一枚の版画に、四種類の文字——広重《名所江戸百景》ほか九点
右上に揃いの名と一枚ごとの題、左に絵師の赤い札、隅に版元と検めの印。四つとも役目がまったく違う。そして全部が版木に彫られ、何百枚にも同じ形で摺られていく。分業の証拠としての文字を読みたい。摺られた文字は手書きではない。

一枚の版画に、四種類の文字がある
版画を九点、記録の欄で並べてみる。
九点とも、画面の中に文字が刷られている。
しかも、一か所ではない。
右上に、題を入れた枠が二つ。
左に、絵師の名を入れた細長い赤い札。
左下か右下に、小さな印が二つか三つ。
つまり、四種類の文字が同じ紙にある。
それぞれ、役目が違う。
版木は、何枚も要る
多色の版画は、色ごとに版木を彫る。
墨の線を彫る版が一枚。
赤の版が一枚。
青の版が一枚。
そうやって、色の数だけ版が要る。
十色使えば、十枚を超える。
そして、紙を同じ位置に置いて重ねる。
ずれれば、輪郭から色がはみ出す。
だから、版木に位置合わせの印を彫る。
その印も、彫られた文字のようなものである。
誰が、それを刷ったのか
これらの文字は、絵師が描いたものではない。
正しくは、絵師が描いたのは絵だけである。
題も、名も、印も、版元が用意する。
そして、彫師が版に彫る。
摺師が、色ごとに摺る。
前の回で、分業の話をした。
版画は、そのいちばん分かりやすい例である。
画面の文字は、その分業の証拠でもある。
枠の形は、いろいろある
題を入れる枠の形は、揃いごとに違う。
四角。
短冊形。
団扇の形。
巻物を広げた形。
雲の形をしたものもある。
つまり、枠自体が装飾になっている。
枠の中の文字は、たいてい縦書きである。
そして、枠の色は赤か黄が多い。
画面の中で、目立つ色が選ばれている。
右上の枠を、題箋という
右上には、たいてい四角い枠がある。
その中に、揃いの名が入る。
さらに、その隣か下に、もう一つ枠がある。
そこに、その一枚の題が入る。
つまり、二段構えである。
大きな括りと、個別の名。
本でいえば、書名と章の題にあたる。
九点とも、この形をとっている。

縦長の版画である。
中央に、長い橋が斜めに架かる。
橋板は淡い黄で、太い杭が並ぶ。
橋の上を、人が数人渡る。
いずれも、笠や蓑をかぶる。
一人は、傘を差す。
画面の全体に、細い線が斜めに走る。
雨である。
線は上から下へ、二方向に重なる。
奥は暗い灰色で、対岸が沈む。
右上に、二つの枠が並ぶ。
百という数
揃いの名に百という数を入れる例は、多い。
百景、百人一首、百物語。
必ずしも、ちょうど百とは限らない。
多い、という意味で使われることもある。
九点のうち八点が属する揃いは、百二十枚を超えた。
つまり、名前より多く作られた。
売れたから、続けたのだろう。
数を決めておいて、超える。
商売としては、うまいやり方である。
揃いの名が、大きく入る
この揃いの名は、百景と数を含む。
つまり、百枚以上作るという宣言である。
実際には、百二十枚を超えた。
買う人は、集めたくなる。
一枚ずつ買い、揃えていく。
前の回で、揃い物の売り方を書いた。
数を名前に入れるのは、その工夫の一つである。
館の題も、その揃いの名を含む。
番号だけが、違う
同じ図の二枚は、館の番号で区別される。
一枚は643、一枚は644。
つまり、続き番号である。
同じ時期に、まとめて館に入ったのだろう。
前の回で、番号が受け入れの順を示す話をした。
ここでも、同じことが起きている。
そして、番号以外に区別する手がかりが少ない。
題も、年も、技法も、寸法も同じである。
番号だけが、二枚を分けている。
同じ図が、二枚ある
九点のうち二枚は、同じ図である。
題も、揃いの名も同じ。
つまり、同じ版から摺られた別の一枚だ。
並べてみると、印の位置は同じである。
違うのは、色の濃さと、紙の状態だけだ。
摺る時期が違えば、色が変わる。
版が摩耗すれば、線が太くなる。
館の年の欄は、どちらも同じ年を書く。
しかし、番号は別である。

