身支度は、後ろから描かれる——歌麿・ドガ・ホイッスラーほか九点
人に見せるための準備は、人に見せない。身支度の九点を数えると、四点で人は背中か伏せた顔を見せ、六点では館の記録に人物の名がない。鏡は四点に写るのに、姿が映って見えるのは一点だけ。名のかわりに、していることが題になる。

三人がかりで、髪を結っている
縦長の版画である。
37.1×25.2センチしかない。
画面に、三人の女がいる。
右の一人は、赤い衣を着る。
体をひねり、左手を前へ出す。
その手が、中央の女の髪に触れる。
中央の女は、正面をやや向く。
顔は白く、眉が細い。
髪は高く結い上げられている。
髪には、細い櫛と簪が何本も挿さる。
簪は放射状に開く。
数えると、六本以上ある。
衣は黒地で、細かい白の斑がある。
裾は左下へ大きく広がる。
三人目は、いちばん手前にいる。
その人は、背中をこちらへ向ける。
髪はまとめられ、後頭部が見える。
手には、平たいものを持つ。
小さな鏡らしい。
画面の右上には、題の枠がある。
背景は、黄土色の平らな面である。
影は、どこにも落ちていない。
三人の衣は、床の上で重なり合う。
どこからどこまでが誰の裾か、分かりにくい。
人と人の境が、布で溶けている。

館の札には「女性たち」と「鏡」の二つがある。
つまり館は、この一枚を鏡の絵として登録している。
しかし画面の鏡は、小さい。
手のひらほどの円板でしかない。
そして映る面は、こちらを向いていない。
身支度は、一人でする仕事とはかぎらない。
ここでは三人が同時に動いている。
この画家の顔の描き方については、顔を近づけるで扱った。
身支度は、九つの場所に現れる
この一枚を出発点に、身支度にまつわる九点を数えていく。
身支度は、人に見せるための準備である。
しかし準備そのものは、人に見せない。
だから絵にすると、覗いているような画面になる。
先に言ってしまうと、九点のうち、髪に触れているのは四点である。
二点では、人は体を洗っている。
二点では、人がいない。
道具だけが写っている。
そして一点では、身支度の語が兜の部分を指す。
さらに、同じ題を持つ作が三点ある。
髪をとかす、その後ろから
二点目は、パステルである。

縦長の画面である。
61.3×46センチある。
中央に、裸の女がいる。
体は床にしゃがむ。
背中がこちらを向く。
背骨の線が、縦に走る。
肩甲骨が、左右に浮き出る。
両腕は上へ上がる。
手は頭の後ろにある。
髪は赤褐色で、太く束ねられる。
束は右肩の前へ流れる。
顔は見えない。
腰から下は、白い布の上にある。
布は厚く、襞が深い。
背景は緑と黄土の細かい線でできる。
線は短く、方向がそろわない。
上のほうには、青と紫の点が散る。
館の記録は、材料の欄をきわめて細かく書いている。
紙はもともと薄い緑だった。
それがいまは、温かい灰色に変色している。
そしてもとの厚紙の台紙に貼られたままだという。
館の記録は、そう書いている。
つまり地の色が、描かれたときと違う。
作者が緑の上に置いた色を、いまは灰の上で見ている。
背景の緑の線は、地の緑に溶けていたはずである。
いまは、灰の上に緑が浮いて見える。
差が強くなっている。
九点のうち、地の変色が記録されているのは、この一点である。
この画家の紙については、紙を変えるで扱った。
顔を伏せて、髪を梳く
三点目も、パステルである。

