同じ波が、二枚ある——葛飾北斎《神奈川沖浪裏》シカゴ美術館
続き物の、一枚だけ
いま見た一点は、もともと複数枚で一つの画面だった。
隣の紙には、別の役者が描かれていたはずである。
それらは別の場所にあるか、失われている。
館の記録は、その事実を技法の欄に書く。
一枚だけを見ていると、構図が偏って見える。
人物が紙の端に寄り、片側が空く。
隣があることを前提にした作りだからだ。
記録の一語がなければ、この偏りは説明できない。

縦長の紙に、女と子どもが描かれる。
上に女が身をかがめ、手を伸ばす。
髪は高く結い上げられ、櫛が挿さる。
衣は淡い緑と白で、細かい文様が散る。
下には、子どもが座る。
赤い衣を着て、両手で鉢を抱える。
鉢の中には、水と金魚がいる。
子どもは、その水面を見る。
女の手は、子どもの肩のあたりへ伸びる。
背後には、黄土色の襖が立つ。
上の右には、揃物の題を記した枠がある。
十点の中で、いちばん縦に長い大判である。

横長の紙に、夜の川辺が描かれる。
左に、太い木が三本、黒い影として立つ。
葉は塊としてまとめられ、輪郭だけが見える。
その下の橋を、三人が渡る。
一人は白い衣、一人は青い衣を着る。
いずれも荷を背負う。
橋は板を渡した簡素なものだ。
右には水が広がり、淡い青で塗られる。
奥には低い岸と、木立の影がある。
空は上部が灰色で、下は白い。
色数が少なく、黒と青と白でできている。
夜を、色の少なさで示している。

十点でいちばん縦に長い紙である。
縦52.4センチ、横23.5センチ。比は二対一を超える。
画面のほぼ全体を、鶴が占める。
首を右へ伸ばし、体は左を向く。
翼は広げられ、羽の一枚ずつが描かれる。
羽の先は黒く、体は白い。
頭の上には赤い点がある。
背後には松の枝が斜めに走る。
枝には雪が積もり、白く盛り上がる。
松葉は濃い緑で、細かく描かれる。
背景は薄い灰色で、平らである。
細長い紙は、掛けて見るための判型である。
十点を、四つの判型で分ける
十点の判型を数えると、四つに分かれる。
大判が四点。中判が三点。細判が二点。長判が一点。
判型は、値段とも用途とも関わる。
大判は一枚絵として売られる。
中判は、揃物を安く出すときに使われた。
細判は、役者絵に多い。
長判は、掛けて眺めるためのものだ。
判型の名を技法の欄に入れておけば、用途まで推し量れる。
寸法の数字だけでは、そこまでは分からない。
数字と名の両方を書く意味は、そこにある。
紙の色が、そろっていない
十点の画像を並べると、紙の色がまちまちである。
白に近いものもあれば、黄褐色に沈んだものもある。
いちばん古い一七四四年の一枚は、全体が茶色い。
いちばん新しい一八三〇年代の数枚は、比較的明るい。
紙は、時間とともに酸化して色が変わる。
保存の条件によっても差が出る。
光に当たれば、色材も紙も傷む。
館の記録は、紙の色については書かない。
技法の欄に「紙」とあるだけである。
見た目の差は、画像の側にしかない。
そして画像も、撮影の条件で色が動く。
だから断定は避けたほうがよい。
言えるのは、十枚の見え方が一様ではないということまでだ。
出所の行が、四通りに分かれる
十点の出所の行を数えると、四通りある。
ある収集家の名を冠したコレクションが六点。
個人からの寄贈が三点。
そしてもう一人の個人からの寄贈が一点。
版画は、まとめて集められやすい。
一枚あたりの値が絵画より低く、数を揃えやすいからだ。
十点のうち六点が同じ収集から来ているのは、その表れである。
来歴の欄を読むと、画商の名も繰り返し出てくる。
ニューヨークの画商、シカゴの収集家、ドイツの収集家。
二十世紀初めに、日本の版画が欧米で盛んに集められた。
その動きが、来歴の行に残っている。
二枚あることの、意味
最後に、入口の二枚へ戻りたい。
同じ図柄が二枚あるのは、無駄ではない。
摺りの違いを比べられるからだ。
版木の減り方、絵具の濃さ、紙の状態。
一枚しかなければ、それは「この作品の姿」になる。
二枚あれば、「この一枚の姿」になる。
同じ版から出た紙が、どれだけ違いうるか。
その幅を知って、はじめて一枚を正しく見られる。
館の記録は、二枚に別々の番号を与えた。
同じものだからと、まとめたりはしない。
まとめてしまえば、比べられなくなる。
番号を分けることは、比べる余地を残すことでもある。
十点のうち二点が同じ図柄であることは、記録の上では偶然に見える。
しかし、その偶然が一つの見方を可能にしている。
版画を見るときは、まず「これは何枚目か」と考えるとよい。
同じ図柄が、世界中の館に何十枚もある。
そのうちの一枚が、いま目の前にある。
一枚しかない絵とは、そこが違う。
違いを知って見れば、色の濃さや線の太さが気になりはじめる。
気になりはじめたら、もう版画の見方に入っている。
館の記録は、そのための材料を淡々と並べている。
寸法、技法、判型、版元、そして来歴。
どれも短い欄だが、並べれば一枚の立ち位置が見えてくる。
そして二枚並んだときには、比べるという道が開く。
館が番号を二つ与えたのは、その道を閉じないためでもある。
三年をおいて別々に届いた二枚が、いま同じ記録の中に並んでいる。
来歴の行だけが、その別々の道を覚えている。
一枚は海を渡り、もう一枚は大陸を経てきた。
同じ版から生まれた紙が、百年後に隣り合う。









