作品を知る

乗る人は、いつも小さい——ドガ・グロ・カトリンほか九点

白馬の騎手のいる風景
ジャン・アシル・ブノヴィル《白馬の騎手のいる風景》1846年。館の記録では、油彩・カンヴァス。額なしで35.5×53.3センチ。番号は2010.19。クリーヴランド美術館蔵。ジャン・アシル・ブノヴィル《白馬の騎手のいる風景》クリーヴランド美術館蔵

横長の画面である。

35.5×53.3センチある。

画面は、楕円に切り取られる。

四隅は、暗い褐色である。

上半分は、空である。

空は青く、白い雲が並ぶ。

雲は横に長い。

中央から左に、木立がある。

木は高く、葉が濃い。

葉の色は、暗い緑である。

木立の下は、影になる。

右のほうに、低い山がある。

山は青灰色である。

手前は、草地と道である。

道は淡い褐色で、左下へ抜ける。

道の上に、白い馬がいる。

馬は小さい。

背に、人が乗る。

人は暗い色の塊である。

高さは、画面の三十分の一ほどに見える。

顔はもちろん、姿勢も分からない。

館の説明では、暗い木立と乱れた空が理想風景に情感を加えるという。

そして画面は、三つの層に分かれると書く。

道と、水面と、遠い山である。

言われてみれば、そのとおりに見える。

手前に道、中ほどに水、奥に山。

三つの層が、順に遠ざかる。

そして騎手は、いちばん手前の層にいる。

いちばん近い場所にいて、いちばん小さい。

近さと大きさが、ここでは一致しない。

一致しないのは、木のせいである。

木は騎手の何倍も高く、画面を占める。

人の大きさは、木との比で決まる。

館の記録では、この画家は勲章を受けた。

風景画で認められた人である。

人物は、その風景の寸法を示す目盛りになる。

乗る人の頭に、鉄が載る

九点目には、人も馬もいない。

騎馬銃兵用の兜
グリニッジ王立工房《騎馬銃兵用の兜》1630年から40年ごろ。館の記録では、鋼、銀、金、銅合金、織物。高さ35.3センチ、幅23.8センチ、奥行41.7センチ。番号は2012.15。メトロポリタン美術館蔵。グリニッジ王立工房《騎馬銃兵用の兜》メトロポリタン美術館蔵

鉄の兜である。

高さは35.3センチある。

幅は23.8センチ、奥行は41.7センチある。

重さは、二キロほどある。

頭を覆う部分は、丸い。

表面は磨かれ、鈍く光る。

小さな窪みが、いくつも見える。

縁には、金色の帯が回る。

帯には、細かい模様がある。

前に、細い棒が三本下がる。

棒は目の前を守る。

顎のあたりには、板が付く。

板は横に長く、重なる。

首の後ろにも、板が重なる。

板は五枚ほどある。

首を動かすための作りである。

館の記録では、これは騎馬銃兵の兜である。

馬に乗って、銃を撃つ兵である。

兜だけが、人の形を残している。

中身は、もういない。

館の記録では、材料が五つ挙がる。

鋼と、銀と、金と、銅の合金と、織物である。

織物は、内側の詰め物だろう。

頭に直に鉄を載せることはできない。

銀と金は、縁の飾りに使われる。

守るための道具に、飾りが付く。

飾りは、身分を示すためのものでもある。

館の記録では、これはある王立の工房の作である。

工房の名は、町の名から来ている。

三本の棒は、面を覆う格子の一部である。

棒の隙間から、外が見える。

見える範囲は、かなり狭い。

乗る人の視野は、この隙間の幅になる。

数えてみると

九点を並べ直す。

馬が描かれているのは、八点である。

残る一点は、兜だけである。

乗る人の顔が判別できるのは、四点である。

竜騎兵と、マムルークの隊長と、王子と、母である。

残る五点では、顔が分からない。

ドガの騎手は、線が消えている。

写真の男は、遠すぎる。

花嫁と花婿は、点である。

風景の騎手も、点である。

そして兜には、顔がない。

もう一つ数える。

武器が見えるのは、三点である。

剣と、銃と、長い棒である。

女が乗るのは、二点である。

母と、花嫁である。

九点はすべて、屋外である。

屋内で馬に乗る絵は、一点もない。

さらに数える。

館の記録が題に馬か騎乗の語を置くのは、七点である。

残る二点は、会の名と、兜の名である。

もう一つ数える。

馬の全身が見えるのは、六点である。

上半身だけ、あるいは脚が隠れるのが二点である。

草に隠れる一点と、群れに紛れる一点である。

技法でも分かれる。

油彩が四点、紙の絵が三点、写真が一点、金工が一点である。

九点のうち、色の付いた絵は五点だけである。

残る四点は、黒と白か、金属の色である。

馬の色で数えると、白が二頭、黒が一頭。

褐色が三頭、淡い黄褐色が一頭である。

色の内訳は、絵の主題とは関係しない。

馬そのものについては、画面のなかの馬で扱った。

言えることと、言えないこと

言えるのは、乗る人が小さく描かれるということである。

九点のうち、顔が分かるのは四点だけだった。

そのうち三点は、画面いっぱいに馬がいる。

馬が大きければ、人も大きくなる。

風景が広ければ、人は点になる。

決めているのは、人ではなく画面の広さである。

言えないのは、乗ることが権力を表すという話である。

九点には、王子も隊長もいる。

しかし母と子もいる。

花嫁と花婿もいる。

庭の主人もいる。

同じ姿勢が、まったく違う場面に現れる。

馬の描き方については、バランスをとる馬で扱った。

最後に、はじめの一枚へ戻る。

ドガの紙では、馬の後脚が二重になっていた。

画家は脚の位置を、描き直している。

その一方で、騎手の輪郭は薄いままである。

描き直されたのは、馬のほうだった。

乗る人は、乗られる馬の付属になっている。

九点を数え終えて残るのは、その順序である。

先に馬があり、後から人が載る。

兜の一点は、その順序の端にある。

人が消えても、鉄は残る。

残った鉄の内側には、頭の形の空所がある。

その空所が、乗っていた人の寸法である。

絵の中の騎手は、どれも点や影だった。

寸法が分かるのは、この一点だけである。

人を描かない一点が、いちばん確かに人を示している。

描かれた騎手は、みな大きさを持たない。

持っているのは、鉄のほうである。

九点を通して見えるのは、そのすれ違いである。

人は小さく、道具だけが実寸で残る。

乗るという行いは、絵の中では二の次だった。

馬が主で、人が従である。

九点は、その順番を揃って示していた。

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