画家を知る

原作と模作——ヴァン・ダイクの名で残る絵

記録されなかった人

ここは、慎重に扱いたい。この時代のヨーロッパの肖像には、従者として描かれた人物が現れる。

その多くは、名を記録されていない。奴隷とされた人が含まれていた可能性も指摘されている。

つまり画面の中には、記録された人と、されなかった人がいる。

絵の華やかさだけを見て、この非対称を見落とさないようにしたい。

記録という言葉の危うさは、
別のコラムでも扱った。

額の寸法も残っている

寸法欄をもう一度見たい。画面は242.9×138.5センチ。額を含めると271.5×166.4センチ。

厚さも12.7センチと書かれている。つまり額は、幅15センチほどの枠である。

額込みの寸法が残っていることの意味は、
別のコラムで扱った。

大きな肖像は、額まで含めて壁の一部になる。設置の条件が、絵の大きさを決める。

家に、二百八十年とどまった絵

来歴の記録も見ておきたい。この肖像は、描かれた人の夫が所有した。

その後、息子たち、甥、さらにその子孫へと相続されていく。所蔵館の記録は、その系譜を人名と年で追っている。

一族の手を離れたのは1906年である。1623年の制作から、およそ二百八十年後になる。

その後は画商の手に渡り、複数の会社の共同所有を経て、収集家の元へ移る。

つまり、家の中にあった絵が、市場に出て、館に入った。

同じ家の、子どもの肖像

同じ注文の一環として描かれた作品もある。

フィリッポ・カッタネオ
アンソニー・ヴァン・ダイク《フィリッポ・カッタネオ》1623年。油彩・画布。縦122.5センチ、横84.1センチ。額を含めて縦161.6センチ、横123.8センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アンソニー・ヴァン・ダイク《フィリッポ・カッタネオ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

少年の全身像である。縦122.5センチ。先の肖像の、ほぼ半分の大きさになる。

黒い服を着て、袖に細かい模様が入る。白い襟が首を囲む。

右手を腰に当て、左手を下げる。足元に小さな犬がいて、こちらを見上げる。

背景は暗く、床の縁だけが見える。上部に文字が薄く残る。

同じ年、同じ一族のために描かれた。大人と子どもで、寸法が明確に分けられている。

寸法が、序列を示す

寸法の差にも意味がある。当主とその妻は大きく、子どもは小さい。

これは技術ではなく、注文の等級である。肖像の大きさが値段と地位に対応する仕組みは、
別のコラムで扱った。

一世紀半あとのイギリスでも、同じ構造が続いている。

写しの品質には幅がある

写しの質についても書いておきたい。十三点の小さな板絵は、筆が速く、細部が省かれている。

一方、四人の少年の一点は、顔の描写が丁寧である。同じ「倣う」でも、手のかけ方が違う。

つまり写しは一括りにできない。値段も、用途も、作った人の腕も違ったはずである。

記録の語は同じでも、画面を見れば差が分かる。語と画面の両方を見る必要がある。

見立て——写しは、絵の寿命を延ばす

ここまでを整理したい。原作は一点しかなく、しかも動かない。

写しがあれば、図は別の場所へ届く。小さくすれば、個人の手元にも入る。

つまり写しは、図を運ぶ手段である。印刷が普及する前は、写しがその役目を担っていた。

そして写しは、原作が失われたときの記録にもなる。原作の姿を伝えるのは、しばしば写しである。

複製が評価を運ぶ話は、別のコラムでも扱った。

「倣う」と書かれた作品の見方

写しの見方も書いておきたい。作者不明の写しでも、当時の需要は読める。

どの図が写されたか。どんな寸法に変えられたか。誰が買ったか。

これらは、原作だけを見ていては分からない。写しは、受け取られ方の記録である。

四十三点の内訳

公開分の構成も確かめておきたい。本人作が30点、倣った作が13点である。

本人作の内訳は、肖像、宗教画、習作頭部、素描である。倣った作は、ほぼすべてが使徒の小さな板絵である。

つまり写しの側は、一つの連作に集中している。まとまって収蔵された結果だと考えられる。

暮らしへ——同じ絵を、二つの大きさで印刷する

家でできることを書いておきたい。気に入った絵の画像を、二通りの大きさで印刷してみる。

一つは葉書大、もう一つはA3ほどの大きさで。並べて壁に貼ると、印象がまるで違う。

小さいほうは手に取って見たくなり、大きいほうは離れて眺めたくなる。

大きさは、見る距離を決める。写しが寸法を変えたとき、何が起きたのかが体で分かる。

小さな板絵の並べ方

十三点の使徒像について、もう一言書いておきたい。同じ寸法で揃っているため、
横一列にも、三段四列にも並べられる。

壁の形に合わせて配置を変えられるのが、小さな組物の利点である。

大画面の連作では、こうはいかない。設置の自由度は、寸法に依存する。

群として見ると、記録の語が見える

最後に、見方をまとめておきたい。43点を作者欄の表記で分けてみる。

「ヴァン・ダイク」と「ヴァン・ダイクに倣う」。二つの群に分かれる。

そのうえで、寸法と材料で並べ替える。写しの群だけが、同じ寸法に揃っていることが分かる。

公開画像は、そのための道具である。記録の語と画面を往復する作業が、写しの位置を教えてくれる。

そして、気づいた点は書き留めておきたい。作者欄の表記は、見落としやすい。

一行の記録が、次に見るときの足場になる。

写しを、どう数えるか

最後に、書き添えておきたい。同じ図の写しが複数あるとき、
どれを基準に数えるかは決まっていない。

原作一点と写し十点を、十一点と数えるのか。

分類の基準そのものが、扱う側の判断である。

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