画家を知る

工房が受け継ぐもの——勝川春章と勝川派

次の世代——三枚続という形

弟子の春英になると、また形が変わる。

道に立つ女姿の三代目瀬川菊之丞
勝川春英《道に立つ女姿の三代目瀬川菊之丞》1788年ごろ。三枚続の一枚。木版摺、紙に墨と色。縦32.1センチ、横14.6センチ。メトロポリタン美術館蔵。勝川春英《道に立つ女姿の三代目瀬川菊之丞》メトロポリタン美術館蔵

背後に青竹の垣が斜めに組まれている。

人物は薄い橙の着物、黒い帯。右手に刀を下げている。

顔はやや上を向き、視線は右へ。眉が細く、口が小さい。

地面は緑と黄土の帯で、点で草を示している。

左下に「春英画」の署名。

所蔵館の記録に、重要な一文がある。これは三枚続の一枚だという。

つまり左右にもう二枚あり、三枚並べて一つの場面になる。

竹垣の斜線は、隣の紙へ続いていたはずである。

三枚続は、一枚でも売れるように作られていた。

一枚だけ買えば人物一人の絵になり、三枚揃えれば群像になる。

だから背景は、切れても成立する模様が選ばれる。

竹垣、塀、波、雪。反復する形が好まれるのは、この事情による。

続き物の作りについては別のコラムで詳しく扱った。

室内に立つ女姿の三代目瀬川菊之丞
勝川春英《室内に立つ女姿の三代目瀬川菊之丞》1793年ごろ。三枚続の一枚。木版摺、紙に墨と色。縦32.4センチ、横14.6センチ。メトロポリタン美術館蔵。勝川春英《室内に立つ女姿の三代目瀬川菊之丞》メトロポリタン美術館蔵

こちらも三枚続の一枚である。制作は五年後になる。

黒い被り物、桃色と黒の重ね着。裾に大きな渦の模様。

右手に紙を持っている。その紙には、小さな人物の絵が描かれている。

絵の中に絵がある構成で、劇中で見せる小道具なのだろう。

背後は障子と壁。右下に黒い箱のような家具が置かれている。

十八年前の師の一枚と比べると、色の数が増え、模様が細かくなっている。

技術が進み、摺りの手間をかけられるようになったからである。

色の数を比べると、時代の差が数字で出る。

1775年の一枚はおおよそ六色。1793年の一枚は十色前後に見える。

摺りの回数が増えれば、値段も上がる。

版画の色数は、技術の指標であり、同時に価格帯の指標でもある。

華やかになっていく過程は、購買力の変化とも重なっている。

役者だけではない——相撲の絵

主題の幅も見ておきたい。

取組の力士
勝川春章《取組の力士》1785年ごろ。木版摺(錦絵)、紙に墨と色。縦36.5センチ、横48.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。勝川春章《取組の力士》メトロポリタン美術館蔵

横長の画面である。縦36.5センチ、横48.9センチ。

力士が二人、向かい合っている。

左の力士は前傾し、右の力士は腰を落として構える。

あいだに行司が立ち、軍配を掲げている。緑と赤の衣が鮮やかである。

背後に土俵の俵が並び、地面は灰色に摺られている。

画面の左右と右上に、名前らしい文字の枠がある。

役者絵と同じ絵師が、力士も描いていた。

どちらも、名のある人物を見に行く興行である。

版画は、その興行の宣伝物であり、記念品でもあった。

力士の体の描き方も見ておきたい。

輪郭は太い線で、腹と腿に淡い陰が置かれている。

筋肉の凹凸をほとんど描かず、量塊として示している。

役者絵の衣装と同じ扱い方である。面を大きく取り、線で囲む。

裸体を描く西洋の絵画とは、方法が根本的に違う。

同じ人体を、量として捉えるか、構造として捉えるかの差である。

行司の描き方も対照的である。

衣は細かい模様で埋められ、力士の肌は塗り残しに近い。

模様のある面と、無地の面。その対比で人物の身分が分かる。

色数を増やさずに区別を作る方法として、よくできている。

名前と、絵と、系統

まとめておきたい。

歌舞伎の役者は名跡を継ぎ、絵師は師の名から一字を継いだ。

どちらの世界も、名前で系統を示す仕組みを持っていた。

しかし絵の中身は、名前のようには継がれない。

春好は楽屋を描き、春英は三枚続を組み、春朗は名を変えて風景へ進んだ。

受け継がれたのは、顔で人を示すという原則と、判型の使い方だった。

そこから先は、それぞれが時代の需要に合わせて動いている。

工房は型を渡すが、型の使い道は渡さない。

同じ人物を三人が描いた版画を並べると、その差がはっきり見える。

この構造は、現代の制作にも当てはまる。

同じ工房やスタジオで学んだ人が、別々の分野へ散っていく。

共有されるのは基礎の作法で、選ぶ題材は各人の判断になる。

継承という言葉は、しばしば内容の継承と誤解される。

実際に渡されるのは、判断の土台のほうである。

そして、その土台は言葉で伝わるものではない。

版下絵を描く手つき、線の入り方、余白の残し方。

弟子は師の絵を写して覚える。写しながら、自分の癖が混ざる。

その混ざり方が、後から見ると個性として読まれる。

工房の絵を並べて比べる楽しみは、この混ざり方を探すところにある。

一派の名前は、どこまで続いたか

一派の行く末も書いておきたい。

勝川派の名は、19世紀に入ると版画の世界で目立たなくなる。

役者絵の主流は別の一派へ移り、風景版画が台頭する。

弟子の一人が名を変えて風景で名を成したことは、先に触れた。

つまり一派の終わりは、才能の枯渇ではなかった。

需要が別の主題へ動いたのである。

工房は主題とともに栄え、主題とともに退く。

版画が市場の商品だったことの、もう一つの現れである。

顔の描き分けが、どこまで届いたか

もう一点、留保を書いておきたい。

顔で個人を示す方法が、どこまで似ていたのかは分からない。

役者の実際の顔を写した記録が、ほとんど残っていないからである。

だから「よく似ている」とは書けない。

書けるのは、絵師が描き分けようとしていたこと、
そして買う側がその違いを求めていたことである。

顔だけを大きく描く方向へ進んだのは、次の世代である。

大首絵については別のコラムで扱った。

暮らしへ——同じ人を、二人に描いてもらう

最後に、日常に持ち帰れる話をひとつ。

同じ人の写真を、二人の違う人に撮ってもらってみてほしい。

同じ相手でも、写るものが変わる。

正面から撮る人、横から撮る人、笑った瞬間を待つ人。

撮る側の癖が、被写体より強く出ることがある。

三人の絵師が描いた菊之丞にも、同じことが起きている。

役者の姿を見ているつもりで、実は絵師の癖を見ていることが多い。

版画を飾るなら、同じ人物の別の絵師による作品を二枚並べると面白い。

比べるための並べ方は別のコラムにまとめた。

同じ役者の絵を集める楽しみは、当時の買い手にもあったはずである。

好きな役者の版画を、絵師を変えて何枚も買う。

いまの写真集や生写真の集め方と、そう遠くない。

RELATEDあわせて読みたい

画家を知るの記事一覧