ほぼ正方形の紙である。
29.2×27.9センチしかない。
紙は褐色で、色が全体に透ける。
画面の中央に、女が座る。
上半身は裸である。
体は右を向き、前へかがむ。
顔は下を向き、目が見えない。
髪は褐色で、頭の上でまとめられる。
右手が、その髪に触れる。
左手は膝の上にある。
腰から下には、水色の布が掛かる。
布の色は、画面で最も明るい。
その下に、紫の布が広がる。
背景は、灰と桃色の靄である。
輪郭は、どこもぼやけている。
線を引いた場所が、ほとんどない。
粉を指で伸ばした跡が見える。
跡は斜めに走り、幅が広い。
指の腹の幅である。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
館の札には「女性たち」とある。
つまり誰かは書かれていない。
題は「化粧」とだけある。
先のパステルと、同じ材料である。
しかし紙の色が違う。
こちらは褐色の紙で、地の色が肌に回る。
あちらは緑の紙で、いまは灰になっている。
九点のうち、褐色の地が肌の色を作るのは、この一点である。
盥の前で、背を丸める
四点目は、版画である。

縦長の画面である。
線は細く、褐色に近い。
画面の中央に、人がいる。
体は前へ折れ、背中が丸い。
背中がこちらを向く。
肩から腰まで、一本の線が走る。
線は途中で止まり、また始まる。
髪は上でまとめられ、うなじが出る。
両腕は下へ伸びる。
手は、足元の器に触れる。
器は円く、浅い。
盥である。
盥の縁だけが、線で描かれる。
中の水は、描かれていない。
床には、細い線が数本ある。
背景は、紙の白のままである。
色は、体の一部にだけ薄く置かれる。
館の記録では、ある版元が新しい客を引くために、この画家に十枚の連作を作らせた。
娼館を描いた連作である。
そして館は、こう続けている。
この画家は千八百九十二年から九十五年にかけて、何週間もそうした場所に住んだ。
それによって、そこで暮らす人びとの日常を見た。
眠ることや体を洗うことといった、私的な行いも含まれるという。
その結果、十景のうち二つしか、誘う姿として描かれていない。
残りは、日々の決まった仕事を描いているという。
館の記録は、そう説明している。
つまりこの一枚は、見せるための姿ではない。
見られていないときの姿である。
盥の位置は、床のすぐ上である。
しゃがまなければ、手が届かない。
その姿勢が、背中を丸くしている。
体の形は、道具の高さが決めている。
立ったまま、鏡を見ない
五点目も、版画である。

縦長の画面である。
線は黒く、細い。
画面の中央に、女が立つ。
体は右を向く。
顔は横を向き、下を見る。
髪は頭の上でまとめられる。
首は細く、うなじが出る。
衣は床まで届く長い裾である。
裾には、細かい縞がある。
縞は縦に走り、体の線に沿う。
袖は肘までで、腕が出る。
両手は胸の前にある。
手には、白い布らしいものがある。
背景には、家具の形がある。
形は輪郭だけで、内側が空である。
床には、影がない。
余白が広い。
画面の下三分の一には、何も描かれていない。
館の記録は、題と材料しか書いていない。
寸法の欄も空である。
つまり分かるのは、題と、これが石版画だということだけである。
題は「化粧」とだけある。
先の一枚と、同じ題である。
しかし画面はまるで違う。
あちらは裸で、こちらは着ている。
あちらはかがみ、こちらは立つ。
九点のうち、同じ題を持つ作は三点ある。
三点とも、別の国の別の作者である。
同じ語が、別の場面に付けられている。
化粧台に向かって、腕を上げる
六点目は、油彩である。

大きな画面である。
162.2×131.1センチある。
九点のうち、最も大きい。
画面の右に、化粧台がある。
台は白く、脚が細い。
台の上には、鏡が立つ。
鏡は縦長で、枠が金色である。
その前に、女が座る。
体は右を向く。
両腕は上がり、手は髪にある。
髪は赤褐色で、長い。
顔はやや伏せられる。
鏡には、上半身が映る。
映った姿は、こちらを向かない。
台の上には、小さな器が並ぶ。
器は白と桃色である。
手前には、椅子がある。
椅子には、白と紫の布が掛かる。
布は床まで垂れる。
床には、赤と褐色の敷物がある。
色は全体に淡く、輪郭がぼける。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
つまり誰かは書かれていない。
九点のうち、鏡に姿が映っているのは、この一点である。
映っているのは、背中と腕である。
顔は、鏡の中でも伏せられている。
つまり鏡があっても、顔は見えない。
大きな画面に、見えない顔が二つある。
人がいない、化粧台の鏡
七点目から、人が消える。

