二人は、意外に向かい合わない——フリードリヒ・アルトドルファー・師宣ほか九点
二人が画面にいるとき、向かい合うか、並ぶか、背を向けるか。九点で数えると、向かい合うのは四点しかなかった。距離と頭の高さも測りたい。二人の名前は、九点とも記録に残っていない。背景に木を描く例が四点あった。二人の場面は、木の下に置かれやすい。

二人が、同じほうを向いている
小さな油彩である。
縦34.9センチ、横43.8センチ。
画面の左右から、枯れた木が伸びる。
幹はねじれ、枝が交差する。
一本は、根が地面から浮いている。
中央よりやや左に、二人の人物が立つ。
どちらも、こちらへ背を向けている。
長い外套を着ている。
一人は帽子をかぶる。
もう一人は、その肩に手を置く。
二人は、同じ方向を見ている。
視線の先には、低い空がある。
そこに、細い月と、小さな光がある。
空は薄い紫と橙で、下へ向かって明るくなる。
手前の地面は暗い。

館の記録は、この一点を2000年に受け入れている。
出所の行には、基金の名がある。
館が買ったということである。
第十八回で、購入と寄贈の書き分けを扱った。
出所の行の話で見たとおり、
購入なら基金の名が、寄贈なら人の名が入る。
九点の出所の行を数えると、寄贈が五点、購入が四点だった。
前の回まで、一人の姿勢を数えてきた。
今回から、人数を扱う。
まず、二人である。
二人が画面にいるとき、その関係が形になる。
向かい合うか、並ぶか、背を向けるか。
九点を並べて、その並べ方を数えたい。
この一点は、いちばん珍しい形である。
二人とも、こちらへ背を向けている。
そして、二人とも同じものを見ている。
つまり、見る側は、二人と同じ方向を向くことになる。
肩越しに、同じ景色を見る形である。
第二回で、こちらを見る顔を数えた。
視線の話では、目が合うかどうかが問題だった。
ここでは、そもそも顔が見えない。
向かい合う二人

館の記録では、画面と紙の寸法が同じである。
どちらも13.9×10.3センチ。
つまり、版の縁で紙が切られている。
余白がない。
九点のうち、紙と画面が同じ寸法なのはこの一点だけだった。
小さな版画である。
縦13.9センチ、横10.3センチ。
森の中である。
太い幹が、画面の左右に立つ。
枝と葉が、上を覆う。
地面には、草と切り株がある。
その手前に、二人が座っている。
左の人物は、鎧をつけている。
肩と胸が金属で覆われる。
右の人物は、大きく広がる衣を着る。
二人は、体を向け合っている。
顔は近い。
左の人物の腕が、右の人物の背に回る。
線は細かく、密度が高い。
木版でこの細さを出すには、彫りに手間がかかる。
黒い線を残し、まわりを彫り落とす。
線が細いほど、彫り残す部分が細くなる。
折れやすい。
第十九回で、版画の白は彫り落とした部分だと書いた。
白を残す話で見たとおり、木版では白が彫った跡である。
この一点では、白がほとんどない。
画面のほぼ全部に、線がある。

横長の版画である。
線だけで描かれている。
右に、二人の人物が座る。
体を向け合い、顔が近い。
どちらも、髪を結い上げている。
衣には、小さな模様が散る。
その衣が、床に大きく広がる。
左には、垂れ布のようなものがある。
上には、丸いものが吊るされる。
床に、細長いものが置かれる。
刀らしい。
さらに、平たい箱と、棒のようなものがある。
背景は、簡単な線で示される。
館の記録の札には、楽器と刀と恋人という語がある。
つまり、館は場面をそう読んでいる。
線の太さは、ほぼ一定である。
彫りやすい太さで、全部が描かれている。
先の木版と比べると、線の数がずっと少ない。
同じ木版でも、線の使い方がまるで違う。
二人のあいだに、何かが置かれる

