洗うか、干すか——ルペール・ドガ・広重ほか九点の洗濯

黄色い壁の建物が、丘の上に並んでいる。
窓の一つに、明かりがともる。
空は青灰色で、木立の上に大きな丸い月が浮かぶ。
手前は、石の塀に囲まれた庭である。
その庭に、白い布が二列、綱に掛けられている。
黒い服の女が一人、布のあいだに立っている。
裸の木が三本、庭の中に立っている。
館の記録では、これは修道院だった建物の裏庭である。
画家は1914年にこの建物を買い、大家族の家に作り変えた。
そして人生の最後の三十年を、そこで過ごしたという。
黒い服の女は、洗濯物を干している。
そして記録は、その理由を書いている。
習わしにより、月の光で布を晒すためだという。
つまり、夜に干すことに意味がある。
満月の金色の光が、夜の場面ぜんたいを覆っていると記録は読む。
日に干すのではなく、月に晒す。
洗濯には、そういう作法もあった。
九点のうち、夜の洗濯はこの一点だけである。
左下と右下に、組み合わせ文字の署名と年記が入っている。
ところで、記録には小さなずれがある。
作品の年は1894年と書かれている。
だが建物を買ったのは1914年だ、とも書かれている。
二十年の開きを、記録は説明していない。
同じ庭を後から思い出して描いたのか、年の欄が動いたのか。
ここからは決められない。
分かるのは、この庭が画家にとって長く大事な場所だったことだけである。
来歴の欄によれば、この小さな板は画家から友人へ贈られた。
売られたのではなく、手渡された一枚である。
干してあるのは、洗濯物ではない
最後の一点は、日本の街道である。

道ばたに、細い杭が何本も立っている。
杭のあいだに綱が張られ、白く長いものがびっしり掛かっている。
風になびく形が、洗いざらしの布によく似ている。
その手前で、青い着物の女が三人働いている。
一人は、むしろの上に座って手元の実を削っている。
一人は立って、削ったものを綱に掛けようとしている。
奥には、藁ぶきの屋根の家が三軒。
大きな木が一本、画面の真ん中に立つ。
遠くには山なみが青く重なる。
道を、笠をかぶった旅人が二人歩いていく。
さて、綱に掛かっている白いものは、洗濯物ではない。
題にあるとおり、この土地の名物の干瓢である。
瓜の実を細長く削って、干して乾かす。
洗って干すのではなく、切って干している。
九点のうち八点までが布を干し、この一点だけが食べ物を干していた。
だが、画面の作りはほとんど同じである。
杭と、綱と、白く垂れる細長いもの。
干すという行いは、洗濯でも食べ物でも、同じ形になる。
左上の枠には、叢書の名と宿場の名と、名物の名が刷り込まれている。
同じ宿場が三度出てくると数えた回の、あの叢書である。
右下には、署名と印がある。
館の分類の札には、家、男、女、山、木の五語が並ぶ。
洗濯の語も、干瓢の語も、札にはない。
札だけを読むと、これは街道の風景画である。
題を読むと、名物の紹介になる。
そして画面を見ると、洗濯物のように見える。
一枚の紙が、三通りに読める。
この紙は1918年に、館の基金で買われた。
数えると、こうなった
九点を数え直す。
洗う場面が三点。
川辺のゴワイヤン、エトルタの浜、メキシコの流れである。
運ぶ場面が二点。
洗濯船の階段と、パリの街角。
干す場面が三点。
洗濯屋の天井、修道院の庭、そして干瓢の綱である。
顔を描いた習作が一点。
段階でいちばん多いのは、洗うと干すだった。
では、絞る場面はどうか。
一点もない。
畳む場面も、たたんだ布の山も、九点にはなかった。
アイロンをかける絵も、この九点には入らなかった。
洗濯の絵は、水のそばと、風のそばに集まっている。
水と布が触れる瞬間と、布が空にさらされる瞬間。
その二つが、絵になりやすいのだろう。
白の量も数えられる。
九点すべてに、白い布か白い干瓢が写っている。
洗濯の絵とは、白いものが画面に置かれる絵である。
暗い部屋のドガでさえ、天井から白が垂れていた。
布は動きを描くための道具だと数えた回があった。
洗濯の絵では、布は動きよりも、明るさの担当である。
働く人も数えておく。
九点に描かれた洗濯の働き手は、数えられるかぎり全員が女性である。
記録の分類の札にも、女、という語が並ぶ。
洗濯は、絵の中では女の仕事として描かれてきた。
運ぶのも、洗うのも、干すのも、同じ人たちである。
九点を通して、男の姿は道を通り過ぎる旅人だけだった。
ただし、これは記録の言葉をそのまま数えた結果でもある。
土地も数えておく。
フランスで描かれたものが五点、アメリカの画家の手が二点。
メキシコの流れが一点、日本の街道が一点である。
年代は1834年ごろから1917年まで、八十年ほどに収まる。
十九世紀の後半に、洗濯の絵が集まっている。
洗濯屋という商売が育った時代と、重なっているのかもしれない。
言えないことも書いておく。
この九点は、記録に洗濯や干し物の語を持つものから集めた。
だから、フランスの絵に偏るのは集め方のせいでもある。
冬の氷に穴をあけて洗う絵も、この外にはある。
そういう一枚は、凍った水の回に出てくる。
最後に、記録に残らないことを一つ。
九点のどの記録にも、洗い物の持ち主は書かれていない。
誰の敷布で、誰の襯衣なのか、どの欄も書かない。
洗う人の名前も、ほとんど残っていない。
残ったのは、白い布と、かがんだ背中の形だけである。
その白は、乾けば持ち去られ、また汚れて戻ってくる。
絵の中の布だけが、いつまでも乾かずに掛かっている。
次に洗濯の絵に出会ったら、白いものの数を数えてみてほしい。
たいていは、人よりも布のほうが多いはずである。









