作品を知る

技法の欄に、鉱物の名がある——東洲斎写楽の雲母摺

「花菖蒲文禄曽我」の宿木と侍女若草に扮する二代目瀬川富三郎と中村万世
東洲斎写楽《「花菖蒲文禄曽我」の宿木と侍女若草に扮する二代目瀬川富三郎と中村万世》1794年。木版、紙に墨、色、白い雲母。館の記録では、高さ36.8センチ、幅24.1センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。東洲斎写楽《「花菖蒲文禄曽我」の宿木と侍女若草に扮する二代目瀬川富三郎と中村万世》メトロポリタン美術館蔵

九点で唯一、二人が描かれる一点である。

手前に一人、その後ろにもう一人がいる。

手前の人物は緑の衣を着る。顔が小さく、目が大きい。

後ろの人物は、頭を少し高い位置に置く。顔が四分の三ほど見える。

二人とも髪を結い上げ、黄色い櫛のような形を挿す。

衣には丸い家紋が複数入る。

手前の人物の手が、下部に大きく描かれる。

背景は灰色の面である。

二人を重ねることで、狭い画面に二人を収めている。

二人の顔の高さ

二人を描くとき、顔の高さをどう置くかが問題になる。

同じ高さに並べると、画面が単調になる。

この一点では、後ろの人物の顔をやや高く置く。

高さがずれることで、前後の関係が生まれる。

小さな工夫だが、画面の作りを決めている。

重ねて、収める

一枚の紙に二人を並べれば、それぞれが小さくなる。

前後に重ねれば、手前の人物は大きいままである。

そのかわり、後ろの人物は半分隠れる。

九点のうち、この工夫を使うのは一点だけである。

ほかの八点は、一人だけを描いている。

「敵討乗合話」の志賀大七に扮する三代目市川高麗蔵
東洲斎写楽《「敵討乗合話」の志賀大七に扮する三代目市川高麗蔵》1794年五月。木版、紙に墨、色、白い雲母。館の記録では、縦36.5センチ、横25.1センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。東洲斎写楽《「敵討乗合話」の志賀大七に扮する三代目市川高麗蔵》メトロポリタン美術館蔵

九点の最後は、目に赤い線の入った顔である。

眉は太く、額に皺が寄る。

目のまわりが赤く、瞳が上へ寄る。

鼻は高く、鼻筋に影の線が入る。

口は結ばれ、下唇が厚い。

衣は黒で、丸い家紋が白く抜かれる。

胸の前で右手を握る。左手には刀の柄が見える。

背景は灰紫の面である。

館の題には、月まで書かれている。九点で唯一である。

目が、そろって上を向く

九点の顔を見比べると、瞳の位置に癖がある。

多くの人物で、黒目が上へ寄っている。

上目遣いの表情になる。にらむようにも、思案するようにも見える。

これは舞台の見得の型を写したものかもしれない。

あるいは、絵師の描き癖かもしれない。判断する材料はない。

十か月のあいだ

九点の年は、いずれも1794年か、1794年から1795年である。

この絵師の作品は、十か月ほどのあいだに集中している。

その前も後も、記録が残っていない。

九点は、その短い期間の産物である。同じ年の同じ興行の絵が並ぶ。

短い期間の仕事については、十か月で消えた絵師——東洲斎写楽で扱った。

題が、長くなる

九点の題を読むと、いずれも長い。

役者の名、役の名、演目の名が並ぶ。三つの情報が入る。

役者の名には代数が付く。三代目、四代目という区別である。

役の名は、芝居の登場人物の名前である。

演目の名まで入れると、四十字を超える題になる。

同じ演目が、繰り返される

九点の題を見ると、同じ演目の名が繰り返される。

一つの演目が四点、別の演目が三点、さらに別の演目が一点である。

同じ興行の役者を、まとめて描いていることになる。

芝居がかかるたびに、その座組の絵が売り出された。

九点は、二つの興行の記録として読める。

月の記録

九点のうち、月まで記録されているのは一点だけである。

残りは年だけ、あるいは二つの年にまたがる書き方である。

月が分かるのは、演目の初日の記録が残っているからである。

紙の上には、年も月も摺られていない。外の資料が支えている。

同じ絵師の別の一群については、収蔵番号の欄に、寸法が入る——東洲斎写楽でも扱った。

雲母を使う理由

雲母摺は、手間も費用もかかる。

それでも使われたのは、商品として目立つからである。

店先に並べたとき、光る紙は目を引く。

高い商品として売り出す意図があったと考えられる。

もっとも、館の記録には値段の情報がない。ここでは推測にとどめる。

保存の状態

九点の画像を見ると、紙の状態に差がある。

上部に折れの線が見えるものがある。縁が不揃いのものもある。

背景の面に、擦れたような跡が残るものもある。

館の記録には、保存状態の記述がない。

ここで書けるのは、画像から見える範囲だけである。

光が、いま見えないこと

九点の画像を並べても、雲母の光は見えない。

見えるのは、灰色や褐色の平らな面だけである。

実物を斜めから見れば、地が光る。だが、画像ではその角度を選べない。

記録の一語が、失われた見え方を教えてくれる。

読む側は、その一語を頼りに、見えないものを補うことになる。

顔を写すということ

役者絵は、舞台の顔を紙に留める仕事である。

写真のない時代に、誰がどんな顔で演じたかを伝える。

ただし、化粧も表情も型である。素顔ではない。

だから、役者絵は人の記録であると同時に、型の記録でもある。

九点の顔も、その二重の性格を持っている。

二つの興行の顔ぶれ

九点に描かれた役者は、八人である。

同じ役者が二度出てくることはない。九点で八人が並ぶ。

一つの興行の座組を、順に描いていったのだと考えられる。

そろえて買えば、その興行の顔ぶれがそろう。

組物としての性格を持っている。

顔のための背景

無地の背景は、顔を見せるための舞台である。

そこに雲母を置けば、面が均一に光る。塗りむらが目立ちにくい。

顔と衣だけを描き、背景を光らせる。役者絵として最も効率のよい作りである。

同じ時期の別の絵師の役者絵と比べると、その割り切りがよく分かる。

背景の作り方については、舞台の顔は、誰のものか——写楽と勝川派の役者絵にも書いた。

ARTISTS関連する画家

RELATEDあわせて読みたい

作品を知るの記事一覧