抱くと、輪郭が一つになる——デューラー・ムリーリョ・ドガほか九点
腕が体を囲むと、どこまでが抱く人か分かりにくくなる。抱くの九点を数えると、六点で対象は子、二点で鳥だった。古代の器では抱くことが人質を取ることであり、板の器具では動作の一部を道具が引き受けていた。同じ形が守ることにも奪うことにもなる。

光の輪の下で、包まれた子が抱かれている
小さな版画である。
版の跡は14.2×9.6センチしかない。
線はすべて細く、黒い。
画面の中央に、女が座る。
座っているのは、大きな座布団の上である。
座布団は膨らみ、下で潰れている。
体は正面をやや向く。
顔はうつむき、目は伏せられる。
眉のあたりに、影が落ちる。
髪は長く、肩の両側へ流れる。
髪の束は、細かい線でうねる。
頭の後ろに、白い円がある。
円は光の輪である。
輪からは、細い光の筋が四方へ伸びる。
筋は下の地面まで届く。
膝の上に、子どもがいる。
子どもは布で巻かれている。
布は体をきつく包む。
腕も脚も、外へ出ていない。
首から下は、一本の棒のようである。
顔だけが、布から出ている。
目は閉じている。
口も閉じている。
子どもの頭にも、小さな光の輪がある。
女の両手は、その体を支える。
右手は肩の下、左手は腰の下にある。
衣は厚く、大きな襞を作る。
襞は下で床に広がる。
画面の下には、小さな板がある。
板に、年と記号が刻まれる。

館の記録では、これはこの画家の描いたこの主題のうち、最も悲しみに満ちたものの一つである。
以前の版画と違い、二人は記念碑のような姿で示されている。
母は大きな座布団に座り、きつく巻かれた子を物思わしげに抱く。
その巻き布と、閉じた目と、こわばった姿は、後の死と埋葬の布を思わせるという。
そして、母がそれを先に知っていることを強めているという。
さらに館は、光の輪について書いている。
輪を白い球として描き、地上へ光の筋を放たせることで、母の聖性に目を向けさせる。
館の記録は、そう説明している。
つまり抱かれているのは、生きた子の姿ではない。
布で巻かれ、動かない形である。
この画家の板絵については、板の絵で扱った。
抱くは、九つの場所に現れる
この一枚を出発点に、抱くにまつわる九点を数えていく。
抱くという動作は、両手で体を支えることである。
支えられる側は、自分で立たない。
だから抱く姿は、力の差を示す。
先に言ってしまうと、九点のうち、子を抱いているのは六点である。
そのうち一点では、抱くことが人質を取ることである。
二点では、抱かれているのは鳥である。
そして一点では、子は器具に納められている。
つまり抱く対象は、六点で人、二点で鳥、一点で器具の中の人である。
乳を与える姿を、線で探す
二点目は、素描である。

小さな紙である。
紙は21.4×15.4センチしかない。
線は茶色で、速い。
同じ場所に、何本も線が重なる。
輪郭は一本に定まっていない。
画面の中央に、女が座る。
体は正面を向き、少し右へ傾く。
顔は下を向く。
視線は、腕の中へ落ちる。
膝の上に、子どもがいる。
子どもの体は小さく、丸い。
顔は上を向く。
目は、母のほうを見ている。
二人の視線が、そこで合う。
女の左腕が、子の背を支える。
右手は、胸元にある。
衣は肩から腰へ、斜めに流れる。
襞は太い線で示される。
線はジグザグに折り返す。
影は、茶の淡彩で置かれる。
淡彩は深く、輪郭を沈める。
紙の下には、赤と黒のチョークの跡がある。
上の隅には、文字が書かれている。
館の記録では、これはこの画家のまれな素描の中でも優れたものである。
ある礼拝堂のために注文された絵のための習作だという。
そして館は、この素描の役目について書いている。
今日は生き生きとした線が評価されるが、素描は人物の位置を決めるための実用のものだった。
ここでは、視線が触れ合うことで母と子の情が示されているという。
館の記録は、そう説明している。
さらに館は、右上の文字について書いている。
それは作者の署名ではなく、十七世紀の持ち主が記したものらしいという。
つまり名は、後から書き足されている。
膝の上で、赤子が眠る
三点目は、油彩である。

