数え切れない、と題に書いてある——デュヴェ・ルペール・池大雅ほか九点
群衆から、離れる人

薄い線だけの素描である。
右に、高い塀か壁がある。
そこに、梯子が立てかけられる。
その梯子を、人物が登っている。
大きな帽子をかぶり、広がる衣を着る。
下に、二人の子どもがいる。
一人は上を見上げる。
左に、もう一人の人物が立つ。
紙の下に、手書きの文が二行ある。
館の記録は、その内容を説明している。
この人物は、人込みを避けて屋根から花火を見ようとしている。
そういう場面だという。
そして、雑誌の挿絵のための下絵だと書かれている。
これは館の記述である。
つまり、この一点は群衆を描いていない。
群衆を避ける人を描いている。
九点のうち、これだけが逆を向いている。
そして、逆を向いているからこそ、群衆の存在が分かる。
画面の外に、人込みがある。
第十六回で、習作の残り方を扱った。
習作の話で見たとおり、下絵が作品として残る。
この一点も、印刷されたほうではなく、下絵が館にある。
群衆は、どこに置かれるか
九点で、群衆のいる場所を数えた。
屋外が六点、屋内が一点、場所の分からないものが二点。
屋外の六点は、いずれも広い場所である。
広場、村の空き地、橋の上、庭。
人が集まるには、面積が要る。
そして、その面積を絵に入れなければならない。
だから、群衆の絵は横に長くなりやすい。
九点のうち、横長の画面は三点だった。
屏風、村の祭り、そして夜の街の版画である。
いずれも、横が縦の一・五倍を超える。
縦長の四点は、事情が違う。
人を上下に積んでいる。
黙示録の一点では、頭が上下に何段も重なる。
踊りの一点では、五人が斜めに並ぶ。
第十九回で、高さは上下に積んで示すと書いた。
高さの話で扱ったのは山や塔だった。
群衆も、同じように積める。
奥へ行くほど高い位置に置けば、縦長の画面に多く入る。
これは、上から見下ろす視点になる。
九点のうち、見下ろす視点は三点あった。
顔を、どこまで描くか
群衆の中の顔を数えた。
顔が判別できる人数が、いちばん多いのは黙示録の一点である。
数十人の顔に、目と口がある。
村の祭りでは、手前の十人ほどに顔がある。
夜の街では、顔のある人は一人もいない。
屏風でも、顔は描かれていない。
つまり、顔を描くかどうかは、人物の大きさで決まる。
一人が五ミリあれば、顔が描ける。
三ミリになると、描けない。
これは、道具の限界でもある。
エングレーヴィングの線は、髪の毛ほどの細さになる。
その線で、五ミリの中に目と口を刻む。
木口木版でも、同じ細さが出せる。
だが、油彩の筆では難しい。
村の祭りの奥のほうは、点で置かれている。
材料が、描き込める限界を決めている。
そして、限界を超えた部分は、群れとして見える。
顔がないほうが、数が多く見えることもある。
一人ずつが読めないほど、大勢に思える。
九点を並べて、数えられたこと
群衆が描かれるのは七点。
数人の集まりが描かれるのが一点。
群衆を避ける人を描くのが一点である。
描き方を数えた。
全員を描き込むものが一点。
手前だけを描き、奥を省くものが三点。
頭を点として並べるものが二点。
揃いの形を繰り返すものが一点。
人物を小さく散らすものが一点。
材料も数えた。
紙が七点、布が一点、屏風が一点。
紙の七点のうち、版画が五点、素描が二点である。
群衆の絵は、版画に多い。
理由は想像がつく。
細い線を並べれば、面が作れる。
面があれば、そこに人を詰められる。
祭という口実
九点のうち四点は、題に祭の語がある。
七月十四日の祭、村の祭り、仁和嘉の祭、紅葉の賀。
これは偶然ではないと思う。
大勢が集まる場面には、理由が要る。
理由がなければ、人は集まらない。
祭は、その理由として使いやすい。
日が決まっていて、誰でも参加でき、絵になる。
そして、祭には決まった形がある。
踊り、行列、灯り、屋台。
その形を描けば、見る側にもすぐ分かる。
館の記録も、その説明を書いていた。
九点のうち、館が場面を説明しているのは六点である。
そのうち四点が、祭に関わる説明だった。
もう一つ、集まりの理由になるものがある。
裁きの場と、信仰の場である。
法廷の一点と、黙示録の一点が、それにあたる。
どちらも、人が集まらなければ成立しない場面だ。
つまり、群衆を描くには、集まる理由を先に決める必要がある。
そして、その理由が題になる。
題が場面を名指し、場面が人数を決める。
九点の題を並べると、その順序が見える。
記録に書かれていないこと
館の記録は、人数を書かない。
九点のどの記録にも、何人いるかは書かれていない。
題に「数え切れぬ」とある一点でさえ、そうである。
数えれば数えられるのに、数えていない。
これは当然でもある。
記録の欄は、素材と寸法と番号を書くためのものだ。
画面の中身を数える欄はない。
そして、群衆の中の誰かも書かれない。
九点のうち、名前のある人物は一人もいない。
物語の場面でも、主役の名は題に入るだけである。
群衆は、匿名の集まりとして扱われる。
第一回でも、名前のない顔を数えた。
横顔の話では、一点も名前がなかった。
顔が大きく描かれても、名前は残らない。
群衆なら、なおさらである。
次の回は、集まりが列になる場合を見る。
行列という形を数えたい。










