版画にするための大画面——トランブルの覚書
大画面のための、小さな習作
制作の過程も見ておきたい。

小さな素描である。若い男の胸像が、鉛筆で描かれる。
顔は右を向き、口元がわずかに開く。髪は後ろで束ねられている。
肩には軍服の飾りが見える。線は細く、陰影は薄い。
紙の下部には、輪郭だけの線が残る。仕上げていない部分である。
題名によれば、これは別の大画面のための習作である。
素描の紙
材料にも触れておきたい。この素描は、簀の目紙に黒鉛で描かれている。
簀の目紙は、手漉きの紙である。漉き簀の跡が、細い線として残る。
光に透かすと、その線が見える。紙の産地や年代を推定する手がかりにもなる。
つまり素描は、絵の内容だけでなく、紙そのものが資料になる。
顔は、本人から取る
習作の役割を考えたい。歴史画には、多くの人物が登場する。
その一人ずつの顔を、実在の人物から写しておく。
つまり大画面の中の顔は、それぞれ別の機会に描かれた素描にもとづく。
歴史の場面を描くために、現在の人物を集める。逆向きの作業である。
同じ手順は、別のコラムで扱った画家にも見られる。
裸体の習作
もう一点、習作を見たい。

男性の裸体が描かれる。右腕を高く上げ、上体をひねる。
左脚を前へ出し、体重を移している。動作の途中の姿勢である。
紙は青みがかっている。その上に黒チョークで影を置き、白チョークで明るい部分を描く。
つまり紙の色が、中間の明るさとして働いている。
三色で立体を作る方法である。
学校で学ぶということ
制作の背景も補いたい。18世紀後半のロンドンには、王立美術院があった。
そこでは、古代彫刻の模写と裸体の写生が課程に組み込まれていた。
つまり裸体習作は、個人の趣味ではなく訓練の一部である。
美術院の設立と、そこに入れなかった人々については、
別のコラムで扱った。
紙の色を、使う
技法について補いたい。白い紙に描く場合、明るい部分は塗り残す。
青い紙なら、白を加えて明るい部分を作れる。
その結果、明暗の幅が広がる。中間の色を毎回作る必要もない。
紙の色を活かす方法は、別のコラムでも扱った。
将軍の立像
肖像に移りたい。

画面の中央に、軍服の男が立つ。紺の上着に金の飾り、白いズボン。
左手に帽子を抱え、右手に紙を持つ。背後の空は明るく、雲が流れる。
そして画面の右に、もう一人いる。赤いターバンを巻き、暗い衣を着る。
馬の手綱を持ち、こちらを見ている。
題名は、この人物の名も記している。ウィリアム・リーである。
赤いターバンという装い
装いについても見ておきたい。従者の人物は、赤いターバンを巻いている。
この装いは、当時の従者の衣装として描かれることがあった。
つまり本人が選んだ装いとは限らない。雇い主または画家の選択である可能性がある。
装いは、その人の意思をそのまま示すとは限らない。
名前が記録されていること
ここは重要な点である。この時代の絵では、従者の名が記録されないことが多い。
その多くは、奴隷とされた人々である。名も立場も残らない。
しかしこの一点では、題名に名が入っている。
ウィリアム・リーは、ワシントンに所有され、従者として付き従った人物である。
つまりこの画面には、独立を掲げた側の指導者と、その人に所有された人が同時に描かれている。
矛盾を、書いておく
この矛盾は、絵の外にあるものではない。画面の中にある。
自由を掲げた戦争の指導者が、人を所有していた。
その事実を抜きに、この肖像を「建国の英雄の姿」としてだけ読むことはできない。
記録という言葉の危うさは、
別のコラムで扱った。
美術館の記録が名を残していることは、読む側にとって手がかりになる。
一七八〇年という制作年
年代も確かめておきたい。この一点は1780年の作である。
独立戦争のさなかにあたる。つまり、結果が出る前に描かれている。
後年の記念画とは、性格が違う。
制作年を確かめることは、絵の立場を確かめることでもある。
別の型の、同じ人物
同じ人物を描いた、別の一点も見たい。

こちらも立像である。しかし姿勢が違う。
体を右へひねり、右手を横へ伸ばす。左手は腰の剣に添えられる。
背後に馬がいて、首を下げる。その脇に人物が二人、膝を折る。
足元には大砲の車輪と、倒れた旗が見える。奥は暗い戦場である。
つまり、戦闘の直前の場面として構成されている。
同じ人物を、繰り返し描く
反復についても触れておきたい。この画家は、同じ人物を何度も描いている。
公開分には、アレクサンダー・ハミルトンの肖像が三点含まれる。
一点は縦78.1センチ、一点は縦76.2センチ。寸法も構図も近い。
つまり、同じ図を複数作っていたことになる。
需要のある顔は、繰り返し複製される。その仕組みは、
別のコラムで扱った。