縦長の版画である。
構図は、前の一枚と同じである。
中央に、長い橋が斜めに架かる。
橋の上を、人が渡る。
雨の線が、画面を斜めに走る。
ただし、奥の灰色がやや濃い。
橋板の黄も、わずかに強い。
上の空の暗い部分が、広く見える。
右上の枠の色は、同じである。
左下の印も、同じ位置にある。
紙の縁の傷み方だけが違う。
初期の摺りと、後の摺り
版画は、売れれば繰り返し摺られる。
初期の摺りは、線が細く鮮明である。
版木が新しいからだ。
摺りを重ねると、版木が摩耗する。
線が太くなり、細部が潰れる。
さらに、色を減らすこともある。
手間を省くためである。
つまり、後の摺りほど簡素になる。
館の記録は、そこまで書かない。
見比べて判断することになる。
摺りの違いを、どう見るか
同じ版でも、摺りは一枚ずつ違う。
絵具の量、紙の湿り、圧のかけ方。
そのすべてが、仕上がりを変える。
とくに、空の色は変わりやすい。
濃くも、薄くも摺れる。
だから、二枚を並べると差が見える。
館の記録は、その差を書かない。
書けるのは、番号が別であることだけだ。
差を見るには、並べるしかない。
号の下に、描くという語
赤い札の中には、号だけでなく短い語が入る。
描いた、という意味の一文字である。
つまり、この人が描いた、と明示している。
前の回で、西洋の署名の動詞を見た。
同じ働きの語が、こちらにもある。
一文字で済むので、場所を取らない。
そして、彫るのも簡単である。
言葉の作りが、彫りやすさに合っている。
絵師の名は、赤い札に入る
九点とも、画面の左に細長い赤い札がある。
その中に、絵師の号が縦に入る。
札は、鳥居のような形をしていることが多い。
赤い地に、白く文字が抜ける。
つまり、目立つ。
前の回で、西洋の署名が隠れる方向にあると書いた。
こちらは、正反対である。
札まで用意して、目立たせる。

縦長の版画である。
手前に、格子の窓がある。
格子は縦の桟で、細く並ぶ。
窓辺に、白い猫が座る。
背を向け、外を見る。
猫の首に、赤い紐が見える。
窓の外に、田が広がる。
その向こうに、白い富士が立つ。
空は、上が暗く下が赤い。
手前の畳に、白い紙と道具が置かれる。
右上に、二つの枠が並ぶ。
二代目という、名の継承
九点のうち一点の作者は、二代目である。
先代の号を、そのまま受け継いでいる。
弟子が、師の名を継ぐ。
これは、当時よく行われた。
名前が、商標のように働いていたからだ。
名が売れていれば、継いだほうが得である。
館の作者の欄は、二代目と明記する。
そうしないと、先代と混ざる。
前の回で、同じ名の親子の話をした。
記録は、そこを分けなければならない。
名を、売り物にする
絵師の名を目立たせるのは、なぜか。
売れるからである。
名の通った絵師の絵は、高く売れる。
だから、名を隠す理由がない。
むしろ、大きく出す。
赤い札は、そのための装置だ。
つまり、これは看板に近い。
前の回で、看板の文字の話をした。
同じ考え方が、ここに持ち込まれている。

縦長の版画である。
画面の上半分に、細い竹が何本も立つ。
竹に、短冊や飾りが結ばれる。
赤、白、黄の細長い紙が揺れる。
一つに、瓢箪の形の飾りがある。
一つに、大きな魚の形が下がる。
下半分に、瓦屋根が連なる。
屋根は白と灰で、規則正しく並ぶ。
奥に、白い富士が小さく見える。
空は明るい水色である。
右上と左に、枠と札がある。
検めの印という、手続き
出版の前に、許可を受ける仕組みがあった。
内容を検め、問題がなければ印を押す。
その印が、版木に彫られる。
だから、摺られた紙にも出る。
つまり、許可の証拠が商品に付いている。
時期によって、印の形が変わった。
だから、印の形から年代が分かる。
研究者は、その変化を整理している。
館の年の欄は、その成果に基づいている。
左下の小さな印
九点の左下か右下には、小さな印がある。
丸いもの、楕円のもの、四角いもの。
これらは、版元の印と、検めの印である。
版元の印は、どこが出したかを示す。
検めの印は、許可を受けたことを示す。
そして、年月を示す印も押される。
つまり、いつ出版されたかが分かる。
館の年の欄は、その印から決まっている。
印が、日付を運ぶ
年月の印は、小さい。
直径は、一センチに満たない。
その中に、干支と月が刻まれる。
読むには、拡大が要る。
しかし、読めれば正確な日付が分かる。
絵の中のどんな文字より、確かな情報である。
前の回で、日付ありという語の話をした。
版画では、印がその役目を果たしている。
小さいほど、確かなことがある。
年の欄が、月まで書かれる理由
九点のうち一点は、年の欄に月が入る。
八月、と書かれている。
これは、印に月が示されているからだ。
つまり、記録の細かさは印の細かさに従う。
印に月がなければ、年までしか書けない。
前の回で、記録が現物に寄せて作られる話をした。
ここでも、同じことが起きている。

