象の大きさは、隣に立つ人が証明する——スワン・アンドレアーニ・ディーン・ダヤールほか九点
牛や馬は体の側面を見せて値打ちを示した。象は人と並ぶことでしか大きさを示せない。九点のうち五点で、人は象の脚ほどに描かれている。比べる相手のいない一点だけが、ただの一頭に戻っていた。牙が描かれるのは、九点のうち三点にすぎない。

青い紙の上に、木炭で象が立つ
青灰色の紙に、木炭だけで象が描かれている。
体は横向きで、頭がわずかにこちらを向く。
耳は大きく、後ろへ広がっている。
耳の縁は薄く、内側に向かって濃くなる。
鼻は下へ垂れ、先が地面の近くで軽く曲がる。
牙は描かれていない。
目は小さく、皺のあいだに埋まっている。
額から鼻の付け根にかけて、深い皺が何本も走る。
前脚は太く、柱のようにまっすぐ落ちる。
後ろ脚は少し曲がっている。
背中の線は肩で高く、腰へ向かってゆるやかに下がる。
体の表面には、木炭の線が方向を変えながら重なる。
明るいところは、紙の青がそのまま残されている。
背景には、細い線が数本引かれているだけである。
左下に署名がある。

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
制作の年は、作者の活動した期間がそのまま書かれている。
つまり、いつ描かれたかは分かっていない。
分かるのは、この象が観察にもとづいて描かれたらしいことである。
耳の付け根の窪み、皮膚の皺の走り方、脚の指の並び。
いずれも、伝聞では出てこない細部である。
十九世紀の欧州には、動物園と巡回の見世物があった。
象を間近で見る機会は、思うより多かった。
紙の色も、この一枚では効いている。
青灰色の紙を使うと、白と黒の両方を足せる。
木炭で暗いところを作り、紙の地が中間の明るさを受け持つ。
もし白い紙なら、象の体の灰色を作るのに手間がかかる。
つまり紙の色が、そのまま象の皮膚の色になっている。
そして描かれているのは、体の一部である。
尾の先も、後ろ脚の下も、画面の外へ出ている。
近づいて見た結果として、全身が入らなかったのだろう。
ただし、それは記録に書かれていない。
大きい獣は、何をさせられるか
この一枚を出発点に、象と駱駝の絵を九点数えていく。
象は、陸でもっとも大きな獣である。
駱駝は、水の少ない土地を長く歩ける獣である。
どちらも、人が運ぶために使ってきた。
そして、どちらも遠い土地の獣として、絵の中では珍しさの記号になる。
先に言ってしまうと、九点のうち八点までが象で、駱駝は一点しかない。
前の回で蛇が曲がり方で説明することを見た。
象の場合、説明するのは大きさである。
九点のうち五点で、象は人と並べて描かれている。
並べることでしか、大きさは示せない。
白い象を、人が洗う
二点目は、中国の掛幅である。

縦長の紙である。
画面の上半分を、文字が埋めている。
細かい字が縦に何十行も並び、四角い塊をつくる。
その塊の左右には、赤い印が押されている。
文字の塊の下、画面の中ほどから下にかけて、絵がある。
薄い墨で、象が一頭描かれている。
体は白く、輪郭線だけで示されている。
耳は小さく、鼻は下へ垂れる。
その体のまわりに、人が数人いる。
背丈は象の脚ほどしかない。
一人は布のようなものを持ち、体に当てている。
一人は桶らしいものを抱えている。
一人は少し離れて立ち、こちらを見ている。
地面も背景も描かれていない。
館の札は「象」の一語である。
制作の年は記されていない。
つまり、いつ描かれたかは分かっていない。
見えるのは、文字が絵より広い面積を占めていることである。
九点のうち、絵より文字のほうが広いのは、この一点だけである。
そして表装まで含めれば、全体は220.3センチになる。
画面そのものは87.2センチしかない。
つまり紙の面積の三分の一ほどが絵と文字で、残りは表装の裂である。
掛けて眺めるとき、目に入る大部分は布である。
その中央に、文字の塊があり、その下に薄い象がいる。
薄く描くことには理由があるのかもしれない。
白い象は、色を塗れば白くなくなる。
輪郭だけを残すことが、白さの表し方になる。
館の記録は、そこまでは書いていない。
象の背に、人が横向きに座る
三点目は、日本の掛幅である。

縦長の絹である。
中央に、白い象が一頭立っている。
体は横向きで、頭は左を向く。
耳は大きく垂れ、鼻は下へ伸びて先が丸まる。
牙が二本、短く前へ出ている。
脚は太く、地面に薄い墨で影が刷かれる。
その背に、人がひとり横向きに座っている。
黒い上着に、青い帯を締めている。
髪は結い上げ、簪を挿している。
顔は下を向き、目を伏せている。
片手に、白い花を持っている。
花びらが数枚、下へ落ちている。
館の記録では、この人物は男の装いをした女である。
そして、本来そこに座るはずの菩薩に代わって置かれている。
その菩薩は学びを象徴し、ふつう象に乗るという。
手にした花から花びらが落ちることで、この絵は移ろいを説くと記録は読む。
さらに、十二世紀のある女の伝説にも触れている。
僧との出会いののち、その人が菩薩の現れであることを明かしたという。
館の記録は、そう説明している。
つまりこの象は、乗る人が入れ替わっても同じ象である。
象そのものは、誰を乗せるかによって意味を変える台になっている。
象の描き方も見ておきたい。
体は輪郭線と、ごく薄い墨のぼかしだけでできている。
皺は数本しか引かれていない。
耳の内側にも、目のまわりにも、細部がない。
つまりこの象は、観察された象ではない。
乗る人を高く見せるための、白い塊である。
前の回で見た馬の絵と、役目がよく似ている。
高さを作るための台という点では、象も馬も変わらない。
違うのは、象が仏の乗りものという決まりを負っていることである。