美術史・技法

祭壇画は、なぜ切り離されたのか——シモーネ・マルティーニと金地の板

金地に聖人が一人だけ描かれた小さな板絵。それはもともと、大きな祭壇画の部品だった。誰が、なぜ切り離したのか。寸法と銘記と来歴の記録を手がかりに、ニューヨークとワシントンに散った断片から、失われた祭壇の全体を推理する。

聖アンデレ
シモーネ・マルティーニ《聖アンデレ》メトロポリタン美術館蔵

金色の板が、一枚だけある

一枚の板絵から始めたい。

聖アンデレ
シモーネ・マルティーニ《聖アンデレ》1317〜19年ごろ。テンペラ・板、金地。額縁部分を含めて縦29.8センチ、横22.2センチ。画面は縦26.4センチ、横20センチ。メトロポリタン美術館蔵。シモーネ・マルティーニ《聖アンデレ》メトロポリタン美術館蔵

小さな板である。額の部分を含めても、縦29.8センチしかない。

開いた本より、ひとまわり大きい程度である。

金色の枠は後付けの額ではない。板と一体で作られた、元からの枠である。

700年前の木と金箔が、この寸法のまま残っている。

上端はアーチ形にくり抜かれ、地は一面の金箔である。

緑の外衣をまとった男が、胸から上だけ描かれている。

髪と髭は灰色がかり、視線は画面の外、右のほうへ向く。

左手は赤い装丁の本を持つ。右手は細い十字架を斜めに支える。

頭の左右に、赤い文字が読める。「SCS」と「ANDREAS」。

ラテン語で「聖アンデレ」の略記である。

つまりこの板は、名札つきの聖人像である。

十字架は聖アンデレの持物である。この聖人は十字架にかけられて殉教したと伝えられる。

物語を描かなくても、道具と名前で人物が特定できる。中世の絵の約束事である。

技法はテンペラ。卵黄で顔料を練る絵の具で、油彩より速く乾き、艶のない澄んだ色になる。

金地は、板に赤土の下地を塗り、その上に金箔を貼って磨いたものである。

背景を金にするのは、ここが現実の空間ではなく、天上だという合図でもある。

そして金は、絵の具より高くつく。祭壇画の金地は、注文主の財力の表明でもあった。

ただ、様子がおかしい。聖人は一人きりで、物語がない。

視線は画面の外へ向かい、そこで何かが起きているかのようである。

誰に向けて、何のために作られた絵なのか。

そして、なぜ一枚だけでニューヨークにあるのか。

一枚ではなかった

答えを先に言えば、この板はもともと一枚ではなかった。

大きな祭壇画の、部品の一つである。

14世紀のイタリアでは、教会の祭壇の上に木の衝立のような絵を立てた。

中央に聖母子や主題の場面を置き、左右に聖人を並べ、全体を金地で覆う。

板を何枚も枠でつなぐため、多翼祭壇画と呼ばれる。

聖人の板は、いわば列柱である。中央へ視線を導き、祭壇全体を宮殿のように見せる。

下段には、物語の小さな絵が横一列に並ぶことがある。プレデッラという。

上段の板がアーチ形なのは、全体が教会建築の窓や扉の形に合わせて設計されたからである。

つまり祭壇画は、絵というより組み立て物だった。

制作も分業である。指物師が板と枠を組み、金箔師が地を作り、画家が最後に絵を入れる。

契約書には、金の純度や納期まで書き込まれた。祭壇画は工事だったのである。

そして組み立て物は、分解できる。

ねじを外すように板を外し、のこぎりで挽き分ければ、一基の祭壇画は十数枚の「絵」になる。

この記事では、分解されて世界に散った板を、当サイトの公開画像でたどってみたい。

手がかりは三つ。寸法と、銘記と、所蔵館の来歴記録である。

道具立てはそれだけで足りる。あとは板が語ってくれる。

同じ顔つきの板が、二つの街にある

《聖アンデレ》の作者はシモーネ・マルティーニ。

14世紀シエナを代表する画家で、記録では1315年までに活動を始め、1344年に南フランスのアヴィニョンで没した。

当サイトには、同じ形式の板があと二枚ある。

聖バルトロマイ
シモーネ・マルティーニ《聖バルトロマイ》1317〜19年ごろ。テンペラ・板、金地。額縁部分を含めて縦29.5センチ、横21.9センチ。画面は縦26.4センチ、横19.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。シモーネ・マルティーニ《聖バルトロマイ》メトロポリタン美術館蔵
聖シモン
シモーネ・マルティーニ《聖シモン》1315〜20年ごろ。テンペラ・板。画面は縦26.2センチ、横19.7センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。シモーネ・マルティーニ《聖シモン》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

《聖バルトロマイ》は、皮剥ぎの刃物と本を持つ。衣は薄紫で、襟に宝石の縁飾りが光る。

殉教の道具を胸元に抱える姿が、金地の華やぎと不釣り合いで、かえって目を引く。

《聖シモン》は緑の外衣で、赤い本を撫でるように押さえる。

こちらの銘記は「SANTUS」「SYMON」。所蔵館の記録が字句まで書き留めている。

三人とも、顔の作りが似ている。細い眉、切れ長の目、小さな口。

輪郭は柔らかいが、線は正確である。

ビザンティンのイコンの端正さに、シエナの画家たちが優美な線を加えた顔立ちである。

シモーネはこの様式の完成者とされ、のちにアヴィニョンの教皇庁にも招かれた。

小さな部品にも、当代一流の手が入っている。祭壇画が総力戦だったことが分かる。

三枚を並べると、同じ設計であることが分かる。

アーチ形の枠。金地。胸から上の聖人。名前の銘記。

そして画面の寸法は、縦26.2〜26.4センチ、横19.7〜20センチ。数ミリしか違わない。

別々の絵なら、ここまで揃う理由がない。

三人の視線も、ばらばらではない。

《聖アンデレ》と《聖シモン》は右を向き、《聖バルトロマイ》はほぼ正面を向く。

聖人たちは列の中で、中央の一点に顔を向けていたはずである。

なお、ニューヨークの二枚は「メイトランド・グリッグス・コレクション」の旧蔵で、
1943年の遺贈で美術館に入った。

ワシントンの板とは、最後の持ち主が違う。散り方の生々しい記録である。