美術史・技法

重さは、傾きに出る——バリー・デューラー・ジロドンほか九点

軽いものなら体はまっすぐでいられる。重ければ傾き、膝が沈む。九点で、荷物の位置と体の傾きを測りたい。背中、肩、天秤棒、頭、手。天秤棒の一点だけ、体が傾いていなかった。運ぶ人の顔は、九点のうち八点で下を向くか、見えなかった。

エリュマントスの猪を運ぶヘラクレス
アントワーヌ・ルイ・バリー《エリュマントスの猪を運ぶヘラクレス》クリーヴランド美術館蔵

背中に、獣を載せている

小さなブロンズである。

高さ13.7センチ。

手のひらに載る。

裸の男が、大きく歩を踏み出している。

前の脚は伸び、後ろの脚は膝が曲がる。

つま先で地面を蹴っている。

上半身は、前へ深く傾く。

そして、背中に獣を載せている。

四つ足の獣である。

腹を上にして、背中に乗る。

前脚と後脚が、それぞれ左右へ垂れる。

男の両腕が、その脚をつかむ。

顔は下を向き、髭が胸につく。

台は、長方形の板である。

エリュマントスの猪を運ぶヘラクレス
アントワーヌ・ルイ・バリー《エリュマントスの猪を運ぶヘラクレス》1820年から30年ごろ。館の記録では、ブロンズ。全体13.7×9.5×5.9センチ。番号は1981.223。クリーヴランド美術館蔵。アントワーヌ・ルイ・バリー《エリュマントスの猪を運ぶヘラクレス》クリーヴランド美術館蔵

館の記録は、奥行きを5.9センチと書いている。

高さ13.7センチに対して、半分に満たない。

つまり、前後に薄い。

腕と脚を前後に開いているのに、厚みが出ない。

これは、正面から見せるための形だと考えられる。

横から見れば、動きはもっと大きく見えるはずだ。

館の記録は、置き方には触れていない。

前の回で、働く人を見た。

働く話では、道具が職業を示していた。

今回は、運ぶことである。

運ぶという行為には、はっきりした特徴がある。

重さが、姿勢に出ることだ。

軽いものなら、体はまっすぐでいられる。

重ければ、傾く。

そして、脚を踏ん張る。

九点を並べて、その示し方を数えたい。

重さは、傾きで示される

この一点では、体が前へ大きく傾いている。

背中に載せた獣が重いからだ。

もし体をまっすぐにすれば、後ろへ倒れる。

だから、前へ傾いて釣り合いを取る。

そして、脚を前後に開く。

支える面積を広げるためである。

第十一回で、立つ姿勢を扱った。

立つ話では、重心が足の裏に乗っていた。

荷物があると、重心が体の外へ出る。

その分、体を反対側へ傾ける。

これは、実際に運ぶときに誰でもすることである。

そして、絵や彫刻は、その傾きを写す。

十字架を担うキリスト
アルブレヒト・デューラー《十字架を担うキリスト》1512年。館の記録では、エングレーヴィング。番号は1921.1170。クリーヴランド美術館蔵。アルブレヒト・デューラー《十字架を担うキリスト》クリーヴランド美術館蔵

この作者の版画は、第九回にも出てきた。

衣を着ない体の話で扱った一点である。

そして第五回では、聖母の版画も見た。

髪の話で扱った一点だ。

同じ人の作が、三回に分かれて出ている。

未使用の在庫に、この作者の版画が多いためである。

縦長の版画である。

画面の中央に、男が一人いる。

肩に、太い角材を載せている。

角材は、右上から左下へ斜めに走る。

その重さで、体が沈む。

膝が折れ、片方は地面に近い。

顔は、こちらを向く。

まわりに、人が何人もいる。

槍のような細い棒が、何本も立つ。

左に、頭を垂れる人物がいる。

右上に、印と年がある。

線は細かく、隙間がない。

館の記録には、寸法が入っていない。

技法と、受け入れの経緯だけである。

ここでも、重さは姿勢に出ている。

背中が丸まり、膝が折れる。

先のブロンズとは、傾き方が逆である。

あちらは前へ傾き、こちらは下へ沈む。

荷物の位置が違うからだ。

背中に載せれば、前へ傾く。

肩に載せて引きずれば、下へ沈む。

荷物を、どこに置くか

九点で、荷物の位置を数えた。

背中が二点。

肩が二点。

天秤棒が一点。

手に持つのが三点。

そして、頭に載せるのが一点である。

籠と干草を運ぶ農婦
オーギュスト・ジロドン《籠と干草を運ぶ農婦》1870年ごろ。館の記録では、湿板の陰画から作った鶏卵紙の印画。画面17.2×11.1センチ。台紙を含めて20.7×15.8センチ。番号は1999.27。クリーヴランド美術館蔵。オーギュスト・ジロドン《籠と干草を運ぶ農婦》クリーヴランド美術館蔵

