美術史・技法

絵は音を持たない——ファン・デル・ヘルスト・丁雲鵬・文伯仁ほか九点

二人の奏楽天使のいる聖家族
アルブレヒト・デューラー《二人の奏楽天使のいる聖家族》1511年。館の記録では、木版画。紙全体12.2×12.2センチ。番号は1965.538。クリーヴランド美術館蔵。アルブレヒト・デューラー《二人の奏楽天使のいる聖家族》クリーヴランド美術館蔵

九点のうち、正方形はこの一点だけである。

そして、いちばん小さい。

一辺が12.2センチしかない。

その中に、人物が七人以上入っている。

一人の高さは、四センチ足らずだ。

木版でこの密度を出すのは、容易ではない。

線を残して周りを彫るからである。

正方形の小さな版画である。

一辺が12.2センチ。

中央に、女性が座る。

膝に、幼い子を抱く。

その右に、老人が立つ。

杖を持つ。

まわりに、人物が数人集まる。

上には、太い幹の木がある。

上部に、年が刻まれる。

そして、女性の足元に、小さな姿が二つある。

翼のある子どもである。

一人は、丸い胴の楽器を抱える。

もう一人は、袋のついた笛のようなものを扱う。

館の記録は、この二人について書いている。

聖母の足元に座り、二種類の楽器を弾こうとしているという。

そして、新しい家族を祝う趣向だと記録は書く。

これは館の見解である。

こちらで確かめられるのは、二つの楽器がある、ということだ。

演奏する姿は、画面の下端にある。

小さく、目立たない。

第十九回で、犬は画面のいちばん下にいると書いた。

犬の話で見たとおり、低いものは低く置かれる。

ここでも、添え物としての演奏が下に置かれている。

息を吹く

笛を吹くパン
ルイス・セント=ゴードン《笛を吹くパン》1882年ごろ、鋳造は1914年。館の記録では、ブロンズ。109.9×30.5×48.9センチ。番号は14.119。メトロポリタン美術館蔵。ルイス・セント=ゴードン《笛を吹くパン》メトロポリタン美術館蔵

金属の像である。

高さ109.9センチ。

裸の若者が立つ。

体重は右脚にかかる。

左脚は前へ出て、膝が曲がる。

両手を顔の高さまで上げる。

その手に、細い管を持つ。

管は、口の前で水平になる。

顔は、やや上を向く。

頭に、葉と花の輪をつける。

台は、円い低い板である。

第十一回で、立つ姿勢を扱った。

立つ話では、体重を片脚に乗せる型を見た。

この一点も、同じ型である。

そして、腕を上げることで、体が細長く見える。

息を吹く楽器は、絵にするのが難しい。

音を出しているかどうかが、外から見えないからだ。

弦なら、指が弦に触れる。

打つ楽器なら、手が振り上がる。

息の場合、口と管が接しているだけである。

だから、頬が膨らむか、口を尖らせるかで示す。

この像では、口が管に当たっている。

そして、顔がやや上を向く。

息を送っているように見える。

館の記録には、二つの年がある。

原型が1882年ごろ、鋳造が1914年である。

第九回でも、この二段階の年を見た。

衣を着ない体の話で扱った彫刻も、同じ書き方だった。

楊貴妃に笛を教える明皇
長流斎《楊貴妃に笛を教える明皇》15世紀末から16世紀初め。館の記録では、掛軸。紙に墨と色。画面91×45.2センチ。全体188×63.5センチ。番号は1987.36。クリーヴランド美術館蔵。長流斎《楊貴妃に笛を教える明皇》クリーヴランド美術館蔵

掛軸である。

画面の上のほうに、岩と雲がある。

その下に、人物が三人いる。

左に、赤い衣の人物が立つ。

長い袖が、腕から垂れる。

中央に、髪を高く結った人物が立つ。

手に、細長いものを持つ。

顔を、それに近づけている。

右に、腰かけた人物がいる。

こちらは、体をひねって二人を見る。

低い柵が、右のほうにある。

背景は、紙のままである。

館の記録によれば、これは中国の皇帝とその妃の話である。

後の時代に、多くの物語と絵と詩を生んだという。

そして、その話が日本にも伝わったと記録は書く。

これは館の記述である。

この一点では、教える場面が描かれている。

つまり、まだ音が出ていないかもしれない。

構えを教わっているところである。

九点のうち、演奏していない一点である。

同じ詩を、二人が描く

琵琶行
丁雲鵬《琵琶行》1585年。館の記録では、掛幅。紙に墨と色。画面141.3×46センチ。番号は13.100.22。メトロポリタン美術館蔵。丁雲鵬《琵琶行》メトロポリタン美術館蔵

館の記録は、画面の寸法だけを書いている。

表装を含む寸法がない。

同じ館の別の掛軸には、三つの寸法があった。

第十九回で、掛軸の記録の揺れに触れた。

高さの話で見たとおり、画面と表装は別に測られる。

だが、いつも両方が書かれるとはかぎらない。

縦長の掛軸である。

画面の縦は141.3センチある。

上のほうに、川と岸が広がる。

大きな松の木が、画面の中央を占める。

幹がねじれ、枝が広がる。

その根元に、岩がある。

左上に、屋根のある小さな建物がある。

そこに、人物が数人いる。

さらに左に、舟が浮かぶ。

人物は小さい。

一人の大きさは、画面の三十分の一ほどである。

館の記録の題は、ある詩の名である。

九世紀の詩人が書いた長い詩だ。

川の上で、琵琶を弾く女性に出会う。

その話を書いたものである。

潯陽の別れ(琵琶行)
文伯仁《潯陽の別れ、琵琶行》16世紀。館の記録では、巻子。紙に墨と色。画面21×60センチ。全体27×271.3センチ。番号は1954.581。クリーヴランド美術館蔵。文伯仁《潯陽の別れ(琵琶行)》クリーヴランド美術館蔵

こちらは、横に長い一点である。

全体で271.3センチある。

館の画像には、その全体が細長く写る。

右側に、文字が並ぶ。

中央に、絵がある。

水面と、岸と、木が描かれる。

小さな舟が浮かぶ。

人物は、豆粒ほどである。

左側にも、文字がある。

館の記録は、同じ詩を主題としている。

そして、その内容も書いている。

都から遠ざけられた女性が、夜に演奏した。

その音楽と、身の上の話が、詩人の境遇に響いたという。

これは館の記述である。

第八回で、この作者の別の掛軸を見た。

足の話で扱った一点は、足を洗う場面だった。

同じ人の作である。

二点を並べたい。

同じ詩を、別の画家が別の形式で描いている。

片方は掛軸、片方は巻子。

そして、どちらも人物が極端に小さい。

音楽が主題なのに、演奏する姿はほとんど見えない。

見えるのは、川と、舟と、木である。

つまり、この二点では音を示していない。

示しているのは、場所と時間である。

音は、題と詩が担っている。