祈る姿勢は、体を低くする——祈祷用の木彫玉・ブリオスコ・ダヤールほか九点
礼拝する人が、身分を持つ

縦長の版画である。
上のほうに、崩れかけた建物の骨組みがある。
太い梁と、細い垂木が交差する。
その隙間から、空が見える。
下に、人物が集まる。
左に、女性が座り、幼児を抱く。
その前に、年配の人物が跪く。
手を差し出している。
右に、二人が立つ。
厚い衣と、飾りのある帽子をつける。
一人は、器のようなものを持つ。
奥にも、人がいる。
線は細かく、隙間がない。
右上に、作者の印がある。
館の記録には、寸法が入っていない。
番号に枝番が付いている。
十枚目、という意味だろう。
第二十回でも、この連作の別の一枚を見た。
母と子の話で扱った一点は、十六枚目だった。
同じ連作から、二枚が別々の回に出ている。
ここでは、跪く人が贈り物を持っている。
つまり、祈りに物が伴う。
九点のうち、贈り物や供え物があるのは三点だった。
祈りの品は、小さい
九点のうち、祈りのために作られた品は二点である。
木彫の玉と、大理石の浮彫。
そして、その二点は性格が正反対だった。
木彫の玉は、5.8センチしかない。
身につけて持ち歩く。
見るのは、持ち主一人である。
大理石の浮彫は、一辺61センチある。
そして、教会の記念碑の一部だった。
見るのは、そこを通る人すべてである。
つまり、私的な祈りと、公の祈りが分かれている。
大きさが、その差をそのまま示している。
小さいほうは、手のひらで見る。
第二回で、細密画の見方に触れた。
視線の話で扱った象牙の一点は、6センチ足らずだった。
小さいものは、近づかなければ何も見えない。
そして、近づけるのは一人だけである。
大きいほうは、離れて見る。
61センチの浮彫なら、数メートル先からでも人物が分かる。
だから、細部は必要ない。
実際、こちらの彫りは大づかみである。
顔の作りも、衣の襞も、はっきりしている。
木彫の玉は、その逆だ。
一ミリの顔まで彫り込まれている。
用途が、彫りの細かさを決めている。
街角で祈る

館の記録は、技法を細かく書いている。
筆と赤褐色のインク、黒チョーク、そして鉛白。
鉛白は、明るいところを起こすために使う。
紙の上に、白を点として置く。
その白が、光の粒のように見える。
第一回でも、同じ作りの素描を見た。
横顔の話で扱った一点は、白チョークだった。
材料は違うが、原理は同じである。
褐色の素描である。
紙のほとんどが、赤褐色に沈む。
上のほうに、建物の輪郭がある。
窓が並び、屋根が重なる。
その下に、人物が二十人以上いる。
いずれも小さい。
一人の高さは、二センチほどである。
左のほうに、跪く人の群れがある。
中央に、立って腕を上げる人がいる。
右にも、人が散る。
線は速く、震えている。
白い絵具が、あちこちに点として置かれる。
その白が、光る部分になる。
祠らしい形は、はっきりとは見えない。
館の記録の題によれば、街角の祠がそこにあるという。
つまり、この一点では祈る場所が屋外である。
そして、大勢が一度に祈っている。
第十八回で、群衆の描き方を扱った。
群衆の話では、顔を描くかどうかが問題だった。
ここでは、顔は一つも描かれていない。
姿勢だけが、群れとして並ぶ。
水を注ぐ祈り

出所の行が長い。
購入と、部分的な寄贈と、二つの基金の名が並ぶ。
つまり、複数の経路を合わせて館に入った。
第十八回で、出所の行の文法を扱った。
出所の行の話で見たとおり、行が長いほど経路が複雑である。
小さな一葉である。
赤い縁で囲まれている。
画面の上に、赤茶色の岩山が連なる。
その上に、金色の丸がある。
日である。
中ほどに、緑の斜面が広がる。
木が数本立つ。
中央に、石の台がある。
その上に、人物が立つ。
体をやや傾け、腕を上げる。
手から、細い水の筋が落ちる。
台の段を伝って流れる。
台の後ろに、布と輪が置かれる。
下のほうに、白い鳥が二羽いる。
館の記録は、この行為を説明している。
朝の祈りの儀式を行っているという。
そして、水を注ぐこと、脱いだ衣が背後にあることを書く。
さらに館は、この地域の信仰が野外でも行われると記す。
これは館の記述である。
こちらで確かめられるのは、水が流れている、ということだ。
九点のうち、動きのある祈りはこの一点だけである。
残りは、跪くか、手を合わせるか、座っている。