美術史・技法

墨一色から始まった——菱川師宣の墨摺絵

描かれている場所について

ここで、主題そのものに触れておきたい。

これらの絵の舞台は吉原である。幕府が認可した遊廓の区域だった。

先の《吉原の場面》をもう一度見ると、左に格子の張られた部屋がある。

その内側に、女性が数人座っている。

これは「張見世」と呼ばれた仕組みで、通りから姿を見せる場だった。

つまり、格子は装飾ではない。人を見せるための設備である。

遊廓で働いた女性の多くは、前借金によって拘束されていた。

自由に出られる場所ではなかったことは、当時の制度の記録から分かっている。

この点を書かずに、絵を「江戸の風俗」として眺めるのは公平でないと考えている。

同時に、これらの版画が当時の都市の様子を伝える資料であることも確かである。

建物の作り、履物、荷の運び方、通りの幅。読める情報は多い。

資料として使いながら、描かれた人の立場を忘れないでおきたい。

もう一点、絵の側の事情もある。

これらの版画は、遊廓の案内としても使われていた。

店の名や区画の名を題に入れ、通りの様子を見せる。宣伝の役目である。

つまり画家は、記録者でもあり、宣伝物の作り手でもあった。

「記録」という言葉の危うさは別のコラムでも扱った。

作られた目的を確かめてから、資料として読むほうがよい。

そのうえで、絵から確かに読める事実もある。

通りの幅、建物の階数、履物の形、荷の担ぎ方、子どもの服装。

物の形は、宣伝のために変える必要がない部分である。

意味づけは作り手の言葉として読み、形は資料として読む。

この二段の読み方は、他の時代の絵にも使える。

遊廓だけを描いたのではない

主題の幅も確かめておく。

二人の若侍
菱川師宣《二人の若侍》1680年ごろ。木版摺、紙に墨と彩色。縦25.7センチ、横38.6センチ。メトロポリタン美術館蔵。菱川師宣《二人の若侍》メトロポリタン美術館蔵

こちらは屋外の場面である。

右に黒い馬が二頭。鞍を置き、口を開けている。

馬を引く人物が二人。左に笠をかぶった従者と、連れ立つ武家の二人。

背後に垣と梅の古木。枝が右へ長く伸びている。

画面右上に、署名らしい文字と印がある。

物語の一場面とも、旅立ちの図とも読める。

同じ画家は、武家の場面、物語絵、そして歌の題材も手がけていた。

もともとは、本の絵だった

もう一点、形式の話をしておきたい。

和国百女
菱川師宣《和国百女》1695年ごろ。木版摺の絵入本、紙に墨。縦27センチ、横18.4センチ、厚さ0.3センチ。メトロポリタン美術館蔵。菱川師宣《和国百女》メトロポリタン美術館蔵

これは一枚絵ではない。本である。

見開きの左右に、それぞれ女性が二人ずつ描かれている。

上部には仮名の文がびっしり並ぶ。絵と文が同じ版に彫られている。

寸法は縦27センチ、横18.4センチ。厚さは3ミリしかない。

版画の絵師は、まず本の挿絵を描く職人だった。

一枚で売る絵は、そこから分かれて出てきた形式である。

だから初期の一枚絵は横長が多い。本の見開きと同じ比率だからである。

縦長の判型が標準になるのは、後の世代の話になる。

この本の寸法も見ておきたい。厚さは3ミリである。

数十枚の紙を綴じた薄い冊子で、値段も安かったと考えられる。

絵入本は、文字を読む人と読まない人の両方に届く商品だった。

絵だけ眺めても筋が追えるように作られている。

一枚絵が独立したのは、その絵の部分に需要が集まったからだろう。

判型の話は別のコラムでも扱っている。

残っている数が少ない

数の話をしておきたい。

当サイトが公開する師宣の作品は14点である。

同じ時期の絵師としては多いほうだが、後の広重や北斎とは桁が違う。

理由はいくつか考えられる。摺った枚数そのものが少なかったこと。

紙が薄く、日用品として扱われたこと。そして三百年以上たっていること。

初期の版画は、額に入れて飾るものではなかった。

貼ったり、綴じたり、包んだりして使われ、使い切られた。

包み紙に使われた例も知られている。反古紙として再利用されたのである。

絵として大事にされたのは、後の時代の見方による。

いま残っているのは、たまたま仕舞われた分である。

そう考えると、この14点はかなり幸運な生き残りということになる。

見立て——墨一色は、制約ではなく設計だった

まとめておきたい。

色がないことを、技術の遅れと見るのは正しくない。

線の太さで素材を分け、黒の配置で拍を作り、斜線で空間を割る。

色を使わない前提で、絵の作りが組み立てられている。

その設計が完成していたからこそ、色が加わったときに一気に華やかになった。

錦絵の見事さは、墨摺絵の百年に支えられている。

彫って摺るという工程が、線の性質を決めたことも大きい。

筆の勢いをそのまま残すのではなく、彫れる線に置き換えている。

版画は、絵師の手だけでできる仕事ではない。

そして、この設計は現代の印刷物にも残っている。

新聞の挿絵、漫画の線、白黒の図解。どれも同じ問題を扱っている。

線の太さで素材を分け、黒の面積で拍を作る。

三百四十年前の版画と、手法の骨格は変わっていない。

もう一つ、残りやすさの話もある。

墨は退色に強い。紅や藍は光で褪せるが、墨はほとんど変わらない。

だから初期の墨摺絵は、いま見ても摺られた当時に近い状態を保っている。

彩色された分だけが褪せ、墨の線が残る。

私たちが「線の絵」として見ているものの一部は、時間が選別した結果である。

暮らしへ——写真を白黒にしてみる

最後に、日常に持ち帰れる話をひとつ。

手元の写真を一枚、白黒にしてみてほしい。

色を落とすと、たいてい画面が散らかって見える。

色でまとまっていた部分が、明暗だけでは分かれないからである。

そこで、暗い部分がどこにあるかを確かめてみる。

黒い塊が画面に三つか四つ、離れて置かれていると落ち着く。

これは墨摺絵がやっていたことと同じである。

版画を飾るときは、白黒の作品ほど余白を広く取るとよい。

壁の色も効く。白い壁だと紙の白が沈むので、灰色や生成りの壁のほうが線が立つ。

紙の白が働くからである。額と余白の取り方は別のコラムにまとめた。

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