台紙と、その外側の枠の寸法も書かれている。

台紙が20.7×15.8センチ。

枠まで含めると45.7×35.6センチである。

画面は17.2×11.1センチしかない。

枠の面積は、画面の八倍以上ある。

写真は、こうして三重に囲まれて保管される。

暗い写真である。

女性が一人、こちらへ背を向ける。

頭に、白っぽい布を巻く。

背中に、大きな束を負う。

干草らしい。

その束は、背丈の半分ほどある。

腰のあたりに、丸い籠がある。

体は前へ傾く。

背景は、暗く沈んでいる。

足元だけが、わずかに明るい。

館の記録に、重要な記述がある。

この人物は、1870年代に何人かの画家に写真を注文したという。

農民を撮った写真を、画家のために作らせた。

そして、その撮影者の名は分かっていない。

匿名を望んだ画家だろうと記録は書く。

いまは「ジロドンの画家」と呼ばれている。

これは館の記述である。

第十二回と第十六回で、その呼び名の作品を見た。

座る話と習作の話で扱った二点である。

この一点は、注文した側の名で記録されている。

同じ仕事から出た写真が、二通りの作者名で残っている。

第十四回で、作者の欄の決め方を扱った。

同じ館の中でも、書き方が揃わないことがある。

雪中の猿回しと人足
北雅《雪中の猿回しと人足》19世紀。館の記録では、掛幅。絹に墨と色。画面32.5×57.5センチ。表装を含めて127.3×72センチ。番号は14.76.45。メトロポリタン美術館蔵。北雅《雪中の猿回しと人足》メトロポリタン美術館蔵

館の記録は、寸法を三つ書いている。

画面が32.5×57.5センチ。

表装を含めて127.3×72センチ。

軸端まで含めると、幅が77.6センチになる。

画面は横長なのに、表装を含めると縦長になる。

上下の裂が、それだけ長いということである。

第十九回で、掛軸の寸法の書き方を扱った。

高さの話で見たとおり、画面と表装は別に測られる。

横長の画面を持つ掛軸である。

雪の積もった土手である。

地面は、薄い茶色で塗られる。

左に、細い杭が立つ。

その上を、鳥が二羽飛ぶ。

中央に、三人の人物がいる。

一人は、肩に棒を渡している。

棒の両端に、桶が下がる。

体は少し傾く。

もう一人は、大きな傘を差す。

赤と白の傘である。

三人目は、赤い衣を着た小さな姿である。

館の記録の題には、猿の語がある。

だが、画像で猿を見分けるのは難しい。

赤い衣の小さな姿が、それかもしれない。

天秤棒は、荷物を分ける道具である。

前後に同じ重さを掛ければ、体は傾かない。

肩の一点で支えられる。

九点のうち、体が傾いていないのはこの一点だけである。

道具が、姿勢を変えている。

盆に薔薇の花輪を運ぶ少女
クロディオン《盆に薔薇の花輪を運ぶ少女》1770年代前半。館の記録では、テラコッタ。全体45.1×15.2×17.3センチ。番号は1942.50。クリーヴランド美術館蔵。クロディオン《盆に薔薇の花輪を運ぶ少女》クリーヴランド美術館蔵

