美術史・技法

川と工場を、同じ目で——ウィアとトワクトマンのコネティカット

灰緑色の風景に、塗りたての赤い鉄橋が突き刺さっている。ウィアとトワクトマンは、川も工場も同じ目で描いた。美しいものだけを選ばない風景画の姿勢を、コネティカットの九点から読む。自然と構造物を分けずに見る目が、この九点にはある。

赤い橋
J・オールデン・ウィア《赤い橋》メトロポリタン美術館蔵

赤い鉄橋が、川に架かっている

一枚の絵から始めたい。

赤い橋
ジュリアン・オールデン・ウィア《赤い橋》1895年。油彩・画布。縦61.6センチ、横85.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。J・オールデン・ウィア《赤い橋》メトロポリタン美術館蔵

川である。手前から奥へ、水面が広がる。

その上に、鉄の橋が架かっている。

橋は赤い。錆止めの塗料だろう。

骨組みが三角形に組まれ、その形が水面に映る。

橋の左右には、細い木が何本も立っている。

葉はまばらで、幹が白っぽい。

水面は淡い緑と灰色で、静かである。

奥の岸は、黄土色の斜面になっている。

画面全体は、灰緑色でまとめられている。

その中で、橋の赤だけが強い。

新しい橋を、描く

この橋は、当時の新しい構造物である。

木の橋ではなく、鉄の橋である。

塗りたての塗料が、赤く光っている。

つまりこの絵は、田舎の風景に現れた新しい物を描いている。

風景画の主題としては、やや異例である。

美しい自然を描くのが風景画だ、という前提からすると、
鉄橋はむしろ景観を壊すものになる。

それを画面の中心に置いている。

しかも、隠すどころか、いちばん強い色を与えている。

この判断が、九点全体の姿勢をよく示している。

川という土地の骨格

コネティカットの風景を考えるとき、川が中心になる。

川は、水を運び、動力を供給し、境界にもなる。

十九世紀の工場は、水力を求めて川沿いに建った。

橋は、その川を渡るために架けられる。

つまり、川があるところに、産業も交通も集まる。

九点のうち、水が描かれていないものは二点だけである。

残りの七点には、川か滝か雪解けの流れがある。

土地の骨格が、そのまま絵の骨格になっている。

二人の画家

今回は、二人の画家をまとめて扱う。

ジュリアン・オールデン・ウィアと、ジョン・ヘンリー・トワクトマンである。

ウィアは1852年に生まれ、1919年に没した。

トワクトマンは1853年に生まれ、1902年に没した。

ほぼ同世代である。

二人とも、若い頃にヨーロッパで学んでいる。

帰国後は、アメリカ北東部のコネティカットを拠点にした。

そして、同じ地域を繰り返し描いている。

同じ土地で、描く

コネティカットは、大都市から近い田舎である。

川が流れ、森があり、農地がある。

同時に、川沿いには工場も建っていた。

つまり、自然と産業が混ざった土地である。

二人が描いたのは、その両方だった。

滝も描き、工場も描く。

雪の川も描き、鉄橋も描く。

主題の選び方に、区別を設けていない。

二人の関係

二人は、単に同じ地域にいただけではない。

同じ集まりで作品を発表し、互いの家を行き来したと伝えられる。

十九世紀末のアメリカには、こうした画家の集団がいくつもあった。

公式の展覧会の仕組みに満足せず、独自に展示を組む。

その活動が、新しい絵の受け皿になった。

当サイトでも
ヘンライの仲間で、
少し後の世代の同じ動きに触れている。

同じ土地に集まり、同じ主題を描き、互いに影響し合う。

作風が似てくるのは、当然の成り行きでもある。

実際、九点を並べても、どちらの作か迷うものがある。

光の扱いの違い

とはいえ、二人の違いもある。

トワクトマンの絵は、輪郭が溶けている。

雪も、水も、木も、境目が曖昧である。

ウィアの絵は、形がもう少し残っている。

鉄橋の骨組みも、工場の窓も、はっきり描かれている。

つまり、抽象へ寄る人と、対象に留まる人の差がある。

もっとも、これは今回の九点から見える傾向にすぎない。

二人とも多作であり、例外はいくらもあるはずである。

川と工場を、同じ目で

この記事の題は、そこから取った。

風景画には、暗黙の選別がある。

美しいものを描き、そうでないものを外す。

その選別を緩めると、何が起きるか。

九点を通して、それを見ていきたい。

まずは、二人がヨーロッパで描いた絵から始める。

赤い橋の見え方

その前に、最初の一枚をもう少し見ておきたい。

橋の赤は、周囲の色とまったく合っていない。

灰緑色の風景に、鮮やかな朱赤が突き刺さっている。

自然の中に、こういう色は普通ない。

だからこそ、絵として目を引く。

同時に、この色は「新しさ」の印でもある。

塗料が新しいうちは、赤は鮮やかである。

年月が経てば、色は褪せ、風景に馴染んでいく。

つまりこの絵は、馴染む前の一時期を捉えている。

数年後に同じ場所を描けば、赤はもっと沈んでいたはずだ。

木の枝ごしに

構図についても触れたい。

橋は、画面の中央に堂々と置かれてはいない。

手前の細い木々が、視界を遮っている。

枝の隙間から、橋を覗く形になっている。

この置き方には、効果がある。

まず、対象との距離が生まれる。

次に、縦の線と橋の水平・斜めの線が交差する。

画面に格子のような構造ができる。

日本の版画にも、手前に枝や柱を置く構図がよくある。

当サイトの
浮世絵の影響でも触れた型である。

この二人が、その影響下にあったことは広く指摘されている。