作品を知る

虎は、見ずに描かれてきた——牧谿・岸駒・フランツ・マルクほか九点

川の向こうに、虎撃ちがいる

八点目は、風景の中の狩りである。

椰子の木の橋と虎撃ち
ジョージ・カトリン《椰子の木の橋と虎撃ち》1854年から1869年。館の記録では、カード紙に油彩、厚紙に貼付。画面は45.2×63.7センチ。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。番号は1965.16.258。ジョージ・カトリン《椰子の木の橋と虎撃ち》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

明るい水色の川が、画面の中央を横に流れる。

左には、濃い緑の木立が壁のように立つ。

右奥には、細い椰子の木が数本伸びる。

木立から川へ、細長い幹が一本、斜めに渡されている。

橋である。

その手前、川の上に小さな舟が浮かぶ。

舟には人が二人乗り、片方が銃を構えている。

そして右の岸、水際に、獣が二頭いる。

体は茶色く、縞があるように見える。

一頭は水を飲むように頭を下げている。

もう一頭はその後ろに立つ。

大きさは、舟の人より小さく描かれている。

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。

制作の年は1854年から1869年のあいだと、幅で示されている。

この画家の題の付け方については、題と場所で扱った。

題には「虎撃ち」とあるが、まだ撃たれていない。

構えたところで、画面は止まっている。

そして支持体が変わっている。

館の記録では、カード紙に油彩で描き、それを厚紙に貼り付けている。

布でも板でもない。

紙に油を含ませた絵の具を置くと、下地が吸い込んで沈む。

この画面の色が全体に平らに見えるのは、そのためかもしれない。

椰子の緑も、水の青も、厚みを持たずに広がっている。

平らな色の中では、虎の縞も目立たない。

支持体の選び方が、獣の見え方まで決めている。

虎は、床に敷かれる

最後の一点は写真である。

総司令官とその一行、シムラー
ラージャ・ディーン・ダヤール《総司令官とその一行、シムラー》1887年。館の記録では、鶏卵紙プリント。画面は19.5×27.2センチ。番号は2016.266.4。クリーヴランド美術館蔵。ラージャ・ディーン・ダヤール《総司令官とその一行、シムラー》クリーヴランド美術館蔵

屋外に近い広間である。

背後に柱と壁があり、ガラス戸が並ぶ。

その前に、人が十数人集まっている。

椅子に座る者、後ろに立つ者。

男は上着に帽子、女は長い裾の服を着ている。

みなくつろいだ姿勢で、こちらを向いている。

そして床の手前に、敷物が広げられている。

敷物には、頭が付いている。

口を開け、牙が見える。

四肢が左右に広がり、平らに伸びている。

虎の毛皮である。

その上に、白い犬が一頭寝そべっている。

館の記録では、1887年にこの写真家は英国のインド軍の総司令官つきの写真家に任じられた。

写っているのは、その人の家族と友人たちである。

左から三番目に座っているのが、その司令官だという。

一行はその一週間、公式の行事を終えたところだった。

女王の即位五十年を祝う仮装の舞踏会も含まれていた。

その舞踏会が、司令官の家に増築された広間の開きの会だった。

翌日、司令官は勲位を受けた。

館の記録は、そう書いている。

そして虎の毛皮について、こう続ける。

これは英国側の大物狩りの成果を示している。

敷物として使うことは、この遊びに対する英国人の態度を示す。

インドの人々にとって虎は王の力を意味していたが、そこには大きな違いがあるという。

館の記録は、そこまで書いている。

同じ写真家の別の一枚は、牛の回で見た。

そちらでは、軍の牛が隊列を組んでいた。

こちらでは、獣が床に広げられている。

数えてみると

九点を並べ直す。

虎が生きて画面にいるのは、六点である。

対幅の一頭、屏風の五頭、正面の頭、横たわる一頭、ブロンズの一頭、狩りの図の一頭。

川辺の二頭を加えれば七点になるが、そこでは撃たれる直前である。

死んでいるのは、写真の毛皮の一点だけである。

もう一つ数えておく。

九点のうち、虎の縞がはっきりと体に沿って描かれているのは三点である。

横たわる一頭、正面の頭、そして屏風の五頭。

木版では縞は体を離れ、画面全体に散っていた。

対幅では絹が暗くなり、縞はほとんど見えない。

狩りの図では小さすぎて、縞かどうかも定かでない。

縞という特徴は、思ったほど安定して描かれていない。

言えることと、言えないこと

言えるのは、虎が「見たか見ていないか」で描き方の分かれる獣だということである。

骨格が正確な三点は、いずれもヨーロッパの画家の手による。

十九世紀のヨーロッパには、動物園と巡回の見世物があった。

見る機会が増えたことが、脚の付け根の描き方に出ている。

言えないのは、見ていない絵が劣るという話である。

屏風の五頭は、白い余白の中で堂々と体を伸ばしていた。

対幅の一頭は、龍と対をなす力として暗がりに置かれていた。

正確さとは別の役目が、そこには与えられている。

最後に、写真の一点へ戻る。

床に広げられた毛皮には、頭が付いたままだった。

口を開け、牙を見せている。

生きているときの構えを保ったまま、平らにされている。

その上で、犬が眠っている。

九点を数え終えて残るのは、その二つの獣の重なりのほうである。

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