縦長の版画である。
手前に、川の上に張り出した床がある。
床の上に、人が数人座る。
赤や白の着物が見える。
床の下を、浅い水が流れる。
その奥に、細い柱が何本も立つ。
さらに奥に、白い提灯が横一列に並ぶ。
提灯の上に、屋根が続く。
上のほうは、暗い夜空である。
右上に、二つの枠がある。
左上に、絵師の名が入る。
鶴という、主題
この一枚には、大きな鶴が描かれる。
上から羽を広げ、画面を横切る。
大胆な構図である。
鶴は、めでたい鳥とされた。
そして、白い羽根は摺りの見せ場になる。
紙の白をそのまま残す。
前の回で、白を塗らずに作る話をした。
版画では、紙の白が最も明るい色である。
だから、白い鳥は理にかなった主題でもある。
干支で、年を示す
九点のうち一点は、年の欄に干支が入る。
蛇の年、と書かれている。
そして、いま使う数字が添えられる。
つまり、印に干支が刻まれていた。
前の回で、干支の話をした。
版画の検めの印にも、同じ仕組みが使われている。
年の欄の書き方が、印の内容を反映している。

縦長の版画である。
画面の上に、大きな鶴が羽を広げる。
首を下へ伸ばし、嘴が長い。
羽根は白く、先が黒い。
その下に、もう一羽が立つ。
首をまっすぐ立てる。
足もとは、緑と黄の田である。
水が、細く光る。
奥に、木立と家が並ぶ。
空は、上が青く下が赤い。
右上と左下に、枠と印がある。
夜を、摺る
九点のうち二点は、夜の場面である。
空を暗く摺り、下を明るく残す。
この摺り方を、ぼかしという。
版木に絵具を置き、刷毛で伸ばす。
すると、濃さが連続して変わる。
一枚ずつ手で加減するので、摺りごとに違う。
つまり、量産品でありながら一枚ずつ違う。
前の回で、複製と反復の話をした。
版画は、その境目にある。

縦長の版画である。
画面の上半分は、暗い夜空である。
その中に、白い光の点が散る。
花火である。
細い線が、下から上へ伸びる。
中央に、長い橋が横に架かる。
橋の上に、小さな人影が並ぶ。
橋の下の川に、舟が浮かぶ。
舟は数十艘あり、赤い灯が見える。
水面は、青と黒で表される。
右上と左に、枠と札がある。
枠の形と色が、揃いを示す
揃いの中では、枠の形と色が揃えられる。
九点のうち八点は、同じ揃いの中の一枚だ。
だから、右上の枠が同じ形をしている。
色も、赤と黄で共通する。
つまり、枠を見れば同じ揃いだと分かる。
前の回で、揃いの名を刷る話をした。
形と色でも、同じことをしている。
言葉と見た目の、両方で示す。

縦長の版画である。
画面の上から、紅葉の枝が垂れる。
葉は赤と褐色で、密に茂る。
枝は、左右に大きく広がる。
その隙間から、下の景色が見える。
中央に、水面が横たわる。
その上に、細い橋が架かる。
奥に、赤い建物と木立がある。
さらに奥に、山が霞む。
空は、上が青く下が桃色である。
右上と左下に、枠と印がある。
木の枝で、画面を縁取る
いま見た一点は、上から枝が垂れる。
これは、この絵師がよく使う構図である。
手前の物を大きく置き、奥を小さく見せる。
前の回で、遠近の示し方を書いた。
こちらは、大小の対比で奥行きを作る。
そして、枝の隙間が窓のようになる。
その窓から、景色を覗く形になる。
文字の枠も、同じく窓の一種である。
画面の中に、別の平面が開く。

