美術史・技法

祈りは、膝の高さで示される——趙光輔・エル・グレコ・デューラーほか九点

礼拝堂の中に、人が小さく立つ

八点目は、油彩である。

ケンブリッジ、キングズ・カレッジ礼拝堂
デイヴィッド・ロバーツ《ケンブリッジ、キングズ・カレッジ礼拝堂》1837年。館の記録では、油彩・カンヴァス。額の内側で69.8×55.8センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。デイヴィッド・ロバーツ《ケンブリッジ、キングズ・カレッジ礼拝堂》スミソニアン協会蔵

縦長の画面である。

額の内側で69.8×55.8センチある。

画面のほとんどは、建物である。

石の壁が、画面の上まで伸びる。

窓は縦に長い。

窓の上には、細かい石の飾りがある。

飾りは、いくつも重なる。

壁の面は、黄褐色である。

光は、右から当たる。

左の壁は、影になる。

画面の下に、石段がある。

段は、横に広い。

その上に、人がいる。

人は数人である。

黒か赤の服を着る。

大きさは、壁の高さの十分の一もない。

顔は分からない。

一人は、扉のほうへ歩く。

扉は、左の奥にある。

祈っている人は、描かれていない。

館の記録では、題は礼拝堂である。

祈る場所であって、祈る人ではない。

画面の作りも、それに沿う。

視点は、低い位置にある。

そのため、壁が高く見える。

窓の上端は、画面に入らない。

切れているぶん、高さが想像される。

人を小さく描くのも、同じ効果を持つ。

比べるものがあると、大きさが分かる。

数人の人影は、そのために置かれている。

館の記録には、制作年しかない。

この画家は、建物の絵を多く描いた。

各地の建築を、繰り返し記録している。

この一点も、その仕事の一つだろう。

写真の中に、大きな礼拝堂がある

九点目は、写真である。

デリー、ジャーマー・マスジド北面の眺め
サミュエル・ボーン《デリー、ジャーマー・マスジド北面の眺め》1863年から70年。館の記録では、鶏卵紙。番号は2024.5.29。クリーヴランド美術館蔵。サミュエル・ボーン《デリー、ジャーマー・マスジド北面の眺め》クリーヴランド美術館蔵

館の記録に、寸法の記載はない。

横長の写真である。

全体が褐色である。

画面の上のほうに、大きな建物がある。

建物は横に長い。

中央に、丸い屋根が見える。

左右に、細い塔が立つ。

塔は高く、先が尖る。

建物の下は、長い階段である。

手前は、開けた地面である。

地面は白く、乾いている。

低い塀と、小さな建物がある。

右のほうに、家並みが続く。

屋根は平らである。

画面の中ほどに、白い点がある。

動物らしい。

人は、ほとんど写らない。

数人が、遠くにいる。

館の記録では、これは五十枚の写真帖の一枚である。

山の町から、いくつもの都市へ移る構成だという。

そして、こうも書く。

主要な建物の写真は、貴重な記録である。

二十世紀の修復より前の姿だからである。

写真の技法についても、書いておきたい。

鶏卵紙は、卵白を塗った紙である。

表面が滑らかで、細部がよく残る。

この一枚でも、塔の彫りまで見える。

遠くの家並みの窓も、数えられる。

空が白いのは、明るさの差のためである。

当時の感光材は、青い光に強く反応した。

そのため、空は白く飛ぶ。

雲は、ほとんど写らない。

人が少ないのも、理由がある。

露光に時間がかかるからである。

動く人は、像として残らない。

残るのは、動かない建物と地面だけである。

数えてみると

九点を並べ直す。

祈っている人が描かれるのは、七点である。

膝をついているのは、五点である。

花輪を捧げる女、羊飼い、二人の王、素描の聖人たちである。

手を合わせているのは、二点である。

両手で物を差し出しているのは、二点である。

香炉と、花輪である。

祈る人がいないのは、二点である。

礼拝堂の絵と、写真である。

どちらも、建物だけが写る。

もう一つ数える。

祈りの相手が描かれるのは、六点である。

仏が一点、幼子が三点、復活の姿が一点である。

石の形が、一点である。

相手が描かれないのは、三点である。

技法でも数える。

油彩が三点、紙の絵が三点である。

絹の絵が一点、羊皮紙が一点、写真が一点である。

年でも並べる。

十世紀が一点、十五世紀が三点である。

十六世紀が一点、十七世紀が一点である。

十八世紀が一点、十九世紀が二点である。

九百年の幅がある。

人数でも分かれる。

一人だけが一点、数人が三点である。

十人以上が四点、ほとんど無人が一点である。

祈る人の数は、絵によってまったく違う。

同じなのは、膝の高さだけである。

さらに数える。

九点のうち、屋内が三点、屋外が四点である。

残る二点は、その境目である。

門の下と、崩れた建物の中である。

祈りの本については、本を持つで扱った。

言えることと、言えないこと

言えるのは、祈りが膝で示されるということである。

九点のうち五点で、人が膝をついていた。

立ったまま祈る人は、一人もいない。

手の形は、絵によって違う。

合わせる手、差し出す手、広げる腕がある。

しかし、膝は同じである。

高さを下げることが、祈りの形になっている。

言えないのは、祈りの絵に必ず人がいるという話である。

九点のうち二点には、祈る人がいなかった。

礼拝堂の絵には、歩く人が数人いるだけである。

写真には、建物と地面しか写らない。

それでも、館の記録は祈りの語で呼ぶ。

場所の名が、行いの名を引き受けている。

祈りの場所については、寺と社で扱った。

最後に、はじめの一枚へ戻る。

夜の庭で、女は膝をついていた。

差し出した手の先に、石が立つ。

石には、粉の跡があった。

祈りの跡は、石のほうに残る。

九点を数え終えて残るのは、その跡である。

祈りは消えるが、塗られた粉は画面に残る。

香炉の煙も、跡としては描かれない。

描かれるのは、器と、手と、膝である。

九点はどれも、そこで止まっていた。

祈りそのものは、形を持たない。

形を持つのは、そのために使う道具である。

道具と姿勢だけが、画面に残る。

残ったものから、行いを読むしかない。

館の記録も、そこを手がかりにする。

粉の跡と、器の中身と、手の位置である。

九点は、その読み方の見本でもある。

見えないものを、見えるもので確かめる。

館の記録が細かいのは、そのためだろう。

粉の色まで書き留められていた。

祈りの絵は、道具の絵でもある。

道具は残り、行いは消える。

残ったものだけを、九点は並べていた。

膝の高さと、手に載る器である。

それが、九百年を通じて変わらなかった。

姿勢は、どの土地でも読める形である。

読める形だけが、長く残る。

九点は、その残り方を示していた。

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