茶の絵に、茶は写らない——仁清・陳漢文・ティソほか九点

長い盆の上に、器が三つ並んでいる。
胴は卵のような形で、下半分が金色に光る。
蓋のつまみは、獣の頭の形をしている。
把手は白く、細く、上へ大きく反り返っている。
象牙で作られた、角のような把手である。
盆の脚も、獣の足の形をしている。
館の記録では、この器揃いは盆と卓と一緒に作られた。
いまは失われたカップも含めて、一組の飾りとして構想されたという。
1902年、トリノの装飾美術の博覧会に出されたとある。
その後、1907年にパリの画廊で買われたらしい。
買ったのは、当時パリに住んでいた南アフリカの裕福な未亡人だという。
彼女はケープタウンへ帰るとき、この一式を持ち帰った。
以来、その生涯を通じて南アフリカにあった、と記録は書く。
意匠についても、記録は触れている。
獣や虫をもとにした形が、神話の獣や、大昔の生き物の化石を思わせるという。
さて、茶の道具は一つでは済まない。
湯を沸かす器、注ぐ器、砂糖と乳を入れる器、そして受け皿。
数がそろって、初めて一組になる。
カップと受皿の番号を数えた回で見たとおり、器は組で作られ、組で記録される。
九点のうち、一組として作られたのは、この一点だけである。
そしてこの一組は、いまや完全ではない。
カップが失われたと、記録がはっきり書いている。
揃いで作られたものは、揃いのままでは残りにくい。
茶の道具は、店の棚に並ぶ
最後の一点は、写真である。

天井の高い店の中を、斜め上から写している。
細い柱が何本も立ち、上の階の手すりが回っている。
床には、ガラスの陳列台が列をなす。
台の上にも、棚にも、品物がびっしり載っている。
天井からは、笠の付いた灯りが下がる。
手前には、帽子をかぶった人影がいくつか写る。
顔は、みなぶれている。
長い露光のあいだ、動いてしまったのだろう。
館の記録では、ボンベイの多階建ての大きな店である。
薬から、ぶどう酒、医療の器具、銀の茶器揃い、揺り木馬まで置いていたという。
多くは輸入品だったが、家具や銀器では、地元の職人が西洋の形を身につけていたともある。
この写真は、たぶん撮影所の売り物の一枚だった、と記録は読む。
本国の人に、故郷と同じ暮らしがここでも手に入ると示す一枚だという。
銀の茶器揃いが、その品目の一つに数えられている。
八点目の器揃いのようなものが、こういう店の棚に並んでいた。
茶の道具は、作られ、飾られ、そして売られる。
九点目にして、ようやく値札の付いた茶が出てきた。
もっとも、その値段も記録には残っていない。
写っているのは、ガラスの台と、その上の光だけである。
数えると、こうなった
九点を数え直す。
道具そのものが四点。
葉の壺、急須、器揃い、そして刀である。
飲む場面と作る場面の絵が四点。
渓谷の茶、窓辺の卓、ロシア茶、午後のお茶。
残る一点が、道具を売る店の写真である。
では、茶そのものはどこにあるか。
九点のどこにも、注がれた茶の色は見えない。
急須の中も、カップの中も、画面からは分からない。
湯気の立っている絵も一点もない。
葉が写った絵に至っては、一枚もなかった。
飲み物の絵を九点並べて、飲み物が一度も写らない。
茶の絵とは、道具と時間の絵なのである。
産地でも数えられる。
日本が三点、中国が一点。
フランスで作られた器が一点、インドで撮られた写真が一点。
飲む場面の三点は、いずれも欧米の画家の手になる。
作る側の記録は東アジアに、飲む側の絵は欧米に偏った。
集め方の癖かもしれないが、数はそう出た。
年代も並べておく。
いちばん古いのは1600年代半ばの茶壺。
いちばん新しいのは1907年ごろの器揃いである。
二百五十年のあいだ、茶の道具は作られ続けた。
画材も数えておく。
焼き物が二点、銀と象牙が一点、木と貝が一点。
油彩が二点、紙の絵が一点、石版画が一点、写真が一点。
道具の四点は、どれも手に取れる物である。
絵の四点は、どれも壁か床の間に掛かる。
手に取る茶と、見る茶が、ちょうど半々になった。
題の言葉も数えておく。
九点のうち、題に茶の字を持つのは七点である。
茶壺、渓谷の茶、茶刀、お茶、ロシア茶、午後のお茶、そして紅茶の器揃い。
持たない二点は、急須の題と、店の名の題だった。
急須のほうは、山水と皇帝の詩で題ができている。
道具の中でいちばん茶に近いのに、題に茶の字がない。
茶の字は、飲み物から離れて、器にも刀にも土地にも時刻にも付く。
言えないことも書いておく。
この九点は、記録に茶の語を持つものから集めた。
だから、茶の字の広がりが多く出るのは当たり前でもある。
茶を飲む絵が本当に少ないかどうかは、ここからは決められない。
茶屋の絵なら、茶屋は静かで宿屋は暗いと数えた回のほうが近い。
最後に、記録に残らないことを一つ。
九点のどの記録にも、茶の味の話はない。
濃かったか、熱かったか、どの欄も書かない。
書いてあるのは、器の寸法と、重さと、買った人の名前である。
仁清の壺に入っていた葉も、乾隆帝の急須で出した茶も、味は残らなかった。
残ったのは、空の器と、飲んだあとの時刻の名である。
午後のお茶という言葉だけが、いまも人の予定表に生き延びている。
次に茶の絵の前に立ったら、カップの中をのぞいてみてほしい。
たいていは空か、影で黒いだけである。
それでも、そこに茶があったことは、器の形が教えてくれる。









