暮らしと名画

担ぐと、体が傾く——ピアッツェッタ・ゴヤ・春章ほか九点

神が、三叉の矛を携える

最後の一点では、担ぐのは神である。

ネプトゥヌスの凱旋
シャルル・ジョセフ・ナトワール《ネプトゥヌスの凱旋》1766年以降。館の記録では、クリーム色の簀の目紙二枚に水彩と黒チョーク。画は23.8×34.1センチ。番号は2013.48。クリーヴランド美術館蔵。シャルル・ジョセフ・ナトワール《ネプトゥヌスの凱旋》クリーヴランド美術館蔵

横長の水彩である。

画は23.8×34.1センチある。

画面の上端は、丸く弧を描く。

天井の形に合わせてある。

画面の中央に、車がある。

車は貝の形をしている。

車には、大きな車輪が付く。

車を引くのは、白い馬である。

馬は二頭で、前脚を上げる。

馬の後ろ半分は、水に沈む。

車の上に、男が立つ。

男は裸で、体が大きい。

右腕を高く上げる。

その手に、長い棒を握る。

棒の先は、三つに分かれる。

三叉の矛である。

矛は画面の上まで届く。

車のまわりに、人物が数人いる。

一人は、貝の笛を吹く。

一人は、水の中から見上げる。

上のほうには、雲がある。

雲の中に、顔が二つある。

顔は口をすぼめ、息を吹く。

風を表している。

館の記録では、この素描はある壁画にもとづく。

その壁画は、ある宮殿の丸天井を飾っているという。

そして館は、場面を説明している。

三叉の矛を携えた神が、車で波を滑る。

まわりには、いくつもの神と、息子と、海豚が付き従う。

嵐を起こし、海を静める力を持つその神が、暗い雲のほうを指し示す。

その雲では、二つの吹く顔が風を擬人化しているという。

館の記録は、そう説明している。

つまり担ぐという語は、ここでは携えることである。

重さは、問題になっていない。

矛は長く、画面の上端まで届く。

腕は伸びきり、肘が張らない。

持ち上げるというより、掲げている。

そして車は、馬に引かれて進む。

神は、自分では運んでいない。

九点のうち、荷を引かせているのは、この一点である。

海と岸については、海と岸で扱った。

数えてみると

九点を並べ直す。

人を担いでいるのは、三点である。

肩の子、負傷した兵士、そして十字架を担う二点のうち。

数え直すと、人が二点、十字架が二点である。

十字架は物だが、人の代わりに担がれる。

だから、どちらに数えるかで結果が変わる。

数える基準を先に決めなければ、答えが出ない。

物を運んでいるのは、三点である。

頭の籠、胸の果実、そして肩の絵。

担ぐ役を演じるのが、一点。

担ぐことが画家の名なのが、一点。

神が矛を携えるのが、一点である。

九点のうち、荷が画面の中心にあるのは五点である。

残る四点では、荷は肩の上か、頭の上にある。

中心から外れるほど、体の傾きが強くなる。

肩に乗せれば、片側だけが重くなる。

頭に乗せれば、左右は釣り合う。

置く場所が、姿勢を決めている。

もう一つ数える。

九点のうち、荷が肩に乗るのは四点である。

頭に乗るのが一点、胸に抱えるのが一点。

残る三点では、荷は手で持たれるか、二人以上で支えられる。

さらに数える。

九点のうち、荷が体より大きいのは三点である。

二本の十字架と、絵の板。

どれも、画面の外へはみ出している。

大きすぎる荷は、枠に収まらない。

収まらないことが、大きさを伝えている。

そして三点とも、荷は斜めに置かれている。

縦でも横でもなく、斜めである。

斜めであれば、長いものが枠に入る。

画面の対角線が、最も長い線だからである。

言えることと、言えないこと

言えるのは、担ぐ姿が「傾きで示される」ということである。

重い荷を持てば、体は反対側へ傾く。

膝は曲がり、背は丸まる。

九点のうち五点で、体は明らかに傾いていた。

そして荷が軽い二点では、体はまっすぐだった。

幼い子の像と、頭に籠を載せる姿である。

頭で担ぐときは、背をまっすぐにするほうが楽である。

傾ければ、落ちる。

だから姿勢は、荷の位置で決まる。

傾きの角度が、そのまま重さの目盛りになる。

言えないのは、担ぐ場面に荷が要るという話である。

役者の一枚には、駕籠がない。

あるのは、腰を落とした姿勢だけである。

その姿勢だけで、館は役者絵と分かる。

姿勢が、荷の代わりをしている。

最後に、はじめの一枚へ戻る。

男は杖を握り、体を右へ傾けている。

肩の上の子は、小さく軽そうに見える。

しかし伝えでは、その子は進むほど重くなった。

見えている大きさと、実際の重さが合わない。

九点を数え終えて残るのは、その食い違いのほうである。

絵は、重さを直接には描けない。

描けるのは、体の傾きと、顔の表情だけである。

この一枚では、その二つが揃っている。

口は開き、額に皺が寄る。

体は右へ傾き、杖に頼る。

小さな子が、その全部を引き起こしている。

見る側は、その差から重さを読む。

読めるのは、伝えを知っているからである。

知らなければ、軽い子を担ぐ男に見える。

題が、その読みを引き受けている。

館の札に並ぶ二つの名が、伝えを呼び出す。

名前がなければ、ただの渡し場の絵になる。

九点のうち、題が意味を決めているのは四点である。

聖人の名、十字架の名、役者の役の名、そして神の名。

どれも、画面だけでは決められない。

運ばれているものが何かは、題が告げる。

重さだけが、姿勢から読める。

何を運んでいるかは、言葉から読む。

二つの読み方が、一枚の中で並んでいる。

姿勢は、誰にでも読める。

名前は、知っている人にしか読めない。

九点は、その二層でできている。

下の層に、体の形がある。

上の層に、名前と物語がある。

下の層だけでも、担いでいることは分かる。

上の層がなければ、何を担ぐかが分からない。

姿勢は共通し、荷は個別である。

共通するものが、まず目に入る。

個別のものは、あとから読む。

その順序は、九点のどれでも変わらない。

姿勢が先、名前が後である。

体が、いつも先に見える。

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