卓の上に置く鏡である。
全体は32.1×33×18.6センチしかない。
鏡の面は円い。
面は灰色で、何も映っていない。
枠は青銅で、緑がかっている。
枠は円の外側を細く囲む。
枠の上部には、細かいモザイクの帯がある。
帯は青と緑と金の粒でできる。
粒は小さく、光を返す。
孔雀の羽根の目に似た形がある。
枠の下は、二つの脚に分かれる。
脚は外へ大きく反る。
脚の先は、床に着く。
後ろには、支えの棒があるらしい。
装飾は、帯の部分だけである。
館の記録では、この会社は千九百年ごろに小物の生産を増やした。
インク台、燭台、時計、小箱、机の道具などである。
この化粧台の鏡も、その一つだという。
そして館は、こう書いている。
こうした小ぶりで手の届く贅沢品も、大きな硝子窓や灯火と同じだけの工夫をもって意匠されたという。
館の記録は、そう説明している。
つまり鏡は、身支度のための道具である。
しかし人がいなければ、映るものがない。
いま映っているのは、置かれた部屋の壁だけである。
図版では、灰色の面としてしか見えない。
鏡は、使われていないときは何も示さない。
枠と脚だけが、道具であることを伝えている。
この工房の硝子については、硝子と自然で扱った。
化粧箪笥と、夜具だけ
八点目にも、人がいない。

小さな版画である。
19.7×16.7センチしかない。
画面の右に、箪笥がある。
箪笥は赤褐色で、段になっている。
上には、小さな鏡が立つ。
鏡は円く、白い。
箪笥の前面には、黒い板がある。
板には、金の文様が散る。
引き出しの取っ手が、小さく見える。
箪笥の左には、白い花の枝がある。
枝は細く、上へ伸びる。
画面の下には、布が広がる。
布は赤い。
その上に、緑の文様がある。
文様は葉の形をしている。
布の端は、波打っている。
夜具らしい。
左の隅には、丸い白いものがある。
画面の上には、文字が並ぶ。
文字は縦書きで、五行ある。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
摺物は、私的に配られる版画である。
つまり贈り物として作られている。
描かれているのは、道具だけである。
使う人は、画面の外にいる。
箪笥の上の鏡も、こちらを向いていない。
映る面は、画面の奥を向く。
夜具は畳まれず、広げられたままである。
使う直前か、使った直後らしい。
どちらかは、決められない。
九点のうち、道具だけが描かれるのは、この一点で二点目になる。
櫛が、兜の稜線を指す
最後の一点で、身支度の語は別のものになる。