縦長の版画である。
画面の下に、瓦屋根の建物がある。
その右に、細い柱が立つ。
柱に、赤い旗が結ばれる。
旗は、風で横になびく。
中央に、広い川が横たわる。
水面に、小舟がいくつも浮かぶ。
対岸に、家並みが低く続く。
上のほうは、深い青の空である。
その中を、鳥が一羽飛ぶ。
右上に、二つの枠が並ぶ。
文字が、構図の一部になる
九点の画面で、文字の枠は目立つ。
赤と黄の四角が、右上にある。
これは、絵の一部として計算されている。
もし枠がなければ、右上が空く。
空けば、画面の重さが崩れる。
つまり、絵師は枠の場所を見込んで描いている。
前の回で、署名の場所を構図で決める話をした。
版画では、それがさらに徹底している。
印の位置は、決まっている
版元の印と検めの印は、隅に押される。
左下か、右下である。
そして、小さい。
読ませるためではないからだ。
必要なのは、そこにあることである。
役所に対して、許可を受けた証拠になる。
つまり、これは手続きの文字だ。
絵の内容とは関わらない。
館の記録も、内容は写さない。
記録が、印を読んでいる
ただし、館は印を読んでいる。
年の欄に、その結果が反映されている。
蛇の年、八月。
こうした情報は、印からしか得られない。
つまり、読んだうえで欄に入れている。
読んだ過程は、公開の欄に現れない。
結果だけが、数字として置かれる。
前の回で、結論と写しの違いを書いた。
ここでは、結論だけが出ている。
四種類の文字を、まとめておく
九点の画面にある文字を、整理する。
揃いの名を入れた枠。
その一枚の題を入れた枠。
絵師の名を入れた赤い札。
そして、版元と検めの小さな印。
四つとも、性質が違う。
一つは商品の分類。
一つは個別の名。
一つは作り手の名。
一つは手続きの証明である。
一枚の紙が、四つの役目を同時に担っている。
絵と文字が、同じ版から出る
最後に、当たり前のことを書いておく。
これらの文字は、絵と同じ版木に彫られる。
つまり、絵具で書かれていない。
彫られ、摺られたものである。
だから、何百枚でも同じ文字が出る。
手書きの署名なら、一枚ずつ違う。
彫られた署名は、全部同じである。
前の回で、印が複製の道具だと書いた。
版画では、署名そのものが複製されている。
紙の大きさが、決まっている
九点の版画は、いずれも同じ判型である。
大判と呼ばれる大きさだ。
縦およそ37センチ、横およそ25センチ。
この寸法は、紙の元の大きさから決まった。
漉いた紙を、無駄なく切り分ける。
すると、この大きさになる。
つまり、紙の作り方が絵の形を決めている。
前の回で、判型の話を何度かした。
材料の都合が、いちばん上流にある。
揃いを、集める人たち
揃い物を集める人が、当時からいた。
一枚ずつ買い、綴じて保管する。
あるいは、貼り込み帳に貼る。
前の回で、画帖に仕立てられた版画を見た。
集める人がいるから、揃いが作られる。
そして、揃いが作られるから、集めたくなる。
売る側と買う側が、互いを支えている。
館に入った九点も、そうやって集められたものだろう。
番号が近いのは、その名残である。
文字が、絵を説明しない
九点の枠の中の文字は、絵を説明しない。
場所の名を書くだけである。
何が起きているかは、書かない。
雨が降っている、とは書かない。
花火が上がっている、とも書かない。
見れば分かるからだ。
書かれるのは、見ても分からないことだけである。
どこの景色か。
誰が描いたか。
いつ出たか。
その三つに絞られている。
一枚の値段
こうした版画は、当時は安価な商品だった。
そば一杯ほどの値段だったと言われる。
だから、誰でも買えた。
買って、貼って、飽きたら捨てる。
そういう扱いも多かっただろう。
いま館に並ぶ九点は、捨てられなかった分である。
そして、海を渡って残った。
安い商品が、二百年近く残る。
紙が丈夫だったこともある。
集める人がいたことも大きい。


