暮らしと名画

身支度は、後ろから描かれる——歌麿・ドガ・ホイッスラーほか九点

櫛が、兜の稜線を指す

最後の一点で、身支度の語は別のものになる。

ケトルハット(つば付きの兜)
アントニオ・ミッサリア《ケトルハット》1475年から1500年ごろ。館の記録では、鋼。全体は36×22×26.6センチ。番号は1916.1565。クリーヴランド美術館蔵。アントニオ・ミッサリア《ケトルハット(つば付きの兜)》クリーヴランド美術館蔵

鉄の兜である。

全体は36×22×26.6センチある。

上は丸い椀の形である。

椀の面は滑らかで、光を返す。

面には、細かい斑がある。

錆である。

椀の頂きから前へ、浅い稜が走る。

稜は低く、指で触れて分かるほどである。

椀の下には、つばがある。

つばは全周に回る。

前と後ろで、少し下へ垂れる。

つばの縁には、鋲が並ぶ。

鋲は丸く、等間隔である。

数えると、二十を超える。

間隔は、どこもほぼ等しい。

打ち込んだ順に、少しずつずれる。

鋲の頭は、外へ突き出る。

内側には、何も残っていない。

布の内張りは、失われている。

残っているのは、それを留めた鋲だけである。

鋲の位置から、内張りの形が分かる。

つばの下に、円く並んでいる。

頭に触れる場所だけが、布だった。

館の記録では、この形の開いた兜は、十三世紀から十五世紀まで使われた。

今日の軍用の帽の祖先であるという。

そして館は、稜について書いている。

中央を走るわずかな稜は、打撃を逸らし、強さを増すために役立ったという。

館の記録は、そう説明している。

その稜を、館は櫛と呼んでいる。

髪を梳く道具と、同じ語である。

つまり形が似ていれば、同じ名で呼ばれる。

そして館は、縁の鋲についても書いている。

館の記録は、失われたものにも触れている。

鋲は飾りだけでなく、内張りを留めるためのものだったという。

兜の二つの伝統については、二つの兜で扱った。

九点のうち、身支度と関係がないのは、この一点だけである。

しかし語の上では、つながっている。

髪を梳く櫛は、細い歯の並びである。

兜の櫛は、一本の稜である。

形は似ていない。

似ているのは、頭の上を前後に走ることだけである。

位置が同じであれば、名が移る。

形ではなく、場所が名を決めている。

鶏の頭の上の赤い部分も、同じ語で呼ばれる。

頭の上を前後に走るものは、そう呼ばれやすい。

九点のうち、名が場所で決まっているのは、この一点である。

数えてみると

九点を並べ直す。

髪に触れているのは、四点である。

三人がかりの結い、後ろ姿の梳き、伏せた顔の梳き、そして化粧台の前。

体を洗っているのが、一点。

着たまま立っているのが、一点。

道具だけが描かれるのが、二点。

語が兜の部分を指すのが、一点である。

もう一つ数える。

九点のうち、鏡が写っているのは四点である。

手鏡、化粧台の鏡、箪笥の上の鏡、そして鏡そのもの。

しかし映った姿が見えるのは、一点だけである。

残る三点では、鏡は面を見せていない。

さらに数える。

九点のうち、館の記録が人物の名を書いていないのは六点である。

書かれているのは、題と材料と寸法だけである。

身支度の場面では、誰かということが記録されにくい。

名の分かる一点は、兜の作り手である。

工房を父から継ぎ、部位ごとの職人を雇っていたという。

作った人の名は、細かく残る。

使った人の名は、残らない。

道具の記録と、場面の記録は、残り方が違う。

九点は、その二つにまたがっている。

作られた物が五点、描かれた場面が四点である。

数え方によっては、版画も作られた物である。

描かれた人ではなく、作った人の名である。

言えることと、言えないこと

言えるのは、身支度が「後ろから描かれやすい」ということである。

九点のうち三点で、人は背中をこちらへ向けていた。

顔を伏せているものを加えれば、四点になる。

見られていないときの姿を描くと、顔が隠れる。

顔が隠れれば、誰かが分からなくなる。

館の記録も、四点で人物の名を書いていない。

名がなければ、題は行為の名になる。

だから「化粧」という題が三つ並ぶ。

人の名は付けられず、していることが題になる。

言えないのは、鏡が身支度の中心だという話である。

鏡は四点に写っていた。

しかし映った姿が見えるのは、一点だけだった。

ほかの三点では、鏡は裏か、空か、こちらを向いていない。

鏡は道具として置かれ、働いているところは見せない。

映すには、正面から向かい合う必要がある。

その位置には、描く人がいる。

描く人が映らないように、鏡は横を向いている。

映せば、描く人が画面に入る。

入らないための角度が、選ばれている。

最後に、はじめの一枚へ戻る。

三人のうち、髪を結われているのは一人である。

あとの二人は、その人のために手を動かす。

身支度は、一人でする仕事ではない。

そして手を動かす二人の顔も、はっきりとは見えない。

九点を数え終えて残るのは、支度される人と、支度する人の差である。

支度される人は、顔を見せる。

支度する人は、手だけを見せる。

題に残るのは、支度される人のほうである。

そして道具だけの二点には、どちらもいない。

人がいなくても、支度の場面として登録される。

道具の形が、行為を代わりに示している。

鏡があれば、そこで髪を直す。

箪笥があれば、そこに道具が入っている。

見る側が、いない人を補って読む。

補えるのは、道具の使い方を知っているからである。

知らなければ、ただの家具に見える。

実際、箪笥の絵は家具の絵でもある。

題が、それを化粧のものと決めている。

館の札が「化粧台」と書くのは、そのためでもある。

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