鉄の兜である。
全体は36×22×26.6センチある。
上は丸い椀の形である。
椀の面は滑らかで、光を返す。
面には、細かい斑がある。
錆である。
椀の頂きから前へ、浅い稜が走る。
稜は低く、指で触れて分かるほどである。
椀の下には、つばがある。
つばは全周に回る。
前と後ろで、少し下へ垂れる。
つばの縁には、鋲が並ぶ。
鋲は丸く、等間隔である。
数えると、二十を超える。
間隔は、どこもほぼ等しい。
打ち込んだ順に、少しずつずれる。
鋲の頭は、外へ突き出る。
内側には、何も残っていない。
布の内張りは、失われている。
残っているのは、それを留めた鋲だけである。
鋲の位置から、内張りの形が分かる。
つばの下に、円く並んでいる。
頭に触れる場所だけが、布だった。
館の記録では、この形の開いた兜は、十三世紀から十五世紀まで使われた。
今日の軍用の帽の祖先であるという。
そして館は、稜について書いている。
中央を走るわずかな稜は、打撃を逸らし、強さを増すために役立ったという。
館の記録は、そう説明している。
その稜を、館は櫛と呼んでいる。
髪を梳く道具と、同じ語である。
つまり形が似ていれば、同じ名で呼ばれる。
そして館は、縁の鋲についても書いている。
館の記録は、失われたものにも触れている。
鋲は飾りだけでなく、内張りを留めるためのものだったという。
兜の二つの伝統については、二つの兜で扱った。
九点のうち、身支度と関係がないのは、この一点だけである。
しかし語の上では、つながっている。
髪を梳く櫛は、細い歯の並びである。
兜の櫛は、一本の稜である。
形は似ていない。
似ているのは、頭の上を前後に走ることだけである。
位置が同じであれば、名が移る。
形ではなく、場所が名を決めている。
鶏の頭の上の赤い部分も、同じ語で呼ばれる。
頭の上を前後に走るものは、そう呼ばれやすい。
九点のうち、名が場所で決まっているのは、この一点である。
数えてみると
九点を並べ直す。
髪に触れているのは、四点である。
三人がかりの結い、後ろ姿の梳き、伏せた顔の梳き、そして化粧台の前。
体を洗っているのが、一点。
着たまま立っているのが、一点。
道具だけが描かれるのが、二点。
語が兜の部分を指すのが、一点である。
もう一つ数える。
九点のうち、鏡が写っているのは四点である。
手鏡、化粧台の鏡、箪笥の上の鏡、そして鏡そのもの。
しかし映った姿が見えるのは、一点だけである。
残る三点では、鏡は面を見せていない。
さらに数える。
九点のうち、館の記録が人物の名を書いていないのは六点である。
書かれているのは、題と材料と寸法だけである。
身支度の場面では、誰かということが記録されにくい。
名の分かる一点は、兜の作り手である。
工房を父から継ぎ、部位ごとの職人を雇っていたという。
作った人の名は、細かく残る。
使った人の名は、残らない。
道具の記録と、場面の記録は、残り方が違う。
九点は、その二つにまたがっている。
作られた物が五点、描かれた場面が四点である。
数え方によっては、版画も作られた物である。
描かれた人ではなく、作った人の名である。
言えることと、言えないこと
言えるのは、身支度が「後ろから描かれやすい」ということである。
九点のうち三点で、人は背中をこちらへ向けていた。
顔を伏せているものを加えれば、四点になる。
見られていないときの姿を描くと、顔が隠れる。
顔が隠れれば、誰かが分からなくなる。
館の記録も、四点で人物の名を書いていない。
名がなければ、題は行為の名になる。
だから「化粧」という題が三つ並ぶ。
人の名は付けられず、していることが題になる。
言えないのは、鏡が身支度の中心だという話である。
鏡は四点に写っていた。
しかし映った姿が見えるのは、一点だけだった。
ほかの三点では、鏡は裏か、空か、こちらを向いていない。
鏡は道具として置かれ、働いているところは見せない。
映すには、正面から向かい合う必要がある。
その位置には、描く人がいる。
描く人が映らないように、鏡は横を向いている。
映せば、描く人が画面に入る。
入らないための角度が、選ばれている。
最後に、はじめの一枚へ戻る。
三人のうち、髪を結われているのは一人である。
あとの二人は、その人のために手を動かす。
身支度は、一人でする仕事ではない。
そして手を動かす二人の顔も、はっきりとは見えない。
九点を数え終えて残るのは、支度される人と、支度する人の差である。
支度される人は、顔を見せる。
支度する人は、手だけを見せる。
題に残るのは、支度される人のほうである。
そして道具だけの二点には、どちらもいない。
人がいなくても、支度の場面として登録される。
道具の形が、行為を代わりに示している。
鏡があれば、そこで髪を直す。
箪笥があれば、そこに道具が入っている。
見る側が、いない人を補って読む。
補えるのは、道具の使い方を知っているからである。
知らなければ、ただの家具に見える。
実際、箪笥の絵は家具の絵でもある。
題が、それを化粧のものと決めている。
館の札が「化粧台」と書くのは、そのためでもある。