縦長の大きな画面である。
全体は115.9×73センチある。
画面の中央に、女が座る。
体は正面を向く。
顔は細長く、首も長い。
目は青灰色で、瞳が描かれていない。
鼻筋は一本の線である。
口は小さく、赤い。
髪は褐色で、真ん中で分ける。
上着は白い。
襟には、赤い縁取りがある。
袖は膨らみ、肘で絞られる。
膝の上に、青い布の塊がある。
塊は大きく、斜めに横たわる。
布の端から、桃色のものが出る。
赤子の顔と手である。
顔は小さく、目を閉じている。
女の両腕が、その塊を抱える。
手は組まれ、下から支える。
裾は薄い青緑で、床まで広がる。
背景は青灰で、平らである。
右には、椅子の背らしい形がある。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
つまり誰かは書かれていない。
題にあるのは、その人の属する集団の名だけである。
赤子の顔は、画面の中でごく小さい。
面積で言えば、女の顔の三分の一もない。
しかし、そこだけが暖かい色である。
九点のうち、抱かれた子が布の中に隠れているのは、この一点で二点目になる。
素描帖の隅に、抱く姿がある
四点目は、素描帖の一葉である。

横長の紙である。
22.9×29.2センチある。
紙は灰色に沈んでいる。
線は細く、途切れがちである。
画面の左に、女が座る。
体は右を向く。
膝の上に、小さな体がある。
赤子である。
女の腕が、その体を囲む。
顔は下を向く。
輪郭は一度しか引かれていない。
塗りは、ほとんどない。
その右に、建物の柱が並ぶ。
柱は縦の線で示される。
上には、簡単な柱頭がある。
さらに右には、欄干がある。
欄干は横の線と、短い縦線でできる。
画面の右下には、小さな人物が三つある。
三つとも、走っている形である。
腕を上げ、脚を開く。
顔は描かれていない。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
館の札には「乳児」と「母」がある。
そして題には、括弧の中に問いが入っている。
ある画家の絵からの写しか、あるいは別の寓意からか、という問いである。
つまり館は、出どころを決めていない。
疑問符が、題の中に残されている。
九点のうち、題に問いが残るのは、この一点である。
板の器具に、子が納められる
五点目では、子は器具の中にいる。

縦長の肖像である。
73.7×60.9センチある。
画面の中央に、女が座る。
体は正面を向く。
顔はやや左を向く。
髪は黒く、真ん中で分ける。
首には、細かい飾りが幾重にも掛かる。
衣は暗い色で、縦に太い帯が走る。
帯は赤と黄と緑と白である。
帯には、細かい文様が並ぶ。
膝の上に、細長い板がある。
板は上下に長く、縁が立つ。
板の上部に、弓形の枠が付く。
その中に、子どもの顔がある。
顔は小さく、正面を向く。
目は開いている。
体は板に固定され、見えない。
女の両手が、その板を支える。
板の表にも、色の帯がある。
背景は、緑と褐色の木立である。
背景は暗く、輪郭がぼける。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
題は、その人の名を音で写している。
そして、していることを説明として添えている。
つまり抱かれているのは、子であり、同時に板である。
板があるので、手を離しても子は動かない。
抱く動作の一部を、道具が代わりに引き受けている。
この画家の題の付け方については、二つの名前で扱った。
三十五人の中で、一人だけが抱く
六点目は、写真である。