館の記録によれば、この作者は装飾的な小像で知られる。

そして、この一点は主題も様式も代表的だという。

さらに、若いころの滞在先で作った作品をもとにしていると書かれる。

これは館の記述である。

こちらで確かめられるのは、盆を胸の前で持つ姿勢までだ。

焼いた土の像である。

高さ45.1センチ。

女性が立っている。

薄い衣が、体に沿って落ちる。

胸の前で、両手が平たい盆を支える。

盆の上に、花を編んだ輪がある。

顔は、やや横を向く。

髪は頭の上でまとめられる。

体は、まっすぐに近い。

わずかに、右へ傾く。

荷物が軽いからである。

花の輪は、重さがほとんどない。

だから、姿勢が崩れない。

先の八点と比べると、この違いがはっきり出る。

運ぶという同じ語でも、重さで姿勢が変わる。

第十五回で、この作者の別の小像を見た。

動く体の話で扱った二体は、走っていた。

同じ焼き物で、同じ大きさの部類である。

運ぶ道具

九点のうち、道具を使っているのは四点である。

天秤棒、籠、盆、そして樽。

道具があると、運べる量が増える。

籠は、ばらばらの物をまとめる。

天秤棒は、重さを二つに分け、肩の一点に集める。

盆は、載せた物を落とさない。

樽は、液体を運ぶための容器である。

つまり、道具は運ぶ行為の一部である。

そして、道具の形は、運ぶ物と体の形から決まる。

天秤棒が肩に載るのは、肩がいちばん高く、丈夫だからだ。

籠を背負うのは、背中が広いからである。

頭に載せるのは、体の芯の上に重心を置けるからだ。

第十九回で、器の形が用途から決まる話を書いた。

卓の話では、物が載る面が問題だった。

運ぶ道具でも、事情は同じである。

物と体の関係が、形を決めている。

道具を使わない五点では、体が直接触れる。

肩に載せる、背中に載せる、腕で抱える。

そのとき、荷物の形がそのまま体に当たる。

猪を背負う一点では、獣の脚を握っている。

握るところがなければ、支えられない。

十字架を担う一点でも、腕が角材に回されている。

道具がないと、体のほうが工夫することになる。

運ぶ人が、小さく描かれる

伝令
アルフォンス・ド・ヌヴィル《伝令》1880年。館の記録では、布に油彩。130.2×213.4センチ。番号は25.110.26。メトロポリタン美術館蔵。アルフォンス・ド・ヌヴィル《伝令》メトロポリタン美術館蔵

九点でいちばん大きい絵である。

縦130.2センチ、横213.4センチ。

村の道である。

左に、石造りの建物がある。

その前に、長い机が出ている。

机を囲んで、軍服の男たちが座る。

十人以上いる。

食器と瓶が並ぶ。

中央に、馬に乗った人物がいる。

その馬の脇に、立って話す人がいる。

右奥に、教会の尖った塔が見える。

空は青く、雲が高い。

道には、荷物と武具が転がる。

題は「伝令」である。

つまり、知らせを運ぶ人が主題だ。

だが、その人物が誰かは、画面から特定しにくい。

馬に乗る人か、その脇に立つ人か。

運ぶものが、紙一枚だからである。

重さがないので、姿勢に出ない。

九点のうち、運ぶ物が見えないのはこの一点だけである。

砂持祭
酒井馬西《砂持祭》1856年。館の記録では、掛軸。絹に墨と色。画面128.6×56.5センチ。表装を含めて193.7×77.5センチ。番号は1991.44。クリーヴランド美術館蔵。酒井馬西《砂持祭》クリーヴランド美術館蔵

縦長の掛軸である。

画面の縦は128.6センチある。

上のほうに、川と山が描かれる。

その手前から、行列が下ってくる。

数百人はいるだろうか。

一人の大きさは、五ミリほどである。

中ほどに、赤い大きな飾りがある。

車のついた山車らしい。

下のほうにも、人が密集する。

赤、青、白の衣が点として散る。

上に、文字が数行ある。

館の記録によれば、これは水路をさらう作業に関わる祭である。

大勢の協力が必要な仕事だったという。

そして、砂を運ぶ行事は信仰や寄進と結びついていたと記録は書く。

これは館の説明である。

こちらで確かめられるのは、大勢が列を作っている、ということだ。

運ぶ人が、これだけ小さいと、姿勢は読めない。

読めるのは、数と、進む方向だけである。

第十九回で、行列を扱った。

行列の話で見たとおり、列は横か奥へ伸びる。

ここでは、上から下へ伸びている。

縦長の画面だからである。

題にあっても、見えない

羊を担ぐ農夫のいる森の縁の小道
アントニー・ワーテルロー《羊を担ぐ農夫のいる森の縁の小道》1640年以後。館の記録では、生成りの簀の目紙に木炭と濡らした木炭、灰色の淡彩。画面と紙が25.8×39.5センチ。番号は2020.144。クリーヴランド美術館蔵。アントニー・ワーテルロー《羊を担ぐ農夫のいる森の縁の小道》クリーヴランド美術館蔵

横長の素描である。

画面のほとんどが、木である。

太い幹が何本も立ち、枝が広がる。

葉は、細かい点と短い線で作られる。

左に、土手のようなものがある。

右奥へ、道が続く。

その道の上、画面のごく下のほうに、小さな人影がある。

高さは、五ミリもない。

肩に何かを載せているように見える。

題によれば、羊である。

館の記録は、この作者が樹木の習作と森の場面を得意にしたと書く。

そして、ある地方を訪れたときの眺めだろうと推測している。

これは館の見解である。

こちらで確かめられるのは、人物が極端に小さい、ということだ。

題に「羊を担ぐ農夫」とある。

だが、画面ではほとんど見えない。

第十九回で、遠くの人は距離の目安になると書いた。

遠くの人の話で見たとおり、小さな人物は木の大きさを示す。

ここでも、その働きをしている。

人がいるから、木が大きいと分かる。

カヌーと樽を運ぶ人物の素描(スケッチブックより)
アルバート・ビアスタット《カヌーと樽を運ぶ人物の素描(スケッチブックより)》1890年。館の記録では、網目紙に黒鉛。12.1×19.7センチ。番号は1995.379.4w表。メトロポリタン美術館蔵。アルバート・ビアスタット《カヌーと樽を運ぶ人物の素描(スケッチブックより)》メトロポリタン美術館蔵

