美術史・技法

入れない部屋があった——カウフマン、モリゾ、カサットの条件

洗濯物の向こうに、煙突がある

とはいえ、モリゾは室内に閉じこもっていたわけではない。

干してある洗濯物
《干してある洗濯物》1875年。縦33センチ、横40.6センチ。物干し場に白い布が並び、遠景に工場の煙突と煙が見える。ベルト・モリゾ《干してある洗濯物》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

この小さな一枚は、パリ郊外の物干し場である。

画面の下半分は、張り渡された綱と、そこに掛けられた白い布で埋まっている。人が数人、洗濯物のあいだで働いている。

奥は緑の野原、その向こうに家並み。そして左奥に、工場の煙突が二本、煙を上げている。

郊外の労働の景色である。行儀のよい主題ではない。

女性が出入りしても不自然でない場所——郊外、庭、物干し場、公園。そこで見つけられるものを、彼女は主題にした。

制約が主題を決めた、とも言える。だが同時に、その制約のおかげで、当時の男性画家があまり描かなかった場所が絵になった。

モリゾは印象派の展覧会に、ほぼ皆勤で出品を続けている。仲間内での評価は高かった。

ロリアンの港
《ロリアンの港》1869年。縦43.5センチ、横73センチ。右手前の石の護岸に、日傘を差した白い服の女性が坐る。ベルト・モリゾ《ロリアンの港》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

初期の一枚では、港が主題になっている。

右下の護岸に、日傘を差した人物が坐っている。画面の左半分は水面で、対岸には家並みと帆船の帆柱が横に伸びる。

明るく、筆は速い。戸外で描いたことがはっきり分かる画面である。

この絵はマネの手元に渡ったと伝えられる。互いの作品を認め合う関係でもあった。

家の中と外、身内と風景。モリゾの主題は狭いと言われることがあるが、実際には行ける範囲の全部を使っている。

掌に描く、という選択

アメリカに目を移すと、別の形の制約と工夫が見える。

サラ・アン・ベック
《サラ・アン・ベック》1818年ごろ。象牙に水彩。縦7.6センチ、横6.4センチ。手のひらに載る肖像画である。アンナ・クレイプール・ピール《サラ・アン・ベック》メトロポリタン美術館蔵

アンナ・クレイプール・ピールは、象牙に水彩で描く小型肖像——ミニアチュールの専門家だった。

大きさは名刺ほど。これを金属の枠に納め、持ち歩いたり、贈ったりする。写真が普及する前の、携帯できる肖像である。

小型であることは、彼女にとって不利ではなかった。

大画面の歴史画には近づけなくても、この分野なら注文が取れる。実際、彼女は職業画家として自立して働いていた。

1824年には、フィラデルフィアの美術アカデミーの会員に選ばれている。妹とともに、その機関で最初期の女性会員だった。

分野を選べないなら、選べる分野で一位を取る。現実的な戦略である。

笑いを、武器にする

もう一人、まったく違う方法を取った画家がいる。

若い夫——初めての買い出し
《若い夫——初めての買い出し》1854年。雨の街路。山高帽の青年が野菜の籠と傘を抱え、こぼしながら歩く。後ろの男が笑っている。リリー・マーティン・スペンサー《若い夫——初めての買い出し》メトロポリタン美術館蔵

リリー・マーティン・スペンサーのこの絵は、笑い話である。

若い夫が、生まれて初めて市場へ買い出しに行かされた。籠を抱え、傘をさし、うまくいかない。

足元には落とした野菜が転がり、卵らしきものも割れている。背後の男は、あからさまに笑っている。

当時の家庭では、買い出しは妻の仕事だった。その役割が入れ替わったときの滑稽さを描いている。

スペンサーは十三人の子を育てながら、一家の主要な稼ぎ手として絵を売り続けた画家である。

彼女の絵は版画に複製され、広く出回った。批評家の序列では低く扱われる分野だが、収入にはなった。

高尚さで戦えないなら、売れる場所で戦う。これもまた、条件の中での判断である。

カサットの、返答

冒頭のカサットに戻りたい。

髪を整える少女
《髪を整える少女》1886年。両腕を上げて髪をまとめる少女。顔は美化されておらず、姿勢も優雅ではない。メアリー・カサット《髪を整える少女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

