板に描くということ——メムリンクとヘラルト・ダヴィト
同じ構図を、もう一度描く
板絵の商売についても書いておきたい。

森の中である。
中央に聖母が座り、膝に幼子を抱いている。青い外套が地面に広がる。
背後は濃い緑の樹林。左奥に町の建物、右奥に小さな人影が見える。
手前の地面には草と小さな植物が描かれている。

同じ画家による、同じ主題の別の一点である。
こちらはほぼ正方形の画面である。
聖母は岩の上に座り、幼子は葡萄の房を手にしている。
左に驢馬の頭が覗く。右奥では男が棒で木を叩いている。
背後の風景は明るく、湖と丘が青く霞んでいる。
構図の骨格は共通している。座る聖母、膝の幼子、森と遠景。
しかし縦横比が違い、人物の配置も動いている。
同じ工房で、売れる構図を寸法に合わせて作り直していたと考えられる。
板は注文に応じて切れる。だから寸法の自由度が高い。
その自由度が、構図の再利用と結びついている。
需要の側から見ても、反復には理由がある。
家庭で祈るための小さな絵が求められた時代である。
主題は限られている。聖母子、受胎告知、逃避途上の休息、磔刑。
同じ主題を、寸法と値段の違いで揃えて売る。
現代の商品でいえば、同じ意匠の大小の展開に近い。
工房は注文表のような構図の在庫を持っていたと考えられる。
帰属が難しくなるのは、こうした反復があるためでもある。
工房と帰属の問題は別のコラムで扱った。
大きな板もある
小さな板ばかりではない。

高さ186センチ。人の背丈を超える大きさである。
室内が描かれている。
左に天使が立ち、金糸の刺繍された重い祭服をまとっている。
中央に聖母。赤い上衣に濃紺の外套で、開いた本の前に立つ。
背後には赤い天蓋の寝台。窓の外に町並みが見える。
床は市松で、手前に脱がれた履物が置かれている。
この寸法になると、板は一枚では足りない。
複数の板を接いで、大きな面を作る。
接ぎ目は経年で開くことがあり、そこから割れが進む。
だから大きな板絵は、後の時代に画布へ移されることがある。
この一点も、所蔵館の記録に画布へ移されたことが記されている。
板から布へ、支持体が変わっているのである。
移し替えの作業は、19世紀に盛んに行われた。
板の裏を削り、絵具の層だけを残して新しい布に貼る。
割れの進行は止まるが、絵具にとっては大きな負担になる。
現在は、できるだけ板のまま保存する方針が主流である。
板を移された作品には、その時代の判断が残っている。
修復の判断が作品の一部になっていく点は、家具の張り替えと似ている。
その話は別のコラムで扱った。
注文主は、誰だったのか
注文主についても押さえておきたい。
15世紀のブリュッヘは、国際的な商業都市だった。
イタリアの銀行家や商人が支店を置き、教会に寄進していた。
だから板絵の注文主には、外国の商人が含まれる。
祭壇画を注文し、自分と妻の肖像を翼に描かせる例もある。
つまり信仰と商売が、同じ絵の中に同居している。
そして完成した絵は、故郷へ送られることもあった。
板絵が持ち運びやすい寸法で作られた理由の一つである。
作品の移動は、商人の移動とともに起きていた。
板は、木材である
まとめておきたい。
板絵の条件は、ほとんどが木材の性質から来ている。
両面に描ける。だから開閉する仕掛けが作れる。
枠と一体にできる。だから絵と額の境目がない。
切れる。だから寸法を注文に合わせられる。
そして、反り、割れ、虫害がある。だから移されたり、分けられたりする。
私たちが美術館で見る板絵の多くは、
本来の構成から切り離された断片である。
寸法欄に二つの数字が並んでいたら、そこに枠の痕跡がある。
「全体」と「描画面」の差は、失われた枠の幅を示している。
形を変えられてきたという点は、日本の絵と同じ
同じことは、日本の絵にも起きていた。
扇が掛軸になり、下絵が屏風になり、掛軸が台紙に収まる。
その経緯は別のコラムで扱った。
洋の東西で材料も形式も違うが、扱われ方はよく似ている。
作品は、使う人の都合で形を変えられてきた。
いま見ている姿は、その積み重ねの結果である。
二人の画家の公開分
最後に数を確かめておきたい。
当サイトの公開分は、メムリンクが12点、ヘラルト・ダヴィトが11点である。
いずれも小ぶりな板絵が中心で、祭壇画の断片も含まれる。
主題は聖母子、受胎告知、聖人、逃避途上の休息に集中している。
家庭で祈るための絵が多く残ったことの反映である。
暮らしへ——木の板を、光に当てて見る
最後に、日常に持ち帰れる話をひとつ。
家にある木の板を、斜めから光に当てて見てほしい。
まな板でも、棚板でも、家具の側面でもよい。
木目の流れと、わずかな反りが見える。
板は湿気を吸って膨らみ、乾いて縮む。だから必ず動く。
五百年前の板絵は、その動きに耐えてきたものである。
割れなかった板、剥がれなかった下地、褪せなかった絵具。
美術館で板絵を見るときは、絵の裏側を想像してみてほしい。
そこには木があり、木目があり、接ぎ目がある。
絵は、物として残ってきたのである。
木の反りは、いまも進んでいる。
だから美術館は温度と湿度を一定に保つ。
板絵の展示室が乾きすぎないように管理されているのは、そのためである。
見る側には分からないが、絵の裏側では常に木が動いている。
そして、残るために形を変えられてきた。
翼は切り離され、板は薄く削られ、絵具は布に移された。
いま一枚の絵として額に収まっているものが、
もとは扉であり、家具であり、道具だった。
美術館の壁の上で、それらは同じ「絵画」に見える。
しかし裏側の履歴は、一点ごとに違う。
寸法欄の二つの数字は、その違いを教えてくれる小さな窓である。







