一ドル紙幣の、あの顔——ギルバート・スチュアートの複製
自分の顔も、描いている

ロンドン時代の自画像も残っている。
三十歳前後、成功の途上にある時期だ。
画面は小さい。顔だけを取り、背景はほとんど暗い。
依頼された肖像ではないので、身分を示す品は何も無い。
ワシントン像で彼が採った「顔だけにする」構えは、自画像では自然に出てくる。誰にも見せる必要が無いからだ。
その構えを、国家的な肖像に持ち込んだのが冒頭の一枚だと考えると、話がつながる。
弟子と、その後

晩年には、若い画家の肖像も描いている。
このモデルの名は、初代大統領にちなんで付けられたものである。当時のアメリカでは、子どもにこの名を付けることが流行した。
つまり、顔の複製が広まった時代に、名前の複製も起きていた。
図像と名前が、同じ速度で広がっていく。国民国家が自分を作る過程の一部である。
なお、このモデル自身も画家として活動し、ヨーロッパで学んだ世代にあたる。
スチュアートが英国から持ち帰った様式は、こうして次の世代へ渡っていった。
見立て——複製が、原型を作る
ここからは書き手の見方である。
ワシントンの顔について、面白い逆転が起きている。
私たちが「ワシントンの顔」として思い浮かべるのは、実在の人物の顔ではない。スチュアートが描いた顔である。
写真が無い時代だから、比較の対象が無い。
そして複製が大量に出回れば、それが標準になる。標準になれば、それ以外の描き方は「似ていない」と見なされる。
つまり、複製が原型を作り直している。
同じことは、他の歴史上の人物にも起きている。特定の画家の描いた一枚が、その人の顔として定着してしまう。
似ていたのか
では、実際に似ていたのか。
これは確かめようがない。同時代の証言も割れている。
家族は似ていると言い、別の人は違うと言った。そういう記録が残っている。
ただ、ひとつ言えることがある。
スチュアートは、当時七十歳近い老人を、老人として描いた。
皺も、頬のたるみも、義歯で歪んだ口元も残している。
理想化された英雄の顔ではない。そこは信用してよいと思う。
顔が独り歩きする、ということ
複製の話には、もう一段ある。
顔が広まると、その顔は本人から離れていく。
紙幣の肖像を見て、その人の人生を思う人はほとんどいない。額面を見るだけだ。
顔は、記号として機能しはじめると、内容を失う。
これは肖像画の逆説である。似せることに成功した絵ほど、大量に複製され、複製されるほど中身が抜けていく。
役者絵で「型の中に個人の顔をはめ込む」構造を別のコラムで扱った。あちらは最初から商品としての顔だった。
ワシントン像は、最初は一人の老人の肖像だった。それが商品になり、記号になった。
出発点が違うぶん、こちらのほうが変化は大きい。
未完成のまま残された
もうひとつ、この画家の癖について。
彼は顔を描くのが速く、しかも顔以外に興味を示さない傾向があった。
肖像画の多くで、顔は完成しているのに、身体や背景が塗り残されたまま終わっている。
当サイトで公開している一枚でも、右下のあたりに下地が見えている箇所がある。
未完成をどう扱うかは、難しい問題である。
素描や下絵が後世に評価されるようになった経緯は別のコラムで扱った。
スチュアートの塗り残しも、いまでは「制作の過程が見える」として肯定的に語られることがある。
だが当時の依頼主にとっては、単に仕上がっていない絵だっただろう。
彼が顔以外に手を抜いた理由は、いくつか考えられる。
ひとつは、顔が商品の中核だったこと。似ていれば注文は成立する。
もうひとつは、単純に飽きたのだろうという見方。同時代の証言にも、彼が仕上げを嫌ったという趣旨のものがある。
そして三つめ。複製を大量に作るためには、一枚あたりの時間を切り詰めるしかない。
商売として合理化した結果が、あの塗り残しだったのかもしれない。
もっとも、これは推測である。本人が理由を語った記録は確認できない。
暮らしへ——記号としての顔を、数えてみる
最後に、日常に持ち帰れる話をひとつ。
財布の中の紙幣、硬貨。切手。役所の掲示物。
そこに、顔がいくつ写っているだろうか。
顔は、国家や制度が自分を示すために使う、最も古い記号のひとつである。
貨幣に刻まれた顔については別のコラムで扱っている。二千年以上前から、同じことが行われてきた。
そして、その顔はたいてい誰かが描いたものである。
写真であっても、撮った人がいて、選んだ人がいる。
見慣れた顔を見るとき、一度だけ「これは誰が作った像か」と問うてみてほしい。
飾るなら、肖像画は目の高さより少し上に掛けると落ち着く。見上げる角度になると、対象が権威を帯びるからだ。
逆に、親しみを持たせたいなら目の高さに合わせる。飾る場所と光についてはこちらのコラムで扱っている。






