸法と、受け入れの経緯である。
そして、鏡を見ている人が何を思っているかも、書かれない。
冒頭の少女は、七歳である。
自分の顔を見て、何を感じたか。
それは、絵にも記録にも残っていない。
残っているのは、二つの顔の向きだけである。
次の回は、この三十回の最後になる。
人を描かない画面を見る。