ごく薄い線の素描である。

紙は、ほとんど白く見える。

左のほうに、細長い形がいくつかある。

舟らしい。

その右に、人物が一人立つ。

体の前に、丸い形を抱えている。

樽だと題は書く。

線は数本しかない。

顔も、衣も描かれていない。

上に、綴じ穴らしい点が並ぶ。

第十六回で、この作者の帳面を見た。

習作の話で扱った一点と、同じ冊子の別のページである。

番号を見ると、枝番が違う。

同じ番号のあとに、別の記号が付く。

一冊が一点として数えられ、ページごとに枝番が振られている。

運ぶ物の重さを、どう見せるか

重さの示し方を、九点から整理したい。

一つ目は、体の傾きである。

前へ、あるいは横へ体を倒す。

二つ目は、膝の曲がりである。

重ければ、膝が沈む。

三つ目は、脚の開きだ。

前後、あるいは左右に開いて支える。

四つ目は、荷物と体の接する部分である。

肩に食い込む、背中に沈む。

その形が、重さを示す。

五つ目は、周囲の人の姿勢である。

同じ物を複数で運んでいれば、重いと分かる。

九点のうち、二人以上で運ぶ場面は一点もなかった。

全員が、一人で運んでいる。

これは、選び方のせいかもしれない。

そして六つ目に、荷物の大きさがある。

体に対して大きければ、重そうに見える。

実際の重さとは関係がない。

干草の束は、大きいが軽い。

だが、絵の中では重そうに見える。

九点のうち、いちばん大きな荷物は、その干草だった。

背丈の半分ほどある。

いちばん小さいのは、盆の上の花輪である。

そして、その二点で姿勢の傾きが最も違っていた。

運ぶ人は、どこを見ているか

視線も数えた。

こちらを見ているのは一点だけである。

十字架を担う一点で、顔が正面を向く。

残る八点では、顔が下を向くか、見えない。

理由は、はっきりしている。

重い物を運ぶとき、人は足元を見る。

つまずけば転ぶからだ。

そして、顔を上げると、体の釣り合いが崩れる。

九点のうち、顔が上を向く例は一つもなかった。

第二回で、肖像の視線を数えた。

視線の話では、目が合うのは半分だった。

前の回の働く姿では、一点だけだった。

そして今回も、一点だけである。

行為を描く絵では、視線はこちらへ来ない。

来るとしたら、それは理由がある。

十字架の一点では、こちらを見ることに意味がある。

見る側に、何かを訴える構図である。

館の記録は、そこには触れていない。

書かれているのは、題と、技法と、受け入れの経緯だけだ。

九点を並べて、数えられたこと

運ぶ物が見えるのは八点。

見えないのが一点である。

物の位置を数えた。

背中が二点、肩が二点、天秤棒が一点。

手が三点、頭が一点。

体が傾いているものが六点。

まっすぐなものが二点。

判別できないものが一点。

つまり、多くは傾いている。

運ぶ人の大きさも数えた。

画面の半分以上を占めるものが四点。

十分の一以下が四点。

その中間が一点である。

大きく描く場合と、小さく描く場合に分かれる。

材料も数えた。

紙が四点、絹が二点、布が一点、金属が一点、焼き物が一点。

記録に書かれていないこと

館の記録は、何を運んでいるかを題に書く。

九点のうち八点で、運ぶ物が題に入る。

十字架、籠と干草、桶、盆の花輪、猪、樽、羊、砂。

つまり、運ぶ物が主題として名指される。

第七回でも書いたが、動詞と目的語は記録に載りやすい。

だが、重さは書かれない。

どれくらい重いかは、どの記録にもない。

そして、どこからどこへ運ぶかも書かれない。

九点のうち、行き先が画面にあるものは一つもなかった。

運ぶ場面は、途中しか描けない。

前の回の行列と、同じである。

第十九回で、道の消え方を扱った。

道の話で見たとおり、道は奥で消える。

運ぶ人も、その道の途中にいる。

始まりと終わりは、画面の外にある。

道のりの長さも、記録には残らない。

歩いた時間も、運んだ回数も、休んだかどうかも書かれない。

そして、運ぶ人が誰かも、たいてい書かれない。

九点のうち、名前が分かるのは二点だけである。

どちらも、物語や神話の登場人物だった。

残る七点は、農婦、人足、少女、伝令、農夫。

いずれも、役割の名である。

前の回でも、同じことが起きていた。

働く人と運ぶ人は、記録の上でよく似ている。

役割で呼ばれ、名前は残らない。

次の回は、書く人を見る。

手を動かす仕事のうち、跡が残るものである。

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