COLUMNSコラム: 画家を知る
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画家を知る
工房が受け継ぐもの——勝川春章と勝川派
勝川春章の一派では、名前も描き方も代々受け継がれた。同じ役者を三人の絵師が描いた版画を並べ、何が同じで何が違うかを見る。相撲の絵や三枚続まで、工房という単位で浮世絵を八点でたどる。名前と絵と系統の関係を、記録に沿って確かめる。
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波の白は、紙の白か、絵具の白か——ウィリアム・トロスト・リチャーズ
水彩の白は、紙の白である。ではリチャーズは、砕ける波の泡をどう作ったのか。現地では動かないものだけを写し、帳面では波を何十枚も反復する。大判の水彩から晩年の油彩まで十点を並べ、動くものを描く手順を追いかける。
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肖像画は、二十日で仕上がった——トマス・サリーの帳簿
2メートルを超える全身像が、三週間で仕上がっている。トマス・サリーは着手日と完成日と値段を帳簿に書き残した。胸像は50ドル、頭部は30ドル。ヴィクトリア女王の一件を含め、19世紀の肖像画がどんな商売だったのかを記録から読む。
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正確さは、何を保証するのか——トマス・イーキンズの解剖と写真
イーキンズは、水面を鏡のように描き、遠近法を紙の上で解いた。解剖学の実習、落選した手術室の絵、道具としての写真、そして教職を追われるまで。正確さは何を保証するのか。数字と観察に支えられた絵の強さと危うさを考える。
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麦畑に、軍服が脱ぎ捨ててある——ウィンズロー・ホーマー
ホーマーは戦場の挿絵画家として出発し、戦後は麦畑と子どもを描き、最後は水そのものを描いた。脱ぎ捨てられた軍服、描き替えられた鎌、狭い空。画面から人が減っていく過程を、公開作品六点で追いかける。省いたものが主題である。
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空だけを、描く練習——ウジェーヌ・ブーダン
ブーダンは、画面の三分の二を空にした。額縁屋の店番から始まり、十八歳のモネに外へ出ろと言った画家である。空を記録する練習が、なぜ商売として成立したのか。板に描かれた小品や、働く海の絵を並べながらたどる。
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甘さは、どこから来たのか——ルノワールの肌と光
ルノワールの甘さは、生まれつきのものではない。皿に花を描く仕事から始まり、三十代の終わりに行き詰まり、輪郭が戻り、南フランスで赤くなる。甘くない一枚から順に見ていくと、あの柔らかさが選択の結果だったことが分かる。
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都市と畑の、あいだに立つ——カミーユ・ピサロ
ピサロは、印象派展に八回すべて出品した唯一の画家である。畑を正面から描き、名所ではない場所を選び、働く人を画面に入れる。都市と農村のあいだで何を見ていたのか。厚紙に描かれた南国の風景から、点描の時期までを追いかける。
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描くに値するものは、誰が決めるのか——ギュスターヴ・クールベ
クールベは、酒場の女主人を歴史画の大きさで描いた。整えられていない表情、二つとも見えている手、自前の展示小屋、天使を見たことがないという言葉。レアリスムという挑発が何を要求したのかを、公開作品と当時の記録から確かめる。
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銀灰色は、どこから来たのか——カミーユ・コローの風景
コローの絵は、霞んだ銀灰色で知られる。しかしイタリアで描いた習作には、はっきりした影がある。サロンに出す絵と手元に置いた絵の違い、世界一多いといわれる贋作、そして「思い出」という題名。何が変わったのかを七点の作品からたどる。
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五人を、横に並べる——鳥居清長の群像
鳥居清長は、五人の女性を横一列に並べた。異様に背の高い人物、二枚三枚を続けて使う工夫、背景として描かれた江戸の町。一人を大きく描く流れの中で、群像をどう成立させたのか。十五年前の絵と比べながら、構成の作り方を読む。
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顔だけを、大きく描く——喜多川歌麿の大首絵
喜多川歌麿は、顔を紙いっぱいに描いた。全身像が主流だった美人画で、なぜ首から上を選んだのか。人相を読む流行、名を書き込まれた実在の女性、雲母を撒いた背景、そして名前を消させた出版統制まで。公開作品八点で、大首絵という発明の中身を確かめる。
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1876年、賞を受けた画家は会場に入れなかった——エドワード・ミッチェル・バニスター
建国百年の万国博覧会で一等の銅賞に選ばれた風景画家は、黒人だという理由で会場から押し戻された。受賞作は現存しない。当サイトに残る106点の小さな絵から、この画家が実際に何を描いたのかを読む。事件だけで語り終えないための記事である。
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絵に、題名は要るのか——ホイッスラーと四分の一ペニーの判決
彼は自作を《白のシンフォニー》《青と金のノクターン》と呼んだ。物語を読むな、色の配置として見よ、という要求である。その主張は1877年の酷評をきっかけに法廷へ持ち込まれ、賠償一ファージング——四分の一ペニーという判決に行き着いた。
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雨は線で、雪は紙の白で——広重が天気を摺った方法
雨は、本当は線に見えない。それでも私たちは広重の斜線を雨として読む。ぼかし、藍、見当、そして摺師の手つき。形のないものを木の板と紙に定着させた技術を追い、同じ版木から別の絵が生まれる理由を、当サイトにある二枚の《三島》で確かめる。
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セザンヌのテーブルは、なぜつながっていないのか
《リンゴの籠》のテーブルは、白い布の左右で高さが合わない。皿は上から見下ろし、籠は真横から見ている。技量の問題ではない。五十六歳でようやく個展にこぎつけた画家が、署名まで入れて世に出した「ずれ」は、何を決めた結果だったのか。八点の作品から追いかける。
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レンブラントは、皺をどう塗ったか——絵具の厚みで時間を示す
1631年の老人と1659年の自画像。同じ画家が二十八年をはさんで描いた顔を並べると、皺が「線で描かれるもの」から「絵具で盛られるもの」へ変わっている。晩年の粗い筆致を、伝記の物語から切り離して読む。
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ドガはなぜ、踊っていない踊り子ばかり描いたのか——動きを描く方法
階段に脚だけが見える構図から始めて、稽古場・競馬場・洗濯屋をたどる。写真が動きを止めた1878年の事件をはさみ、動作の頂点ではなく途中を選び続けた画家の方法を読む。
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父の描いた顔、子の描いた顔——クルーエ父子と16世紀フランス宮廷
父ジャンの描いた学者の顔には皺があり、子フランソワの描いた王の顔には皺がない。腕の差ではなく注文の差である。37ミリの細密画から156センチの騎馬像まで、宮廷画家という職業の幅から16世紀の「顔」を読む。
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風景はいつ「主役」になったのか——クロード・ロランの十数年をたどる
当サイトで公開しているクロード・ロランの十一点を、1629年の混雑した岸辺から1673年のデルフォイまで並べてみる。減っていくのは物語と人物と構図の型、最後まで残るのは光。風景画が「時刻を売る」商品になるまでをたどる。
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