美術史・技法

修道士の子、画家になる——リッピ父子

父は修道士のまま画家になり、息子は父の弟子ボッティチェッリに学んだ。技は血ではなく、工房を経由して伝わる。ルネサンス・フィレンツェの継承の仕組みを、フィリッポとフィリッピーノ、リッピ父子の九点の見比べで確かめる。

受胎告知
フィリッポ・リッピ《受胎告知》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

上端が、段になって切れている

一枚の絵から始めたい。

受胎告知
フィリッポ・リッピ《受胎告知》1435〜40年ごろ。テンペラ・板。縦100センチ、横161センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。フィリッポ・リッピ《受胎告知》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の板である。縦100センチ、横161センチ。

ただし、ふつうの長方形ではない。上端の輪郭が、段状に切れ上がっている。

中央が高く、左右の肩が一段低い。額縁の飾りではなく、画面そのものの形である。

なぜ、こんな形をしているのか。

この形は、絵が家具や壁面に嵌め込まれていた名残と考えられる。

寝室の腰板、戸口の上の飾り。当時の板絵は、しばしば建築や調度の一部として注文された。

絵は壁に掛けるものではなく、部屋に組み込まれるものだった。

壁から外されたとき、嵌め込み先の輪郭だけが絵に残った。

段状の上端は、失われた部屋の形見である。

板の事情は板に描くという選択で書いた。

制作年に幅があるのは、注文の記録が残らず、様式から推定されているためと考えられる。

画面の中を見よう。主題は受胎告知である。

左から天使ガブリエルが膝をつき、右で聖母マリアが告げを受けている。

聖母は身を引き、目を伏せる。驚きと受け入れが、同じ姿勢の中にある。

まず目を引くのは、天使の翼である。孔雀の羽のような、青緑の目玉模様がびっしりと並ぶ。

二人のあいだの床には、ガラスの瓶が置かれている。

透けた器のなかを、光がそのまま通り抜ける。聖母の純潔を示す意匠と考えられる。

光がガラスを傷つけずに通るように、神の子は母を汚さずに宿る。そういう見立てである。

柱廊の奥には、塀に囲われた庭が見える。

閉ざされた庭もまた、聖母を指す伝統的な象徴と考えられる。

建物の線は、画面の奥の一点へ引き絞られている。

当時のフィレンツェで練り上げられたばかりの、線遠近法の空間である。

遠近法の固い骨組みの上に、絹と羽根の柔らかな輝きが載っている。

理屈の空間と、感覚の輝き。この取り合わせが、描いた男の生涯とよく似ている。

なお所蔵館の記録によれば、この板はミラノの収集家の手などを経て、二十世紀に海を渡った。

現在の所蔵は、クレス・コレクションからの寄贈による。

修道士のまま、画家になった

描いたのはフィリッポ・リッピ。1406年ごろ、フィレンツェに生まれた。

幼くして孤児となり、カルメル会の修道院に預けられたと伝えられる。

そのまま修道誓願を立てた。だから「フラ(修道士)・フィリッポ」と呼ばれる。

修道士の身分のまま、絵筆で身を立てた画家である。

彼が育った修道院の聖堂には、当時最新の壁画があった。

若い日のリッピがそれを学んだと、伝記作者ヴァザーリは伝えている。

修道院は、祈りの場であると同時に、絵の学校でもあった。

そして彼の生涯には、有名な醜聞がある。

同じヴァザーリが伝えるところでは、リッピは修道女ルクレツィア・ブーティを連れ出した。

二人のあいだに息子が生まれたと伝えられる。のちの画家、フィリッピーノ・リッピである。

修道士と修道女の子。当時の常識では、ただごとではない。

それでも画業が絶えなかったのは、メディチ家の庇護があったからと伝えられる。

腕が、身分の掟より強かった。そう言いたくなる経歴である。

晩年は注文に応じてフィレンツェの外へも赴いた。

所蔵館の作家記録は、1469年の没地をスポレートと記している。

もっとも、ヴァザーリは事件から百年ほど後の伝記作者である。

逸話には脚色が混じると考えられ、細部をそのまま信じることはできない。

それでも、息子フィリッピーノが実在し、画家になったことは動かない。

醜聞の子が、やがて父の名声を継ぐ。話はここから、継承の問題に入っていく。

貝殻を背にした聖母

その腕が、どんな聖母を描いたか。二点を見る。

聖母子
フィリッポ・リッピ《聖母子》1440年ごろ。テンペラ・板。縦79センチ、横51.1センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。フィリッポ・リッピ《聖母子》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

聖母が幼子を抱く。背後の壁は、大きな貝殻の形にくぼんでいる。

貝殻形のニッチは、古代の建築に由来する意匠である。

彫像を納めるための壁のくぼみに、画家は生身の母子を置いた。

石の枠に嵌まった聖母は、一見、彫像のようでもある。

だが顔を見ると、石ではない。伏せたまぶた、ふくらんだ頬。

幼子は母の腕の中で身をよじり、小さな手を伸ばす。

若い母親の、柔らかな肉がそこにある。

聖母を彫像の枠に納めながら、生身の体温を与える。この画家の呼吸である。

所蔵館の記録によれば、この板は十九世紀にはベルリンの美術館にあった。

1937年に売りに出され、海を渡って現在の所蔵先に落ち着いた。

玉座の聖母子と二天使
フィリッポ・リッピ《玉座の聖母子と二天使》1440年ごろ。テンペラと金・板。縦122.6センチ、横62.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。フィリッポ・リッピ《玉座の聖母子と二天使》メトロポリタン美術館蔵

こちらは上端がアーチ形の板である。聖母が、暗い色の玉座に深く座る。

玉座は石造りの建築のように重く、彫刻めいた飾りを持つ。

足元では、二人の天使が巻物を広げている。

技法はテンペラに金を併用する。卵で顔料を練る、油彩以前の伝統的な絵具である。

乾きが速く、色は薄く塗り重ねるしかない。肌の柔らかさは、細い筆の積み重ねで作られる。

アーチ形の上端もまた、置かれた場所の形を映すものだろう。

教会の窓や祭壇の枠に、板絵は形ごと寄り添っていた。

建築のような量感と、母子の柔らかさ。フィリッポの聖母は、その両方を備えている。

この柔らかな聖母の型を、のちに一人の弟子が受け取ることになる。