縦長の小さな紙である。
右に、高い台座がある。
その上に、人物の彫像が立つ。
彫像は、片手を上げている。
台座の下に、二人がいる。
一人は座り、衣が広がる。
もう一人は、その後ろに立つ。
さらに後ろに、もう一人いるようにも見える。
背景は、大きな木である。
葉が、灰色の淡彩で塗られる。
赤い淡彩が、衣の一部に置かれる。
画面の縁に、黒い枠線が引かれる。
館の記録は、これを寓意的な情景と呼ぶ。
つまり、何かを象徴した場面である。
二人のあいだに、彫像が立っている。
正確には、二人の右に立つ。
だが、画面の中では、二人と彫像が三角形を作る。
彫像は、動かない第三の人物として働く。
生きた二人と、石の一人。
その対比が、この構図の中心にある。
並んで立つ二人

館の記録は、寸法を二つ書いている。
画面が102.3×47.6センチ。
表装を含めて189.2×68センチ。
縦が、画面の一・八倍になる。
九点でいちばん大きい一点である。
そして、いちばん小さい水彩は10.2センチしかない。
十八倍の差がある。
縦長の掛軸である。
墨の線だけで描かれている。
二人が、並んで立つ。
左の人物は、髪を頭の上で結う。
手に、細長い枝のようなものを持つ。
右の人物は、頭から布をかぶる。
顔の下半分が、その布で隠れる。
二人の体は、ほとんど接している。
衣の輪郭線が、途中で重なる。
どちらの衣か、判別しにくい部分がある。
線は太く、迷いがない。
塗った面はない。
紙の地が、そのまま衣の白になる。
下のほうに、赤い印が一つある。
向かい合ってはいない。
二人とも、同じ方向を向く。
やや斜め、こちら寄りである。
並ぶという形は、向かい合う形と意味が違う。
向かい合えば、二人のあいだに空間ができる。
並べば、二人は一つの塊になる。
この一点では、輪郭が重なるほど近い。

館の記録の作者の欄には、通称が入っている。
「ボドリアンの画家」という呼び名である。
ある図書館に伝わる作品群から付けられた名だろう。
第十二回で見た写真も、同じ形の名を持っていた。
座る話で扱った一点は、会社の名で呼ばれていた。
作者が特定できないとき、記録は代わりの呼び名を作る。
そして、その呼び名が長く使われる。
縁取りのある一葉である。
外側に、青緑の帯がある。
内側に、細い金の線が巡る。
その中に、二人が立っている。
左の人物は、つばの広い帽子をかぶる。
短い上着を着て、脚には長い靴下のようなものをはく。
手に、細い杖を持つ。
右の人物は、長い衣を着る。
頭に、飾りのある被り物をつける。
首のまわりに、大きな襞のある襟がある。
二人とも、こちらを向く。
背景は、薄い空色である。
下のほうに、小さな草が生える。
館の記録によれば、これは異国の人の姿を記録しようとした絵だという。
そして館は、衣服が細かく正確に描かれていると書く。
襟の襞、袖口、飾りの一つ一つに触れている。
これは館の見解である。
こちらで確かめられるのは、襟が大きく張り出している、ということだ。
この一点には、寸法が記録されていない。
九点のうち、寸法欄が空なのはこれだけである。
写真の二人

