習作という語が指す五つのもの——マウルベルチュ・ジロデ・ベローズほか九点

縦長の写真である。
太い木が、画面の中央に立つ。
その幹に、少年が二人取りついている。
一人は、幹の高いところにいる。
体を反らせ、腕を上げる。
もう一人は、その下で幹を抱える。
顔は下を向く。
まわりは、葉の茂った枝である。
地面は草である。
左下に、白いものが落ちている。
背景は、明るく飛んでいる。
第十二回で、この作者の別の一点を見た。
座る話で扱ったのは、草に座る二人だった。
作者の欄には、同じ書き方がある。
会社の名と、そこで撮った誰か、という呼び方である。
題に「習作」とある。
つまり、絵を描く人に売るための写真である。
姿勢や場面の見本として使われた。
館の記録は、そこまでは書いていない。
書かれているのは、題と、技法と、寸法である。
習作は、どこで手を抜くか
九点のうち、下絵にあたる三点を見比べたい。
共通するのは、省略の仕方である。
顔が省かれる。
三点とも、人物の顔は数筆で置かれている。
目と口が、点や短い線になる。
構図の下絵では、顔は要らない。
必要なのは、人がどこに何人いるかである。
そして、色の配置である。
赤い衣がここ、青い衣がここ、と決めておく。
本番では、その配置を守って描き込む。
だから、下絵の色は本番より強いことがある。
配置を確かめるために、はっきり置くからだ。
もう一つ省かれるのは、背景の細部である。
建物の窓の数や、床の模様は描かれない。
面としての明暗だけが置かれる。
逆に、省かれないものもある。
明暗の大きな配分である。
どこが明るく、どこが暗いか。
これは、下絵の段階で決めなければならない。
三点とも、明暗の配置ははっきりしている。
第十九回で、画面の中の光源を扱った。
光源の話で見たとおり、光の位置は構図を決める。
下絵で決めるのは、まずそこである。
習作という語が、値段を変える
九点のうち二点は、「習作」と題された完成作だった。
版画の一点と、赤い背景の油彩である。
どちらも、署名がある。
売るために作られている。
では、なぜ「習作」と呼ぶのか。
理由は、いくつか考えられる。
一つは、内容がそうだからである。
体を写しただけの絵に、ほかの題は付けにくい。
物語もなく、名前もない。
もう一つは、慣習である。
十九世紀には、この語を題に使う作品が多く作られた。
完成度を問わない、という含みがある。
そして、三つ目に、扱いの問題がある。
習作と呼べば、完成作ほどの重みを持たない。
軽く出せるし、軽く買える。
ただし、これはこちらの見立てである。
館の記録には、そうした事情は書かれていない。
書かれているのは、題と、技法と、寸法と、受け入れの経緯だけだ。
九点のうち、値段に触れた記録は一つもない。
第十八回で、出所の行を読んだ。
出所の行の話で見たとおり、記録は金の出どころを残す。
だが、いくらだったかは書かない。
九点を並べて、数えられたこと
本番のための下絵が三点。
部分を試す紙が二点。
「習作」と題された完成作が二点。
見本として売られた写真が一点。
外で描くための小品が一点。
つまり、五つの意味が混じっている。
大きさも数えた。
いちばん小さいのは、下絵の15.2×23.3センチ。
いちばん大きいのは、下絵の69.5×52.3センチ。
九点のうち、縦が70センチを超えるものは一つもない。
習作は、小さい。
これは、当然でもある。
試すためのものだから、材料を惜しむ。
そして、早く仕上げる必要がある。
材料も数えた。
布が四点、紙が三点、厚紙が一点、写真が一点。
記録に書かれていないこと
館の記録は、習作の語を題に書く。
九点すべてで、そうなっている。
そして、三点では「何のための」かも書かれる。
「キリストの神殿奉献のための」「カイロの反乱のための」「インディアンの肖像のための」。
つまり、完成作の名前が題に入る。
これは、記録の側の判断である。
下絵だけを見ても、何の下絵かは分からない。
完成作と突き合わせて、はじめて分かる。
そして、その完成作は別の場所にある。
館の記録は、完成作がどこにあるかを書かない。
教会の名は書かれている。
だが、いま何が残っているかは書かれていない。
もう一つ、記録が書かないことがある。
その習作が使われたかどうかである。
下絵を描いても、本番で変えることはある。
まったく使われないこともある。
九点のどの記録にも、そこは書かれていない。
残っているのは、試した跡だけである。
そして、九点のうち五点には、本番にあたる作品がない。
もともと存在しないのか、失われたのか。
そのどちらかも、記録からは分からない。
残っているのは、準備の跡だけである。
準備の跡だけが残ると、それ自体が作品になる。
館の壁に掛かり、番号が付き、寸法が測られる。
九点は、いずれもその段階に入っている。
次の回は、二人が向かい合う画面を見る。
一人の姿勢から、人と人の関係へ移りたい。










