上から見下ろした画面は、一点だけ——ブレス・ラッド・ディーン・ダヤールほか九点
素描帖が、三点を占めた
今回の九点には、素描帖の一葉が三点あった。
いずれも小さく、線が薄い。
12.7センチ、13.3センチ、18.4センチ。
そして、いずれも横長である。
素描帖で一望を描くのは、理に適っている。
帖は持ち運べる。
高い場所へ登って、その場で描ける。
大きな画面は持ち歩けない。
だから、広い眺めの最初の記録は素描帖に残る。
前に山や港を扱った回でも、同じ帖の葉を見てきた。
そちらの帖からは、これまでに十二枚を取り上げている。
今回の三点は、それとは別の三冊である。
つまり、館には素描帖が何冊もある。
そして、その一葉ずつに番号が振られている。
一冊が数十の番号になることもある。
公開データを数えるとき、この点は効いてくる。
素描帖の多い館では、点数が大きく出る。
一冊を一点と数える館なら、少なく出る。
数え方の違いが、そのまま統計の違いになる。
九点のうち三点が素描帖というのも、その事情の反映である。
一望は、細部と引き換えである
数えた結果から、一つのことが言えそうである。
広い範囲を入れると、細部が消える。
九点とも、遠くのものは輪郭だけになっている。
三メートルの水彩では、建物が線一本になっていた。
二枚組の写真でも、対岸の家は点の集まりである。
素描の三点では、そもそも線が数十本しかない。
つまり、一望の絵は情報を減らす絵である。
減らしたぶん、範囲が広がる。
例外は、細密画の一点だった。
そこでは、遠くの軍勢まで細かく描かれている。
だが、それは実際の見え方ではない。
遠くのものを、見えるはずより細かく描いている。
館の記述も、遠近の扱いを試したと書いていた。
つまり、あの画面は実験である。
九点のなかで、唯一その方向を向いている。
世界風景という形式
館の記述に出てきた語を、書きとめておきたい。
世界風景、という語である。
手前に物語の場面を置き、後ろに広大な眺めを描く形式である。
十六世紀の低地地方で流行した。
館の記述によれば、その形式を広めた画家の名も分かっている。
そして、奥を霞ませて距離を作る方法にも名がある。
空気の遠近、あるいは大気の遠近と呼ばれる。
館は、その発案者の名まで書いている。
つまり、この一点の記述はかなり厚い。
形式の名、流行の時期、技法の名、発案者。
四つの情報が、記述の欄に入っている。
こういう記述があると、他の八点も読みやすくなる。
一望の絵に共通する仕組みが、言葉で示されるからである。
前に何度か、記録の厚さの差に触れた。
今回も、その差は大きかった。
記述の欄があるのは、九点のうち五点である。
そのうち、形式について書かれているのは一点だけだった。
記録は、視点の高さを書かない
最後に、記録の欄を確かめておきたい。
九点の記録に、視点の高さを書く欄はない。
書かれるのは、材と寸法と番号と出所である。
視点は、題に現れることがある。
鳥瞰、泉から、高地から。
三点の題に、その情報がある。
だが、実際の視点と一致するとは限らない。
鳥瞰と題された一点は、地面から撮られていた。
つまり、題の語は約束ごとに近い。
広い範囲を見渡した絵を、鳥瞰と呼ぶ。
実際に鳥の高さから見たかどうかは、別である。
これは、前に扱った眺めの語と同じである。
語は、絵の種類を示す名札として使われる。
名札と中身が一致しないことは、よくある。
一致しない例を並べるのが、この連載の仕事の一つでもある。
今回は、九点のうち一点でその不一致がはっきり出た。
そして、その一点は戦地の写真だった。
館の記述によれば、当時は戦いの瞬間を撮れなかった。
露光に時間がかかるので、動くものは写らない。
だから撮られたのは、場所と、陣営と、人の肖像である。
出来事そのものではなく、出来事のあった場所。
その撮り方は、風景写真と区別がつかない。
糸杉が並び、平らな土地が広がる。
戦争の写真と言われなければ、そうは見えない。
館の記録が、そのことを補っている。
写真帖の主題が、記述の欄に書かれている。
その一行がなければ、この一点はただの眺めである。
記録が、画面の意味を決めている例である。
前に、想像上の眺めの一点でも同じことを書いた。
題や記述の一語が、絵の性質を変える。
九点のうち二点で、それが起きていた。
そしてもう一点、記録が画面を変える例があった。
板絵の署名である。
館の記録によれば、右下の岩に梟が座っている。
その梟が、画家の署名だという。
言われなければ、ただの鳥である。
言われれば、そこに名がある。
同じ形が、記録の一行で意味を変える。
九点のなかで、これがいちばん小さな例だった。
だが、記録の働きはいちばんよく分かる。
見えているものは同じで、読み方だけが変わる。
この連載で何度も出てきたことである。
そして今回の九点は、その読み方の幅を広く示していた。
三メートルの水彩から、十二センチの素描まで。
上から見下ろす一点から、地面から水平に見る七点まで。
そして、日付まで書かれた一点から、年しか分からない八点まで。
同じ語で集めた九点が、これだけ違う。
違いを数えることが、この連載の作法である。
今回数えたのは、判型、視点、人の位置、そして紙の枚数だった。
いずれも、画像を見れば数え直せる。
そして数え直した結果、一望という語の幅が見えた。
高い場所から見下ろした絵は、九点のうち一点。
残る八点は、水平に近い位置から広い範囲を見ている。
つまり、一望とは視点の高さではなく、範囲の広さを指している。
その範囲を入れるために、紙は横に長くなる。
長すぎれば、二枚に分ける。
三メートルの水彩が、その極端な例だった。
幅が高さの六.六倍ある。
そこまで広げないと、港の全体が入らなかったのだろう。
そして広げたぶん、建物は線一本になった。
範囲と細部は、いつも引き換えである。
九点は、その引き換えの度合いを並べて見せていた。
細部の残る一点から、線一本になる一点まで。
その幅を数えられたのが、この回の収穫である。
数えるには、九点を並べる必要があった。
一点ずつでは、幅は見えない。










