美術史・技法

摺るは、同じものを何枚も作る——豊国・広重・写楽ほか九点

版があれば同じ絵が何枚も出る。摺るの九点を数えると、版そのものは一点だけで、残る八点は木と銅と石と写真から刷られたものだった。三段の灰色に三枚の版が要り、一枚の紙に八つ並べて刷って売る前に切る。同じ版から出ても、一枚ずつ違う。

版木
歌川豊国《版木》メトロポリタン美術館蔵

板の上で、絵が左右反転している

木の板である。

39.4×26.7センチある。

厚みは、数センチある。

板の面は、彫り込まれている。

彫り残された部分が、盛り上がる。

盛り上がりの高さは、数ミリしかない。

板の色は、灰褐色である。

墨が染み込み、面が黒ずむ。

彫りの溝の底だけが、明るい。

面の右寄りに、人の姿がある。

姿は立ち、衣が長い。

衣の襞が、細い線として残る。

線の幅は、一ミリに満たない。

その左に、細い縦線が並ぶ。

線は等間隔で、上から下まで続く。

簾か、雨の線らしい。

さらに左には、建物の形がある。

屋根が斜めに落ちる。

柱が、縦に並ぶ。

いちばん左の端には、四角い枠がある。

枠の中に、文字が彫られている。

文字は、左右が反転している。

読もうとすると、鏡が要る。

板の縁は、削られて丸い。

上下の端には、細い溝がある。

見当を合わせるための印である。

版木
歌川豊国《版木》十八世紀から十九世紀。館の記録では、木。39.4×26.7センチ。番号は49.46.1。メトロポリタン美術館蔵。歌川豊国《版木》メトロポリタン美術館蔵

館の札には「女性たち」と「風景」の二つがある。

つまり館は、この板を絵として登録している。

しかし板そのものは、絵ではない。

絵を作るための道具である。

館の記録は、材料を木の一語で書く。

寸法も、板の寸法である。

刷られた紙の寸法ではない。

摺るとは、この板に墨を置き、紙を伏せ、圧をかけることである。

そのとき、絵は左右が入れ替わる。

摺るは、九つの場所に現れる

この一枚を出発点に、摺ることにまつわる九点を数えていく。

摺るには、二つのものが要る。

版と、紙である。

版には、木と、銅と、石がある。

そして写真の陰画も、版の一種である。

先に言ってしまうと、九点のうち、版そのものは一点である。

残る八点は、刷られたものである。

八点のうち、木の版が三点、銅の版が二点である。

石の版が一点、写真から作った版が一点。

そして布に刷られたものが、一点である。

三枚の板で、三段の灰色を作る

二点目は、刷られた紙である。

庄野 白雨(東海道五十三次のうち)
歌川広重《庄野 白雨》1833年。館の記録では、多色木版。38×25.4センチ。番号は1948.306。クリーヴランド美術館蔵。歌川広重《庄野 白雨(東海道五十三次のうち)》クリーヴランド美術館蔵

横長の版画である。

38×25.4センチある。

画面いっぱいに、雨が降る。

雨は、細い斜めの線である。

線は右上から左下へ走る。

太さは一定で、間隔が詰まる。

画面の中央に、坂道がある。

坂は右上へ登る。

道の上に、人が数人いる。

左の二人は、駕籠を担ぐ。

駕籠は屋根が丸い。

一人は前、一人は後ろにいる。

その前を、傘を差した人が急ぐ。

傘は黄と褐色である。

右下には、蓑を着た人がいる。

蓑は藁の束で、外へ広がる。

坂の左右には、竹が茂る。

竹は灰色で、三段に分かれる。

手前が濃く、奥が薄い。

いちばん奥は、ほとんど白い。

空の上部は、黒に近い。

下へ行くほど、薄くなる。

左の下に、赤い印がある。

館の記録では、この図は雨の気配と、それが二組の旅人に与える影響を捉えている。

そして館は、版の数について書いている。

背景の竹の茂みに、奥行きを示す三段の灰色を出すために、三枚の版が必要だったという。

さらに館は、こう続けている。

版元の名と、連作の題の一部が、一人の傘に書かれているという。

館の記録は、そう説明している。

つまり摺る人の側の情報が、絵の中に紛れている。

九点のうち、版の枚数が記録されているのは、この一点である。

禁じられた技法で、背景を刷る

三点目でも、摺り方が問題になる。

四代目松本幸四郎の山谷の魚屋五郎兵衛
東洲斎写楽《四代目松本幸四郎の魚屋五郎兵衛》1794年。館の記録では、多色木版。紙は38.4×25.1センチ。番号は1974.78。クリーヴランド美術館蔵。東洲斎写楽《四代目松本幸四郎の山谷の魚屋五郎兵衛》クリーヴランド美術館蔵

縦長の版画である。

紙は38.4×25.1センチある。

画面の中央に、人物の胸から上がある。

顔は正面をやや向く。

眉は太く、下がる。

目は細く、片方が大きい。

鼻は高く、影が付く。

口は結ばれ、口角が下がる。

頬には、深い皺が二本ある。

頭には、白い布を巻く。

布は結ばれ、端が立つ。

衣は黒で、襟が広い。

その内から、縞の布が覗く。

縞は細く、灰と白である。

右手は胸の前にある。

手には、細い棒を握る。

背景は、灰色である。

灰色の面は、細かく光る。

雲母の粉が撒かれている。

画面の右下には、小さな印がある。

館の記録では、この画家は十か月の活動のあいだに、およそ百五十点の版下を作った。

そのうち二十八点が、胸から上の肖像であるという。

そして館は、背景について書いている。

肖像の多くは、灰色の雲母の背景で摺られた。

その技法は好まれたが、この画家が活動した年に禁じられたという。

さらに館は、こう続けている。

禁令は、版画の主題と大きさと技法を制限した。

版画の買い手であった商人層の贅沢を抑えるためだったという。

館の記録は、そう説明している。

つまり摺り方そのものが、取り締まりの対象になっていた。

九点のうち、技法が禁じられたのは、この一点である。

役者の顔については、役者の顔で扱った。

色ごとに版を替え、位置を合わせる

四点目は、書物である。