館の記録は、番号に枝番を付けている。
末尾に小文字が一つ入る。
同じ一括で入った複数の写真を区別するためである。
第十四回で、収蔵番号の作りを扱った。
枝番があるとき、同じ番号の別の一点が館にある。
色のついた写真である。
二人の人物が、並んで立つ。
左の人物は、黒っぽい衣をまとう。
その衣が、頭から足元まで覆う。
腰に、赤みのある帯を巻く。
右の人物は、桃色と白の縞の衣をまとう。
こちらも、頭から覆う形である。
どちらも、顔の下半分が布で隠れる。
背景は、木立と草地である。
画面の下に、文字が二行ある。
館の記録は、この技法を詳しく説明している。
まず、白黒の陰画を石版に移す。
そして、色ごとに石版を作る。
最低で六枚、多いときは十五枚。
それを、白黒の像の上に重ねて刷る。
つまり、色は撮影されたものではない。
あとから付けられている。
そして館は、色を付けた職人がその土地を見たことがなかったと書く。
これは館の記述である。
つまり、この画面の色は、想像で決められている。
第十九回で、白黒の記録写真から色は読めないと書いた。
ここでは、色が足されている。
だが、その色は現地の色ではない。
記録として見るとき、この区別は大きい。
形は写されたもの、色は作られたもの。
一枚の中で、二つの性格が混じっている。
背景が、二人の関係を決める
九点の背景も数えた。
屋外が六点、屋内が一点、背景のないものが二点。
屋外の六点のうち、木が描かれるのが四点である。
森の中、大きな木の下、木立の前。
二人の場面は、木の下に置かれることが多い。
理由は、いくつも考えられる。
木は、画面を囲う枠になる。
左右に幹を立てれば、そのあいだが舞台になる。
上に枝を渡せば、天井ができる。
第十九回で、一本の木が画面を支える話を書いた。
木の話では、木が距離の物差しだった。
ここでは、木が場面の囲いとして働いている。
そしてもう一つ、木の下は人目につきにくい。
森や木陰は、二人だけになれる場所である。
九点のうち、恋人と記録された三点は、すべて屋外だった。
そのうち二点は、木の下である。
これは偶然かもしれない。
だが、二人の場面が屋外に多いのは確かである。
背景のない二点は、掛軸と浮彫だった。
どちらも、紙や石膏の地がそのまま残る。
背景を作らなければ、二人だけが残る。
場所を決めないという選択である。
二人と、もう一人

九点でいちばん小さい一点である。
縦10.2センチ、横8.4センチ。
左に、建物の入口がある。
柱と、その上の屋根が細かく描かれる。
彫刻の飾りが、柱の上にある。
階段の脇に、獅子の像が伏せている。
そこに、二人の人物が立つ。
一人は帽子に羽根を挿し、片手を腰に当てる。
もう一人は、広がる衣を着る。
二人は、体を向け合っている。
その右に、もう一人いる。
杖のようなものを持ち、少し離れて立つ。
館の記録は、この人物を従者としている。
背景は、明るい水面である。
小さな帆が、遠くに見える。
右下に、書き込みがある。
二人のほかに、もう一人がいる。
この三人目の位置が、面白い。
離れて立ち、二人のほうを見ていない。
つまり、二人の場面に加わっていない。
同じ画面にいながら、別の関係にある。
二人を、一つの塊にする

