COLUMNSコラム
-
作品を知る
踊る足は、地に着いている——デューラー・ドガ・雪佳ほか九点
踊りを描いた九点を数えると、宙に浮いた足は二点しかなかった。多くは膝を曲げて沈んでいる。跳んだ瞬間は輪郭が定まらないからだろう。どの画面にも、拍を数えるように動かない人がいて、踊りはその隣で起きている。
-
美術史・技法
戦いの絵に、戦いはない——豊信・デューラー・ホンデクーテルほか九点
戦いを扱った九点を数えると、戦う姿があるのは三点だけだった。血の描かれた絵はなく、死んだ人もどこにも描かれていない。残る六点にあるのは、顔と、碑と、崩れた壁と、静かな海である。激しさは題のほうにあった。
-
暮らしと名画
飲む絵は、注ぐところで止まる——バサヴァナ・豊信・サージェントほか九点
飲むことを扱った九点を数えると、器が口に触れていたのは二点だけだった。多くはただ注ぎ、受け取り、掲げている。中身の見える器は一つもなく、飲むという行いは、器の形と手の動きだけで示されていた。宴も、警告も同じである。
-
美術史・技法
祈りは、膝の高さで示される——趙光輔・エル・グレコ・デューラーほか九点
祈りを描いた九点を数えると、五点で人が膝をついていた。立ったまま祈る人は一人もいない。手の形は絵ごとに違うが、体の高さを下げることだけは共通している。二点には祈る人がおらず、建物だけが画面に残っていた。
-
暮らしと名画
歌は、開いた口で示される——ドガ・ドーミエ・暁斎ほか九点
歌を描いた九点を数えると、口が開いていたのは四点だけだった。音は描けないので、開いた口と動く手が代わりになる。ある館の記録は、口が開いて歯と舌が見えれば歌だと書いている。滝の一点では、歌うのは水である。
-
暮らしと名画
煙草の絵に、煙はない——ファン・ミーリス・ホーマー・栄之ほか九点
煙草を扱った九点を数えると、煙らしいものは一点にしかなかった。火も灰も描かれず、描かれるのは道具と、それを持つ手だけである。煙には輪郭がなく、線では描けない。絵はいつも、煙の手前で止まっていた。道具だけが残る。
-
暮らしと名画
婚礼の絵に、式はない——デクルティ・湖龍斎・サージェントほか九点
婚礼を扱った九点を数えると、式そのものを描いた絵は一点だけだった。残りは見合いであり、贈り物であり、衣装箱の板である。相手が両方描かれるのも二点だけで、花嫁だけの絵が三点、花婿だけの絵は一点もなかった。
-
美術史・技法
嘆く人は、顔を隠している——アンフォラ・フラ・アンジェリコ・始興ほか九点
嘆きを描いた九点を数えると、涙の描かれた絵は一点もなかった。顔は頭巾や布や手で隠され、姿勢だけが悲しみを示す。前七世紀の壺で腕を上げる形は、二千七百年後の画面でもそのまま読み取れる。屏風の一点では、悲しみは歌の中にあった。
-
作品を知る
眠る人は、画面の中心にいる——トラヴェルシ・ホズマー・李公麟ほか九点
眠りを描いた九点を数えると、六点で眠る人が画面の中央に置かれていた。動かないものが構図を決めている。三点では誰かがその寝顔を見ており、二点では顔へ手が伸びていた。眠りは、しばしば何かの手前に置かれている。
-
美術史・技法
教える人は、手を触れない——歌麿・テル・ボルフ・ドガほか九点
教える場面の九点を数えると、手が触れ合う絵は一つもなかった。指すか、示すか、見るだけである。筆も弦も刀も、持っているのはいつも教わる側だった。教える人はいつも少し離れて立ち、代わりにやることをしない。
-
暮らしと名画
遊びの絵は、勝負の絵になる——テニールス・春章・北渓ほか九点
遊びを描いた九点を数えると、笑っている顔はほとんどなかった。骰子の絵では三人が黙って一点を見つめ、盤の絵では点を書き留める人がいる。数える人がいれば遊びは勝負になり、いなければ遊びのままでいられる。九点のうち、数える人は一点だけだった。
-
作品を知る
湯浴みの絵は、上がった後を描く——ドガ・クルーエ・春信ほか九点
湯浴みを描いた九点を数えると、湯に体を入れている人は二点しかいなかった。多くは上がった後で、扇を使い、鉢を見ている。湯も盥も画面の外にある。こちらを見る人は二点だけで、残る七点は見られていることを知らない。
-
作品を知る
狩りの絵に、血は流れない——クラーナハ・カロ・陳居中ほか九点
狩りを描いた九点を数えると、獲物が倒れる場面は一点だけで、血の描かれた絵は一点もなかった。七点は追っている最中である。終わった後を描く絵はなく、追っているあいだにだけ、誰が先に射るかという順番が見えていた。
-
暮らしと名画
漁の絵に、魚はいない——歌麿・北斎・クールベほか九点
漁を描いた九点を数えると、魚が一匹でも見える絵は一点もなかった。竿は構えられ、網は担がれ、鵜は水に入ったばかりで、どれも結果の手前で止まっている。水の中は、どの一点にも描かれない。漁の絵とは、構えの絵である。
-
作品を知る
乗る人は、いつも小さい——ドガ・グロ・カトリンほか九点
馬に乗る場面の九点を数えると、騎手の顔が判別できるのは四点だけだった。ドガの紙では馬の脚だけが描き直され、騎手の輪郭は薄いまま残る。人を描かない兜の一点が、いちばん確かに人の寸法を示していた。馬が主で、人が従である。
-
暮らしと名画
旅の絵は、途中しか写さない——若冲・ブリューゲル・ドーミエほか九点
旅する人を描いた九点を数えると、顔が判別できるのは二点だけだった。出発の場面も到着の場面もなく、あるのは途中ばかりである。十二メートルの巻物だけが移動を写せるが、動いているのは絵ではなく開く手のほうである。
-
暮らしと名画
売る場面は、並べることで示される——李嵩・歌麿・ピサロほか九点
品を並べれば売り場になり、並べなければただの荷物である。売るの九点を数えると、買う人がいるのは三点だけで、金銭が動く瞬間はどこにも描かれていなかった。売り手と目が合う作も一点もない。商いの絵は、商いの手前で止まっている。
-
暮らしと名画
担ぐと、体が傾く——ピアッツェッタ・ゴヤ・春章ほか九点
重い荷を持てば体は反対側へ傾き、膝が曲がる。担ぐの九点を数えると、五点で体は明らかに傾き、荷の軽い二点ではまっすぐだった。駕籠かきを演じる役者の絵には駕籠がなく、姿勢だけが荷の代わりをしている。傾きの角度が重さの目盛りである。
-
暮らしと名画
収穫は、刈ったあとを描く——ブルトン・ドービニー・ホーマーほか九点
刈る動作は一瞬で終わり、束ねて運ぶ時間が長く続く。収穫の九点を数えると、鎌を振る人は一人もおらず、写るのは篩と桶と荷車と舟と袋と籠だった。湿地の草も、綴織から取り出す金糸も、同じ語で収穫と呼ばれている。
-
暮らしと名画
水は、器の形で示される——ドゥフェネク・ピサロ・乾山ほか九点
水は形を持たないから、器の形が水の存在を伝える。水を汲む九点を数えると、六点に桶か甕か水瓶があり、器の中の水はどこにも描かれていなかった。運ぶ重さは、天秤棒のたわみと肩の傾きだけで示される。厚み四ミリの陶片も、その一点である。
5 / 47 ページ(全 940 件)



















