美術史・技法

織るは、交差させること——歌麿・モリス・アルマ=タデマほか九点

織る者は、蜘蛛でもある

八点目では、織るは虫の名である。

昆虫の習作
ヨハネス・ブロンクホルスト《昆虫の習作》1665年から1727年ごろ。館の記録では、水彩、不透明水彩、アラビアゴム、茶インクの枠線。紙は20.7×31.4センチ。番号は2022.9。クリーヴランド美術館蔵。ヨハネス・ブロンクホルスト《昆虫の習作》クリーヴランド美術館蔵

横長の紙である。

紙は20.7×31.4センチしかない。

地は、白に近い薄い灰である。

紙の上に、虫が散らばる。

虫は八つほどいる。

いちばん大きいのは、上の中央にいる。

翅は透け、細かい網目がある。

体は緑で、太い。

その左には、細い脚の虫がいる。

下には、丸い体の虫が二つ並ぶ。

一つは赤く、一つは黒い。

右の上には、小さな虫がいる。

脚が細く、放射状に開く。

蜘蛛である。

いちばん右下にも、同じような形がある。

虫と虫のあいだは、空いている。

影は、どれにも付いていない。

虫は宙に浮いているように見える。

並び方には、規則がない。

大きいものが中央、小さいものが縁にある。

向きも、それぞれ違う。

館の記録では、この時代のこの国では、生き物への関心から大きな収集が生まれた。

この画家のような作者は、その収集を絵で記録する専門家になった。

そして館は、この一枚に何がいるかを列挙している。

蝉、穀物の葉を食べる甲虫、てんとう虫、そして棘のある円網を張る蜘蛛。

さらに二匹の長い触角の甲虫、赤い角のある甲虫、迷迭香の甲虫、竹節虫であるという。

館の記録は、そう説明している。

つまり蜘蛛の名に、織るという語が入っている。

網を張ることが、織ることと呼ばれている。

この画家は、極細の筆と拡大鏡を使ったという。

翅の網目は、一本ずつ引かれている。

アラビアゴムが、その上に艶を作る。

館の記録は、そこまで書いている。

虫の絵については、画面の中の虫で扱った。

柵の線が、うねりながら続く

最後の一点で、織るは線の動きである。

無題(冬の風景)
ウィリアム・ビー・ポスト《無題(冬の風景)》1900年ごろ。館の記録では、プラチナ印画。画面は14.9×23センチ。番号は1993.28。クリーヴランド美術館蔵。ウィリアム・ビー・ポスト《無題(冬の風景)》クリーヴランド美術館蔵

横長の写真である。

画面は14.9×23センチしかない。

全体が灰色である。

黒も白も、強くは出ていない。

画面の下三分の一は、雪の野である。

雪の面には、細かい起伏がある。

手前の左右に、土の盛り上がりがある。

盛り上がりは暗く、雪が薄い。

その二つのあいだから、奥が見える。

中ほどには、柵が続く。

柵は細い杭の列である。

杭は等間隔ではない。

列は、まっすぐではない。

右へ折れ、また左へ戻る。

その線が、目を奥へ導く。

柵の向こうには、木立がある。

木は葉を落とし、枝だけである。

枝は細かく、霞んで見える。

いちばん奥には、山並みがある。

山は薄く、空との境があいまいである。

空は白く、何も写っていない。

雲の形も、太陽の位置も分からない。

光は一様で、影がほとんどない。

曇りの日らしい。

館の記録では、この写真家は冬の場面でとくに知られた。

多くは、自宅の近くで撮られたという。

そして館は、構図について書いている。

巧みに位置を選び、手前の二つの土の盛り上がりで画面を囲った。

その枠の中に、木立の点在する開けた野が広がる。

そして柵のうねる線が、目を遠い山並みへ導くという。

館の記録は、そう説明している。

つまりここでは、織るは線の動きを指す。

まっすぐでない線が、そう呼ばれている。

杭は数えられるほど少ない。

しかし列としては、遠くまで続く。

点の並びが、線に見えている。

写真の作り方については、写真の作り方で扱った。

数えてみると

九点を並べ直す。

人が布を織っているのは、二点である。

高い機の前と、床に座る姿。

機械が織ったものが、一点。

織った布に文様を刷ったものが、一点。

花を編んでいるのが、二点。

織る者が神話の名なのが、一点。

蜘蛛の名なのが、一点。

線の動きなのが、一点である。

もう一つ数える。

九点のうち、機が写っているのは三点である。

歌麿の機、ホピの機、そしてジャカードの機。

ただしジャカードの機は、布の中に写っていない。

記録の言葉としてあるだけである。

さらに数える。

九点のうち、織るという語が題に入るのは四点である。

機に向かう女、ホピの織り手、花冠を編む女、そして蜘蛛の名。

残る五点では、織るは説明文の中にある。

言えることと、言えないこと

言えるのは、織るという語が「交差させることすべてを指す」ということである。

糸を交差させれば布になる。

花を交差させれば輪になる。

蜘蛛が糸を交差させれば巣になる。

道や柵が左右に振れれば、その線も織ると呼ばれる。

九点のうち四点で、織る対象は糸ではなかった。

花が二点、蜘蛛の糸が一点、柵の線が一点。

そのうち三点では、交差そのものも描かれていない。

描かれているのは、交差した結果だけである。

言えないのは、織る場面が動いて見えるという話である。

歌麿の女は、板を持ったまま止まっている。

ホピの織り手は、手を糸に入れたまま止まっている。

絵は、繰り返しの一瞬しか写せない。

何千回のうちの一回である。

最後に、はじめの一枚へ戻る。

床に、織り上がった白い布が垂れている。

その布は、いま織っている糸の先にある。

始まりと終わりが、同じ画面にある。

しかし、そのあいだの時間は描かれていない。

九点を数え終えて残るのは、描かれなかった繰り返しのほうである。

布の面積が、その回数を示している。

広い布ほど、長い時間がかかっている。

モリスの布は一辺が90センチある。

その面積が、そのまま手数である。

数えられるのは、面積のほうだけである。

手数は、記録にも画面にもない。

数えられないものを、面積で置き換える。

九点を通して、それが唯一の手がかりだった。

織ることは、時間を面積に変える仕事である。

見る側は、その逆をたどることになる。

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