踊る足は、地に着いている——デューラー・ドガ・雪佳ほか九点
三人が、袖を振って回る
八点目は、下絵である。

館の記録に、寸法の記載はない。
横長の画面である。
地は、薄い黄褐色である。
背景には、何も描かれない。
画面に、三人が並ぶ。
いずれも、衣だけが大きく見える。
左の一人は、赤い衣を着る。
模様は、緑の三角である。
頭の上に、緑の笠がある。
体は、大きくひねられる。
中央の一人は、黒い衣である。
模様は、白い市松と輪である。
腰を落とし、前へ屈む。
右の一人は、青緑の衣である。
模様は、大きな丸である。
片腕を、頭の上へ上げる。
顔は、三人とも小さい。
目と口は、細い線である。
輪郭の線は、太く速い。
館の記録では、これは版画の下絵である。
仕上がった版よりも、線が緩いという。
館は、そう説明している。
下絵という形についても書いておきたい。
これは、薄い紙に描かれている。
透かして写すための紙である。
版にするときは、この線を写し取る。
刷り上がりでは、線がもっと整う。
速い線は、そこで失われる。
下絵にだけ、手の速さが残っている。
三人の顔が小さいのも、この段階の特徴だろう。
決めるべきは、衣の形と配置である。
顔は、後から整えられる。
館の記録では、これは連作の一つである。
百の世の草、という名の組だという。
平原で、輪になって進む
九点目は、油彩である。

横長の画面である。
全体は45.2×60センチある。
絵の部分は、楕円に見える。
周りは、白い紙である。
地面は、淡い黄褐色である。
空は、薄い青と白である。
奥に、天幕が並ぶ。
天幕は円錐形で、細い。
十以上ある。
画面の中央に、人の輪がある。
人は十数人いる。
いずれも横向きで、右へ進む。
腕を、体の前で曲げる。
膝も、深く曲がる。
背は、前へ傾く。
手に、細い棒を持つ人がいる。
体には、赤や黄の彩色がある。
顔は、小さくて分からない。
手前の地面に、赤いものが散る。
輪の外にも、人が立つ。
その人たちは、動いていない。
見ている人である。
館の記録には、題と年しかない。
この画家は、同じ主題を繰り返し描いた。
若い頃の旅の記録を、後から油彩にしている。
この一点も、その一つだろう。
1861年という年は、旅からかなり後である。
描かれた輪の形を、もう一度見る。
人は、等しい間隔で並ぶ。
姿勢も、ほとんど同じである。
同じ形を繰り返すことで、群れが作られる。
一人ずつを描き分けてはいない。
踊りの絵では、この描き方がよく使われる。
壺の行列も、宿の前の輪もそうだった。
繰り返しが、律動の代わりになる。
数えてみると
九点を並べ直す。
踊っている姿があるのは、七点である。
農民の夫婦、村人の輪、壺の行列、袖の三人である。
銅の像、磁器の少女、下絵の三人も数に入る。
猿の舞と、平原の輪を加えれば、九点になる。
このうち、足が地面から離れているのは二点だけである。
跳ね上がる農民の男と、壺の中の一人である。
残る七点では、足が地に着いている。
膝を曲げるか、腰を落とすかである。
もう一つ数える。
楽器が描かれるのは、三点である。
笛と、太鼓と、袋の楽器である。
音の出どころが見えない絵が、六点ある。
見ている人が描かれるのは、二点である。
平原の輪の外と、座敷の女たちである。
さらに数える。
九点のうち、屋外が四点、屋内が二点である。
残る三点は、場所が示されない。
背景が白いままの絵が、三点ある。
技法でも数える。
油彩が二点、紙の絵が三点である。
陶が一点、磁器が一点、ブロンズが一点、版画が一点である。
年でも並べる。
紀元前が一点、十六世紀が一点である。
十七世紀が一点、十八世紀が二点である。
十九世紀が二点、二十世紀が二点である。
二千三百年余りの幅がある。
それでも、沈む姿勢は繰り返される。
人数でも分かれる。
二人が一点、三人が二点である。
五、六人が一点、十数人が三点である。
一人だけが二点である。
一人の二点は、いずれも彫刻と人形である。
身振りについては、エドモンズと身振りでも触れた。
言えることと、言えないこと
言えるのは、踊りの絵が足を地に着けるということである。
九点のうち、宙に浮いた足は二点しかなかった。
多くは、膝を曲げて沈んでいる。
沈む姿勢は、止まって見える。
止まって見えるほうが、形が定まるからだろう。
跳んだ瞬間は、輪郭が決まらない。
絵は、決まる姿勢を選んでいる。
言えないのは、踊りの絵が動きの絵だという話である。
九点のうち、いちばん動いて見えるのは版画の一枚だった。
そこでは、腕が画面の外へ突き出ていた。
はみ出す形が、動きを示している。
銅の像では、逆に動きが止められる。
同じ主題が、材料によって別のものになる。
律動の彫刻家と呼ばれた人でも、そうである。
踊り子については、画面のなかの音楽で扱った。
最後に、はじめの一枚へ戻る。
デューラーの二人のうち、女は地を踏んでいた。
男だけが、脚を跳ね上げている。
同じ紙の上で、二つの姿勢が並ぶ。
九点を数え終えて残るのは、その並びである。
踊りの絵は、動く人と、留まる人でできている。
留まる人がいなければ、動きは測れない。
壺の中でも、笛を持つ人は静かだった。
平原の輪の外にも、立ち止まる人がいた。
座敷では、太鼓を打つ人が座っていた。
動かない誰かが、必ず画面にいる。
九点は、その組み合わせを並べたものである。
動く人だけを描いた絵は、少ない。
止まっている誰かが、拍を数えている。
見る人も、その側に立つことになる。
踊りの絵を見るとは、動かない側から見ることである。
笛を持つ人の位置に、見る人が置かれる。
九点は、その席を用意していた。
沈んだ膝と、止まった腕が、そこから見える。
跳ぶ瞬間だけが、いつも省かれている。
省かれた瞬間は、見る人が埋める。
沈んだ膝の先に、次の動きを想像する。
九点は、その想像に場所を空けていた。
空いた場所が、踊りの絵の余白である。