横長の写真である。
画面は15×23.9センチある。
台紙に貼られ、四隅が丸い。
画面いっぱいに、子どもが並ぶ。
並びは、緩やかな半円である。
奥に立ち、手前に座る。
数は、三十を超える。
多くは白い衣を着る。
腰に、幅の広い帯を締める。
中央には、台がある。
台の上に、一人が立つ。
その子は、背に翼を付ける。
翼は白く、大きい。
手には、小さな体を抱えている。
抱えているのは、赤子である。
その足元に、二人が座る。
一人は白い衣、一人は暗い衣である。
背後には、垂れ幕がある。
床には、模様のある敷物がある。
左上の隅に、小さな印がある。
右下にも、文字が入る。
館の記録では、この写真館は兄弟が営んでいた。
二人は書店と印刷所も営み、一人は漫画家としても成功したという。
そして館は、この一枚について書いている。
三十五人の子どもを巧みに並べ、ある宗教の行事を記念する集合写真を作った。
天使の姿の少女が赤子を抱き、その足元の少女と少年は、婚礼の写真のように並んでいるという。
館の記録は、そう説明している。
つまり抱いている人は、三十五人のうち一人である。
そして、その一人だけが台の上に立つ。
高さが、役を分けている。
九点のうち、抱く人が群衆の中にいるのは、この一点である。
抱くことが、人質を取ることになる
七点目では、抱く意味が反転する。

大きな混酒器である。
口の直径49.9センチ、高さは50.5センチある。
口は広く、外へ開く。
胴は下へすぼまり、円い足に立つ。
把手は左右に二つ、上向きに付く。
地は黒く、艶がある。
胴の正面に、大きな円がある。
円のまわりには、細い光の筋が放射する。
円の中に、人物が立つ。
その人物は、車に乗る。
車を引くのは、翼のある獣である。
円の左右に、翼のある人物がいる。
下のほうには、台がある。
台の上に、小さな体が二つ横たわる。
その前後に、人物が近づく。
裏の面には、別の場面がある。
そちらでは、男が台の上に立つ。
男は片手に子を抱え、もう一方に武器を持つ。
その左右から、二人が駆け寄る。
館の記録では、正面の場面はある悲劇にかかわる。
魔女が、竜の引く車で飛び去る。
夫への復讐のために、二人の子を殺したところであるという。
そして館は、裏の場面について書いている。
別の悲劇から採られている。
傷ついた戦士が、祭壇で幼い子を人質に取っている。
その両親が、子を救おうと駆け寄るという。
館の記録は、そう説明している。
つまりここでは、抱くことが脅しである。
同じ動作が、守ることにも、奪うことにもなる。
古代の器の形と用途については、器の形と用途で扱った。
抱かれているのは、鳥である
八点目では、腕の中に鳥がいる。

縦長の画面である。
100×74.9センチある。
画面の中央に、若い女が立つ。
体は正面をやや向く。
顔は左を向き、横顔になる。
髪は褐色で、頭に布を被る。
布は深い青緑である。
布は肩から腕を包み、体の前で交差する。
その布の色が、画面の大部分を占める。
左肩の上に、鳥がとまる。
鳥は赤い。
首が長く、嘴が下へ曲がる。
嘴の先が、女の顔に近づく。
触れてはいない。
数センチの隙間がある。
右にも、同じ鳥がもう一羽いる。
そちらは石の欄干にとまる。
翼を半分広げている。
女の右手は、胸の前にある。
左手は下がり、布の外に出る。
背後には、町が広がる。
町の建物は小さく、褐色である。
空は橙と赤で、夕方らしい。
手前には、桃色の花が二つある。
館の記録は、年の欄を二つに分けている。
はじめに描かれたのが1857年から58年である。
そして1860年から62年に手が加えられたという。
館の記録は、そう書いている。
つまり四年の隔たりがある。
どこが加筆かは、書かれていない。
九点のうち、二度描かれているのは、この一点である。
鳥は、抱かれているというより、乗っている。
女の手は、鳥に触れていない。
支えているのは、肩である。
腕を使わない抱き方である。
もう一羽は、欄干にとまる。
そちらは、誰にも触れていない。
同じ鳥が、抱かれる側と、離れた側に分かれている。
鳥を抱いて、こちらを見る
最後の一点でも、腕の中に鳥がいる。