この絵には、伝えられている経緯がある。

ドガが、女性には様式の感覚が分からない、という趣旨のことを言った。それに対してカサットが描いてみせたのが、この一枚だという。

そしてドガは、この絵を見て評価し、自分の手元に置いた。

逸話であり、細部の裏づけは十分ではない。ただ、この二人の関係を考えると、ありそうな話ではある。

画面を見ると、少女は美しく描かれていない。口は開き、肘は張り、髪は乱れている。

「絵になる女性」という型を外している点で、冒頭の《青い肘掛椅子の少女》と同じことをしている。

カサットは生涯、母と子、女性の日常、身支度といった主題を描き続けた。それは限られた主題でもあり、選び取った主題でもある。

彼女はまた、アメリカの収集家に印象派の絵を買うよう助言し、多くの作品がアメリカへ渡る道をつけた。この役割は別のコラムでも触れている。

見立て——「女性画家」とまとめてよいのか

ここからは書き手の見方である。

この記事のように、時代も国も違う画家を「女性画家」でまとめることには、副作用がある。

カウフマンとカサットのあいだには百年以上の隔たりがある。ピールとモリゾでは、住んでいる社会がまるで違う。

作品の内容も共通していない。神話画、ミニアチュール、風俗画、屋外の風景。まとめる根拠は、性別だけである。

それでも、まとめて見る意味はあると考えたい。

見えてくるのは作風の共通点ではなく、条件の共通点だからだ。

裸体教室に入れないこと。ひとりで出歩けないこと。手を入れられる側に置かれること。分野を選べないこと。

これらは個人の資質と関係がない。だから個々の作品を論じるだけでは見えてこない。

そして条件が見えると、作品の読み方が変わる。モリゾの物干し場は、単なる身近な風景ではなくなる。ピールの小ささは、才能の限界ではなくなる。

もっとも、これを逆に振りすぎるのも危うい。すべてを制約で説明すると、今度は本人の選択が消える。

制約があり、その中で選んだ人がいた。両方を並べて置くのが、いちばん正確だろう。

もうひとつ、書いておきたいことがある。

この記事で名前を挙げられたのは、五人だけである。当サイトで公開している作品の中に、女性の画家の作品は他にもある。

しかし多くは、作者の情報が英語表記のまま残り、生没年も分からない。日本語での紹介はまだ整っていない。

つまり「記録が薄い」という状態が、いまも続いている。

これは当サイトの課題でもある。作品数の多い順に作者情報を整えていくと、どうしても大量に制作した男性の画家が先に来る。

順序を作品数だけで決めると、記録の偏りをそのまま引き継ぐことになる。

どう整えるかは、今後の宿題として書き留めておきたい。

暮らしへ——描いた人の条件を、ひとつ調べてみる

最後に、ひとつ提案をしたい。

好きな絵を見つけたら、作者について一つだけ調べてみてほしい。どこで生まれたか、誰に学んだか、何で食べていたか。

どれか一つでよい。全部を知る必要はない。

たとえば、この記事に出てきた画家たちの条件は、どれも一行で言える。

裸体教室に入れなかった。家の外へ出にくかった。象牙の小片に描いた。十三人の子を育てながら売った。

一行を知るだけで、画面の見え方は変わる。行儀の悪い坐り方も、洗濯物も、名刺大の肖像も、意味が違って見えてくる。

飾るなら、この記事に出てきた絵はどれも家の中に向いている。大画面の劇的な風景と違い、生活の側から描かれているからだ。

置き場所と光についてはこちらのコラムで扱っている。日常の主題の絵は、日常の目線の高さに掛けるとよく馴染む。

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