美術史・技法

絵は音を持たない——ファン・デル・ヘルスト・丁雲鵬・文伯仁ほか九点

同じ詩から、二つの形式が生まれる

琵琶行の二点を、もう少し比べたい。

同じ詩を主題にしながら、形式が違う。

一つは縦長の掛軸で、画面が141.3センチある。

もう一つは横長の巻子で、全体が271.3センチある。

掛軸は、壁に掛けて一度に見る。

巻子は、手で繰りながら順に見る。

つまり、見る時間の使い方が違う。

掛軸では、上下に景色が積まれる。

川が上にあり、松が中央を占め、岩が下にある。

第十九回で、高さは上下に積んで示すと書いた。

高さの話で扱ったのは、まさにこの形式だった。

巻子では、左右に景色が伸びる。

そして、文字と絵が交互に並ぶ。

読む部分と、見る部分が分かれている。

同じ詩でも、形式が違えば時間の流れ方が変わる。

掛軸は、一つの場面を止める。

巻子は、進む順序を持つ。

第十九回で、行列は横に伸びると書いた。

行列の話で扱った巻物も、同じ形式だった。

横長の形式は、時間の経過を表しやすい。

そして、どちらの場合も、音は描かれていない。

音は、詩の中にある。

絵は、その舞台だけを用意している。

記録として撮られた演奏

アラブの楽士たち
ルドヴィコ・ウォルフガング・ハート《アラブの楽士たち》1864年。題は館の記録の表記による。館の記録では、湿板の陰画から作った鶏卵紙の印画。画面21.9×17.9センチ。番号は1995.236。クリーヴランド美術館蔵。ルドヴィコ・ウォルフガング・ハート《アラブの楽士たち》クリーヴランド美術館蔵

写真である。

背景は、葉の茂った植物である。

その前に、人物が四人ほど座る。

いずれも、頭に布を巻く。

長い衣を着ている。

一人は、細長い楽器を膝に置く。

平たい箱の形をしている。

その上に、手を置く。

もう一人は、棹のついた楽器を持つ。

三人目は、手に何かを持つ。

全員が、こちらを向いているわけではない。

顔は、それぞれ違う方向を向く。

館の記録に、重要な記述がある。

この写真は、文化の慣習を記録するために撮られたという。

そして、個人の肖像ではなく、職業や類型の肖像として作られたと書かれる。

さらに、頒布された写真集の一部だったと記録は書く。

これは館の記述である。

つまり、写された人の名前は、はじめから記録されない予定だった。

第九回でも、名前が残らない例を数えた。

ここでは、名前を残さないことが目的になっている。

こちらで確かめられるのは、楽器が三つある、ということだ。

そして、演奏中かどうかは判断できない。

この時期の写真は、露光に時間がかかる。

動けば、像がぶれる。

だから、演奏の途中を写すのは難しい。

構えた姿勢で止まっている可能性が高い。

音を示す、五つの方法

九点から読めた方法を、整理しておきたい。

一つ目は、楽器を描くことである。

これがいちばん多い。

九点のうち七点が、これを使っている。

二つ目は、演奏の姿勢を描くことだ。

指を弦に置く、口を管に当てる、腕を上げる。

その形が、いま音が出ていることを示す。

三つ目は、聞いている人を描くことである。

音そのものは描けないが、その効果は描ける。

第五回で、髪が何かを受け止める場所になると書いた。

音も、受け止める人がいれば示せる。

九点のうち、聞く人が描かれるのは三点だった。

四つ目は、楽譜を描くことである。

記号として、音を紙に置く。

これは一点だけだった。

五つ目は、題に頼ることである。

画面に音の手がかりがなくても、題が示す。

琵琶行の二点は、これにあたる。

人物は極端に小さく、楽器も見えない。

それでも、題と詩が音を担っている。

そして、五つの方法は組み合わせて使える。

冒頭の一点では、楽器と姿勢の両方が使われている。

ダビデの一点では、楽器と姿勢と聞く人が揃う。

三つ揃うと、音の場面として読みやすくなる。

楽器の大きさと、体の関係

九点の楽器と体の比も見た。

大きな楽器は、体に立てかける。

小さな楽器は、腕で抱える。

細い楽器は、手で持ち上げる。

冒頭の一点では、卓の上の楽器が人の胴ほどある。

だから、膝の上には載らない。

膝に載るのは、もう一方の小さいほうである。

竪琴の一点でも、楽器は胸の前に抱えられている。

大きさが、持ち方を決めている。

そして、持ち方が姿勢を決める。

大きな楽器を扱う人は、体をひねる。

小さな楽器なら、まっすぐ立てる。

笛を吹く一点は、まっすぐである。

腕だけが顔の高さまで上がる。

第七回で、手の位置を数えた。

手の話では、胸より上にある手が目立つと書いた。

楽器を扱う手も、たいてい胸より上にある。

九点のうち、六点でそうなっていた。

手と楽器と顔が、近い高さに集まる。

一度に読める配置になっている。

九点を並べて、数えられたこと

楽器が写るのは七点。

楽譜だけが写るのが一点。

どちらも小さすぎて読めないのが一点である。

楽器の種類も数えた。

弦を弾くものが五点。

息を吹くものが三点。

袋のついた笛が一点。

演奏している姿が読めるのは五点。

構えているだけが二点。

小さすぎて分からないのが二点である。

聞いている人が描かれるのは三点。

材料も数えた。

布が一点、板が一点、紙が四点、金属が一点、そして写真が一点。

紙の四点のうち、版画が二点、掛軸が一点、巻子が一点である。

記録に書かれていないこと

館の記録は、楽器の名を書くことがある。

九点のうち、題に楽器の名が入るのは四点だった。

竪琴、笛、そして琵琶が二点。

だが、曲名はどの記録にもない。

一点だけ、楽譜が読める状態で描かれている。

それでも、曲は特定されていない。

音は、記録の外にある。

そして、絵の外にもある。

九点のどれを見ても、何の音がしていたかは分からない。

分かるのは、楽器の形と、手の位置と、聞く人の姿だけである。

第十九回で、絵は一瞬しか描けないと書いた。

音は、時間の中にしか存在しない。

一瞬を切り取ると、音は消える。

残るのは、音を出している姿だけである。

次の回は、体そのものが音に合わせて動く場面を見る。

踊りである。

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