縦長の画面である。
60×50センチある。
画面の中央に、若い女性がいる。
胸から上が描かれる。
顔はやや右を向く。
目はこちらを見る。
肌は白く、頬に薄い赤みがある。
髪は明るい褐色で、後ろでまとめられる。
髪には、小さな白い花が挿さる。
首には、真珠の輪が二重に掛かる。
胸元は大きく開く。
衣は青で、袖が広い。
袖には、桃色の布が重なる。
胸の前に、鳥がいる。
鳥は青灰色で、丸い。
嘴は太く、下へ曲がる。
鳥は女の胸に、体を寄せる。
右手が、その体に添えられる。
指は開き、羽根に触れる。
背景は、灰と褐色の靄である。
地の青が、その靄の下から透ける。
右上だけが、わずかに明るい。
輪郭は、どこも柔らかい。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
材料の欄には、青の簀の目紙とある。
つまり地の色は青である。
その上に、白と桃色の粉が置かれる。
肌の明るさは、青の上で作られている。
青の紙は、影の色をあらかじめ用意する。
塗り残せば、そこが影になる。
白い紙なら、影を足さなければならない。
地の色を選ぶことが、描く順序を決めている。
この一点では、青が下にある。
九点のうち、抱く人がこちらを見るのは、この一点である。
数えてみると
九点を並べ直す。
子を抱いているのは、六点である。
産着の子、乳を与える場面、布の中の赤子、素描帖の一葉、板の器具、そして写真の中の一人。
そのうち一点では、抱くことが人質を取ることだった。
鳥を抱いているのが、二点である。
腕の中の対象で分ければ、人が六点、鳥が二点。
残る一点は、板の器具に納められた子である。
もう一つ数える。
九点のうち、抱かれている側の顔が見えるのは五点である。
見えないのは、布に隠れた赤子と、遠すぎる写真の赤子である。
さらに数える。
九点のうち、抱く人の顔が伏せられているのは三点である。
産着の場面、乳を与える場面、素描帖の一葉である。
こちらを見ているのは、鳥を抱く一点だけである。
残る五点では、顔は横か、遠いか、隠れている。
抱く動作は、腕と胸で示される。
顔は、なくても成り立つ。
だから遠くからでも、抱いていることが分かる。
三十五人の写真でも、その一人だけ姿勢が違う。
言えることと、言えないこと
言えるのは、抱くという姿が「二人を一つの塊にする」ということである。
腕が体を囲むと、輪郭が一続きになる。
どこまでが抱く人で、どこからが抱かれる人か、分かりにくくなる。
九点のうち三点で、二人の輪郭が溶けていた。
溶けているのは、布のある三点である。
産着、青い布、そして帯の並ぶ衣。
布で包めば、なおさらである。
言えないのは、抱く姿がつねに情を示すという話である。
古代の器では、抱くことは脅しだった。
板の器具では、抱くことの一部を道具が引き受けていた。
写真では、抱くことは役として割り当てられていた。
同じ形が、守ることにも、奪うことにも、演じることにもなる。
最後に、はじめの一枚へ戻る。
産着の子は、布できつく巻かれている。
腕も脚も出ていない。
館の記録は、その形が後の埋葬の布を思わせると書いていた。
抱かれている形と、包まれている形が同じである。
九点を数え終えて残るのは、その形の二重の読みのほうである。
包むことは、守ることでもある。
同時に、動けなくすることでもある。
板の器具でも、同じことが起きていた。
子は落ちない。
かわりに、手も足も出せない。
二つの絵が、四百年を隔てて同じ形を示している。
包む布と、板の枠。
材料は違うが、体の収まり方は変わらない。
抱く側の腕も、同じ角度で曲がっている。
形は、材料より長く続く。
九点は、その一つの形をめぐっている。


