作品を知る

百枚のうち、六枚しかない——葛飾北斎の百人一首

百人の歌に絵を付ける計画は、三十枚に満たずに止まったと伝えられる。九点のうち六点がその組で、いずれも1839年である。歌をそのまま描かず、働く人の場面に置き換える作りを見たい。受入が二度に分かれている点にも触れる。

持統天皇(百人一首うばがゑとき)
葛飾北斎《持統天皇(百人一首うばがゑとき)》メトロポリタン美術館蔵

百枚のうち、六枚

九点のうち六点は、同じ組物に属する。

館の記録は、その組の名をこう訳している。乳母が絵解きする百人一首。

百人一首は、百人の歌人の歌を一首ずつ集めた歌集である。江戸時代には広く知られていた。

その百首すべてに絵を付ける。それがこの組の計画だった。

しかし、実際に摺られたのは三十枚に満たないと伝えられる。組は途中で止まっている。

当サイトが公開しているのは、そのうちの六点である。番号でいえば、飛び飛びに残っている。

歌人の名で並べても、順にはならない。抜けているほうが多い。

残る三点は、別の組物や単独の版画である。同じ絵師の、別の仕事にあたる。

大判という規格

六点の寸法は、いずれも縦25センチ前後、横36センチ前後である。

これを大判と呼ぶ。当時の版画で、最も広く使われた規格である。

同じ規格でそろえれば、並べても違和感がない。帖に貼るのも簡単である。

残る三点のうち二点は、縦に長い別の判型である。縦は52センチ近くある。

判型が違えば、掛ける場所も違う。柱に掛けるための形だと考えられる。

九点の内訳

先に、九点の中身を確かめておく。

六点が百人一首の組、一点が漢詩と和歌を並べた組、一点が雪月花の組である。

残る一点は、組の名が記録されていない。単独の版画として登録されている。

制作年は1820年代の後半から1839年まで。十年ほどの幅に収まる。

いずれも木版で、紙に墨と色を摺ったものである。技法の欄に差はない。

途中で止まるということ

組物は、そろえて買う商品である。

一枚ずつ売り、集めさせる。全部そろって初めて意味を持つ。

だから途中で止まると、買った側には未完のまとまりが残る。

止まる理由はいくつも考えられる。売れ行き、版元の事情、絵師の体調。

この組については、確かなことが記録に残っていない。九点からも分からない。

版下絵だけが残り、摺られなかった図もあると伝えられる。

つまり、絵は用意されていたのに、商品にならなかった分がある。

止まったのは制作ではなく、出版だったことになる。

もっとも、これも伝聞である。ここでは断定しないでおく。

乳母という言葉

組の題には、乳母という語が入る。

子どもの世話をする人が、絵を見せながら歌を説明する。そういう場面が想定されている。

つまりこの組は、歌の入門書として作られている。大人向けの高級品でありながら、説明の体裁を取る。

説明の体裁があると、絵は自由になる。歌そのものを描かなくてよい。

かわりに、身近な場面へ引き寄せられる。六点の画面は、いずれもそうなっている。

年は、一つに集まる

六点の年を見ると、いずれも1839年である。

一点だけ、およそ、を示す語が付く。ほかの五点は断定されている。

つまり、この組は一年のうちに集中して出されたと考えられる。

歌人の順に少しずつ、というよりは、まとめて摺られた形である。

その一年のうちに止まったのだとすれば、計画と実際の差は大きい。

絵師は当時、七十代の後半にあたる。長い仕事の終盤である。

同じころ、別の判型の仕事も続けていた。手が空いていたわけではない。

年齢を理由に挙げたくなるが、それも推測にすぎない。記録は理由を書かない。

持統天皇(百人一首うばがゑとき)
葛飾北斎《持統天皇(百人一首うばがゑとき)》1839年。木版、紙に墨と色。館の記録では、縦25.7センチ、横37.5センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1914年。葛飾北斎《持統天皇(百人一首うばがゑとき)》メトロポリタン美術館蔵

横長の画面である。大判にあたる。

右上に、四角い枠がある。中に歌と歌人の名が摺られる。

画面の下半分を、水が斜めに横切る。浅い流れである。

水の中と岸に、人が七人ほどいる。布を洗い、広げ、担いでいる。

水に浸けた白い布が、長く伸びる。手前の一人が両手で持つ。

奥には低い山が重なる。中央の山は、頂が赤く染まる。

さらに奥に、建物の屋根が並ぶ。集落である。

色は青緑と黄土が中心で、赤は山の頂だけである。

歌人は女性の天皇である。ただし、その姿は画面に出てこない。

かわりに、布を扱う人びとが描かれる。歌に出てくる言葉から連想を広げた形である。

歌を知らなくても、画面は成り立つ。働く人の場面として見られる。

枠の中の文字

六点の右上には、必ず枠がある。

その中に、歌人の名と歌の全文が摺られている。文字は細く、行を変えて並ぶ。

つまり、絵と歌が同じ紙に載っている。別々の紙ではない。

見る側は、まず絵を見て、それから枠の文字を読む。あるいは逆に読む。

どちらから入っても成り立つように作られている。絵と文字が、対等に置かれている。

歌と、絵の距離

この組の特徴は、歌の内容をそのまま描かないことにある。

百人一首の歌は、恋や季節を詠むものが多い。文字どおりに描けば、人物の姿になる。

ところが、この組の画面には働く人が多く出る。洗濯、荷運び、屋根の上の仕事。

歌の言葉から連想を広げ、当時の暮らしに移している。

題の乳母が絵解きする、という言い方も、そのやり方を示していると考えられる。

柿本人麻呂(百人一首うばがゑとき)
葛飾北斎《柿本人麻呂(百人一首うばがゑとき)》1839年。木版、紙に墨と色。館の記録では、縦25.1センチ、横35.6センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1914年。葛飾北斎《柿本人麻呂(百人一首うばがゑとき)》メトロポリタン美術館蔵

緑の丘が画面を占める。斜面がなだらかに続く。

その斜面に、人が五人ほどいる。腰をかがめ、地面に手をやる。

中央から右へ、白い煙が大きく立ち上る。渦を巻きながら上へ伸びる。

煙の下には、赤い火の色が置かれる。何かを焼いている。

左上に、小さな家がある。屋根は茅葺きで、傾斜が急である。

奥には山があり、頂が赤い。前の一点と同じ扱いである。

右上の枠に、歌と名が入る。

働く人の姿が、画面の中心にある。歌人の姿は描かれない。