ごく小さな浮彫である。
縦11.5センチ、横5.9センチ、厚み2.1センチ。
長方形の板の中に、二つの体が刻まれている。
体は絡み合っている。
腕と脚が交差する。
どちらの手足か、判別しにくい。
上のほうに、二つの頭がある。
顔は近く、髪が混じる。
下のほうに、脚が折り重なる。
材料は石膏である。
その上に、淡い色のニスが塗られている。
金属や石ではない。
石膏は、鋳造や彫り出しの前の段階に使われる材料である。
つまり、これも準備の段階のものかもしれない。
館の記録は、原型の年だけを書いている。
この石膏がいつ作られたかは、書かれていない。
第十六回で、習作の残り方を扱った。
習作の話で見たとおり、準備の段階のものが作品として残る。
二人を一つの塊として作る。
これは、彫刻に向いた扱いである。
離れた二人を彫ると、支えが二つ要る。
くっつけてしまえば、一つで済む。
前の回で、彫刻の支えの問題を書いた。
二人の距離を測る
九点で、二人がどれだけ離れているかを見た。
体が触れているものが五点。
離れているが、手が届く範囲にあるものが三点。
離れているものが一点。
つまり、多くは近い。
これは当然でもある。
離れた二人を一枚に描くと、あいだが空く。
その空いた部分に、何かを描かなければならない。
背景か、第三の人物か、道具か。
近づけてしまえば、その必要がない。
そして、近い二人は一つの形として読める。
掛軸の一点では、輪郭が重なっていた。
浮彫の一点では、区別できないほど絡んでいた。
二人を一つの塊にすると、画面が簡単になる。
離れた一点は、写真である。
二人のあいだに、わずかな隙間がある。
そして、その隙間に背景の木が見える。
写真では、二人を寄せるには本人に動いてもらうしかない。
絵なら、描く側が決められる。
九点のうち、絵と版画の七点は、いずれも二人が近い。
写真と、水彩の一点だけが、隙間を持つ。
これは偶然かもしれない。
だが、作り方の違いが出ている可能性もある。
二人の高さを揃えるか
もう一つ、頭の高さを数えた。
二人の頭がほぼ同じ高さにあるのが五点。
一方が高いのが四点である。
第十三回で、跪くと頭が下がると書いた。
跪く話で見たとおり、高さの差は関係を示す。
ここでは、差の小さいものが多い。
差がある四点を見ると、理由がはっきりしている。
一方が座り、一方が立っているからである。
座る二人、立つ二人なら、頭は揃う。
そして、頭が揃うと、対等に見える。
一方が高いと、上下があるように見える。
九点のうち、はっきりした上下を示す例は一つもなかった。
跪く者も、伏せる者もいない。
これは、選び方のせいでもある。
二人の関係を示す語で拾ったからだ。
恋人、男女、二人の男。
いずれも、対等に近い関係を指す語である。
主人と従者、王と臣下という語では拾っていない。
記録の語が、集まる作品を決めている。
九点を並べて、数えられたこと
向かい合う二人が四点。
並んで同じ方向を向くのが三点。
背を向けるのが一点。
絡み合って区別できないのが一点である。
つまり、向かい合う例は半分に満たない。
二人が画面にいても、向き合うとはかぎらない。
三人目がいる画面は二点あった。
一点は従者、一点は彫像である。
どちらも、二人の関係の外にいる。
顔が見える人数も数えた。
両方の顔が見えるのが五点。
片方だけが四点。
どちらも見えないのが一点。
材料も数えた。
紙が五点、布が一点、石膏が一点、写真が一点。
紙の五点は、版画が二点、素描が二点、掛軸が一点である。
記録に書かれていないこと
館の記録は、二人の関係を題に書くことがある。
九点のうち、恋人と書かれるのが三点。
男女と書かれるのが三点。
二人の男、二人の女と書かれるのが二点。
そして、従者を伴うと書かれるのが一点。
つまり、記録は関係を名指す。
だが、その根拠は書かれていない。
なぜ恋人だと分かるのか。
姿勢が近いから、というのがおそらくの理由である。
そして、その判断は誰かがしたものだ。
作った人か、売った人か、館か。
第十三回で、題の欄の書かれ方を扱った。
題は、画面の要約である。
そして、要約には解釈が入る。
九点のうち、二人の名前が分かるものは一つもない。
関係の名だけが、記録に残っている。
記録は、関係の名だけを残す。
そして、その名は後の時代に付け替えられることもある。
九点のうち、どの題がいつ付いたかは書かれていない。
そして、二人が何をしているかも、たいてい書かれない。
九点のうち、行為が題に入るのは二点だけだった。
月を眺める一点と、建物に入る一点である。
残る七点は、二人がいる、と書かれるだけである。
姿勢も、視線も、距離も、記録には載らない。
数えるには、画像を見るしかない。
その結果、向かい合う例が半分に満たないと分かった。
二人といえば向かい合うもの、と思い込んでいた。
数えてみると、そうではなかった。
次の回は、人数を増やす。
群衆をどう描くかを数えたい。


